
「よかったね」
あのとき、あの人の、キラーパス。
『認知症の人たちの小さくて大きなひと言 〜私の声が見えますか?〜』(監修=永田久美子、発行=harunosora)という書籍には、認知症の人が吐露した、たくさんのつぶやきや言葉が綴られています。
それは、どんなとき、どんな理由で発せられたのでしょうか。
また、周囲の人は、それを聴いたとき、どう思い、何を感じたのでしょうか。
本書から抜粋して紹介します。
p.52より
「よかったね」
内田文子さん(61歳・女性・千葉県)
<以下、夫・内田勝也さんの回想>
妻が特養に入所したのは、記憶障害が現れてから12年目、61歳の初夏でした。
その頃の妻は、認知能力がほぼ失われ、機嫌がいいときでも片言の単語を発する程度でした。
いつものように間断なく叫び声をあげる妻の食事介助をしていたときのことです。
テレビからニュースが流れていて、溜め池に落ちて意識不明になっていた3歳児が今日無事に退院した、とアナウンサーが報じていました。
そのときです。
妻の叫び声がぱたりと止み、「よかったね」とひと言。
信じられない思いでした。
「わかるのか! 本当にわかるのか!」。
思わず肩を揺さぶると、「よかった」と繰り返す妻。
もう私は有頂天です。
表現を失って不安という谷間に迷い込んでいる妻には、物事の認識や判断は容易ではありません。
テレビに興味をもつことすら皆無の妻が、状況を理解したのです。
介護する側が、逆に勇気をもらうということは少なくありません。
まさに「介護は楽(たの)し」と思ったひと言でした。
日々の積み重ねのなかに小さな奇跡を求め、今日も私は妻と触れ合っています。
『認知症の人たちの小さくて大きなひと言 〜私の声が見えますか?〜』(監修=永田久美子、発行=harunosora)