佃島ふたり書房_ふりいち

「新・小説のふるさと」撮影ノートより『佃島ふたり書房』について思ったこと。

 本や書棚を撮り始めてもう6,7年になる。「もの」としての本をますます意識するようになる。ヘンリー・ペトロスキーの『本棚の歴史』からは多くのヒントをもらった。例えば、背表紙はなぜ「背」表紙なのか、巻物からコデックスそして現代の本の形への変遷、そして本はある時期中身だけ売られ、表紙、裏表紙はお金をかけて作ったということなどなど。中野三敏の『和本のすすめ』からは印象的なフレーズが頭にのこっている。実際の本を手にすれば「掌に元禄がのっている」という一文だ。そしてこの小説の中にも「もの」としての本がいたるところに登場するが、本を「もの」として扱った最たる場面が「振り市」の箇所だろう。
 振り市は、別名書籍交換会と呼ばれ、古書組合が主催する古本のセリの一つだ。現在はさし市とよばれる入札で古書はやり取りされることが多くなったが、まだ残る振り市を神田古書組合の今野さんに頼んで東京古書組合南部支部でみせてもらった。
 小説の中のセリ場は板敷でおこなわれていたが、ここではテーブルが場となり会員はと椅子に座って市は開かれていた。市場の演出家、振り手が次から次へと山のように積まれた本を売りさばく。面白いのは最高値をつけた買い手がせり落とすのではなく、安すぎず、高すぎず、買い手の競いあう声を聞き分けながら振り手が適価で落とすところだ。だから振り手は本の知識はもとより、組合加入のそれぞれの古書店と古書店主の特徴も熟知していなければならない。荷出しは、手際よく山から市場がだれないように次のせり本を振り手におくり、山帳がせり落とされた本と買い手をすばやく記帳してセリはどんどん進んでゆく。
 驚いたのは、山から本が一冊ではなく何冊かまとめて、「どかっ」、という音とともにせり場に投げ出されることだ。そしてせり落とされたそれらの本はあの野球部が地面をならすために使っていたトンボで買い手のもとへ押し送られる。一見乱暴に扱っているようにも見えるのだが、本が傷んでいるふしはない。あらためて本という「もの」の堅牢さと、ある種のプロが持つ「もの」の扱い方の妙に感心する。読まれる中身が本の本質であることに異論はないが、ここではその中身が託された形ある「もの」としての本が取引されているのだ。つまり、生鮮市場での魚と一緒で、サシミや煮魚という食べられる中身をセリ落としているわけではなく、魚という形あるモノを競っているのだ。だからこそここの持つ、競りあう、ぴりぴりとした緊張感と威勢とセリかけられる「もの」への見識が火花となってぶつかりあう雰囲気は築地や太田や豊洲のそれと変わらないのである。

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