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『七彩の七宝』序章「夢やぶれて」(1/6)
【あらすじ】
彩七(大学三年生)は、愛知県あま市七宝町生まれ。この町は伝統工芸である尾張七宝で栄えていたが、二百軒以上あった窯元が現在八軒まで激減。親に大学を卒業したら実家に戻って七宝職人になりたいと告げたが、先行きが不安定な業界であることから両親に拒否される。子供のころからの職人の夢を絶たれて、彩七は絶望する。
バイト先で同い年の秀一に、落ち込んでいる事情を説明すると「クラウドファンディングで七宝焼(しっぽうやき)の店舗を作ることで職場を確保し、七宝焼の認知度もあげよう」という切り口をもらう。
彩七は町おこしも視野に入れたプロジェクトを立ち上げて――。
* * *
とうとう、この言葉を口にするときが来た。少々、面映ゆい。
美馬坂(みまさか)彩七(あやな)は、こたつに入って新春のお笑い番組を見ている両親を盗み見た。酒が入った父親の顔は赤らんでいる。
日が暮れ始めているのに、テーブルには昼から出しっぱなしのおせち料理が大量にのっていた。夕食もおせちを摘まみながら、このままだらだらと過ごすことになるだろう。
わたしの言葉を聞いたら、二人とも喜ぶかな。それとも、びっくりするかな。
彩七は両親とは違う理由で、白い頬がほんのり桃色に染まっている。垂れ眼がちの大きな瞳を瞬かせ、お茶で喉を潤し、テレビがコマーシャルに入ったタイミングで、緊張しながら口を開いた。
「わたし、来年はこの家に戻ってくるからね」
両親の視線が集まった。
「なんや、名古屋あたりで就職するんか」
父の言葉に、彩七は察しが悪いと唇をすぼめる。
「違うよ、わたしも七宝(しっぽう)焼(やき)職人になる。お父さんの跡を継ぐって言ってるんだよ」
言葉にしたのは初めてだが、彩七の今までの態度で意思は伝わっていたはずだ。幼小のころから工房に入り込み、見よう見まねで作品を作っていたのだから。
両親は硬い表情で顔を見合わせた。
彩七は細い眉を寄せる。
両親の反応が、想像と違う。
「彩七、今年はちゃんと就活せなかんよ」
「ここがあるのに、どうして?」
彩七は前のめりになって母親に尋ねた。
家の敷地内には母屋とは別に工房兼店舗の『美馬坂七宝』があり、工房で作製された七宝焼は店や取引先で販売される。
大学三年生の彩七は、卒業してから両親と一緒にこの工房で働きたいと考えていたのだ。
「俺の代で窯を閉じるわ」
父親は彩七を見つめて、きっぱりと言った。眉間には深くしわが刻まれている。彩七はすぐに言葉が出なかった。
「二百年近く続いて来た窯元なのに、辞めちゃうの?」
「組合の奴らもそうするって言っとるでな」
「それは後継ぎがいないからでしょ。この家にはわたしがいるよ」
「跡継ぎだけの問題じゃないんだわ」
父親は首を振って、七宝焼の猪口を呷った。
「母さん、熱燗おかわり」
「はいはい」
母親は徳利を持って台所に向かった。ほっとした表情をしているように見える。その背中を見送った彩七は父に視線を戻した。
「お父さん、本気なの?」
「冗談で言うわけないやろ。就職先は、よぉ考えろよ。美大を出ても、このご時世は芸術じゃ食べていけんぞ」
そう言った父は、もう話すことはないとでも言うようにテレビに顔を向けた。
彩七は父を見つめたまま、しばらく動けなかった。
あんなに美しいものを生み出す手を持つ父親から、そんな言葉が飛び出すとは思っていなかった。聞きたくなかった。
高校を卒業してから上京して約三年。毎日会わなくなってからたった三年しか経っていないのに、父親が随分としぼんだように感じた。
「ごちそうさまでした」
彩七は立ち上がって、二階の自室に戻った。寝間着に袢纏を羽織ったままでベッドに倒れ込む。肩まで届くセミロングの黒髪が枕に広がった。
「こんなの、うそだ……」
天井の木目が歪む。
強く閉じた両目にかぶせるようにほっそりとした白い腕を顔にのせ、唇をかみしめた。押し出された雫で睫毛が濡れた。
このままふて寝をしてしまいたいが、その前に歯をみがかなければ。彩七は生真面目にそう考えるが、今は立ち上がる気力もない。
顔をかたむけると、彩七が作った七宝焼の飾り皿や壺が並んだガラス棚がある。小学校四年生の時に初めて作った平面の作品も、額に入れて飾っていた。アジサイをアレンジしたデザインだ。
今見るとつたないが、モチーフを決めて、親に借りたカメラで花の写真を撮り、それを見ながらデザイン画を書いた。小さなガラスや九百度にもなる窯を扱うため、安全のために親にも手伝ってもらったが、上手だと褒められたのが嬉しかった。
それになりより、危ないから入るなと言われていた工房に迎えてもらえたのが、大人になったようで誇らしかった。
自分の手で色鮮やかな七宝焼の作品を生み出したとき、彩七の夢は決まった。
――父の跡を継いで、七宝焼職人になる。
美術大学に入学して油絵を専攻したのも、画力を上げて色彩とセンスを学びたかったからだ。
言わずとも、両親は彩七の気持ちを理解しているものと思っていた。
「喜んでくれると思ったのにな」
……いや、気持ちは伝わっていただろう。嬉しくもあったに違いない。
しかし、現実がそれを許さなかったのだ。
愛知県あま市七宝町には、かつて二百軒以上の窯元があった。しかし現在は八軒まで激減している。
両親は、十年ほど前までは朝から晩まで忙しそうに工房にこもっていたものだが、ここ数年は夕方には母屋に戻ってきていた。
仕事の発注が減っているのだ。
それを感じていたから、上京した彩七はせめて金銭面で負担にならないようアルバイトに勤しんでいた。大学入学のために、予備校などでも世話になったのだから。
だから彩七は、そもそも七宝焼職人が稼げる職業だとは考えていなかった。
しかし、まさか父まで窯を閉じるとは想像もしていなかった。
あのキラキラと輝く美しいものを自分の手で生み出し続ける。
それを手にした人が笑顔になる。
そんな生活が待っていると信じて疑わず、彩七は東京で借りているマンションでも七宝焼の作品を作って腕を磨いてきた。
「これから、どうしよう……」
墨をかぶったように、目の前が真っ暗だ。
突然、将来が見えなくなってしまった。
【以下、続きのリンクまとめ】(完結しています)
一章「絶望からの、挑戦」
二章「踏み出した一歩」
三章「故郷との確執」
四章「最終日」
終章「それから」