ダイワハウス創業者石橋信夫さんなら能登地震と豪雨2次被害にどう取り組むか?
1月1日に発生した能登半島地震で特に輪島、七尾、珠洲が大きな被害を受けた。能登は僕が私淑していたダイワハウス創業者の石橋信夫さんがリゾートホテルとして1番最初に創業されたダイワロイヤルホテルのリゾート施設があった(今はメルキュール能登リゾート&スパに売却)ところで、石橋信夫さんが引退されてからも生活されていた銅像の立つ思い出の場所でもある。
魚も美味で人情豊かな能登地方が、今回の様な惨禍に会い、震災後1年近くたった今も復興が進まず、この度の台風11号に伴う豪雨で2次災害に遭遇した事、誠に胸が締め付けられる。何故にこれほどまでに復興が進まず、更に甚大な2次被害が起こったのか? 僕なりに類推したいと思う。
1、輪島塗という伝統工芸品はあるが、大きな産業が少なく再建の為の予算がつけにくかった事。2,維新の会も支援した石川県の馳知事の行政手腕が
乏しく復興の為の中央省庁との予算獲得が難しかった事。3,岸田前総理が復興の為に予算委員会を開いて特別復興予算策定する等のリーダーシップを積極的に取ろうとしなかった事。4,被災地は限界集落が多く、道路も多くのダメージを受け復興のスピードが遅くなる事。5,被災者住宅を建設するにも休閑地が乏しく浸水危険地域に建設せざるを得なかった事。であろう。
能登被災者を支援する意味でも日本維新の会が率先し、大阪万博開催を1年遅らせ万博の為に従事している土木工事の人員、資材を大量に能登に投入していたら政界の景色も変わっていただろう。凋落の続く維新の状況も変わっていただろうし、大阪万博がこれ程パッシングされる事も無かっただろう。
今後、激甚災害がますます増えるであろう災害列島日本。国土強靭化と叫んだところで、急峻な山岳地の地盤の緩んだ細い道路を再開する事は至難だ。
日本中のいたるところにネオポリスという大団地を建設してきた土地開発のプロ、故石橋信夫さんなら、どの様な再開発プランを考えただろう。
被災された人たちの絶望的な表情と将来が見えない虚無感は正に難民、棄民だ。僕たちの同胞が放置されてしまっている状況は政治不在そのものだ。役所の縦割り行政を排除し、被災者に幸せに感じてもらい、未来に希望を抱いてもらう事こそ政治の仕事。リーダーシップを取れないんだったら辞めろ。
まず石橋さんなら被災者を全員、快適なリゾートホテルに無償で移送する。
再開発のグランドプランを国と県と有識者で策定する。一部が再興不可能なら、国が買い上げて、安全快適な土地、住宅を見つけて無償移住を奨める。
不本意ながら故郷を捨てざるを得なかった人には安心した老後を保証。
場合により、復興不可能地域はメガソーラーか自衛隊基地という手もある。
災害列島日本に住む僕たちは、いつ能登地域と同じ様に被災者になるかわからない。明日は我が身だ。今回の裏金問題に端を発した政治家達の無策は国民の命と財産を守ると言う政治家の本分を忘れた所業である。北朝鮮からいつミサイルが飛んでくるかわからない。ロシアが北海道に侵入してくるかもわからない。中国が暴発するかもわからない。まず身近な災害に対する対策すら政争で行わない政治屋なんぞ要らない。日本沈没が近付いている。