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「好き」への熱量の重要性
面白い動画を見つけたので紹介。最新のピラミッドついて教えてくれるそうな。
この動画で、聴いたことある話もあるし、そうでない初耳な話もある。それとは別に、この動画で印象的なのは、エジプト考古学者の河江肖剰氏。「この人ピラミッド好きなんだろうな~」という印象を受ける。
だいたい人間好きなものを語る時には、それが仕事であろうとなかろうと熱が入ってしまう。なぜか。好きだから。
自分が好きなものを知っている人が増えてほしいと思うし、好きになってくれる人がいたらもっとうれしい。少なくとも嫌われているとか、そもそも知られていないよりは全然いい、という具合だ。
音楽が好きな人が好きなアーティストについて語る時、アニメが好きな人が好きなアニメについて語る時。ジャンルは問わないが好きなものを他者に広めようとする時、つい語り口に熱が入る。淡々と語ることもできるが、どうしたって好きだからアツくなってしまう。
実は、これがとても良いことだったりする。なるべく相手に伝えようとして、表現は大げさになるし、身振り手振りが入る。それを見ている人は、その対象を知らなかったとしても「ふーん、そんなに言うんなら少なくともその人にとっては良いものなんだろうな」と思う。
その次の段階として、その対象が何であるかを知っている人がいる。バンドなのか、アニメなのか、映画なのか、それともピラミッドの謎なのか。それが売れたり流行ったりしたものなのか。それくらいは知っている。名前くらいは聞いたことがある。そういう人はアツく語っている人を見て「なるほど、そういう良いものだったのか」と感じる。で、その次の思考としては「覚えておこう」とか「今度機会があったら触れてみよう」という具合。
3番目の段階にいる人は「うわ!損してた。アマゾンプライムで今夜観よう」とか「まだ聴いてなかったわー。Spotifyであったか探してみよう」などと思う。
逆に、語っていた方にとって、リアクションとしてすぐ目に見える形になるのは3番目の人の行動のみ。例えば視聴回数が増えたり、売り上げがポンと上がったりとか。そういうわかりやすい形。
商業目的、広告宣伝目的でやる人は、この3番目の人をなるべく多くつかむことが求められる。そうしないと金にならないから。金にならないと続けられない。
一方、ただ単に「好きだから」でやっている人の対象は1-3の全部だ。自分たちが好きなものを、知っている人が増えてほしい、好きになってくれる人が増えてほしい、ついでに売上として還元されたらもっとうれしい。
コミケとかが良い例かな。コスプレして写真撮られたって別にそこからすぐに多額の収益が発生するわけではない。同人誌売ったからって印刷代とその他経費くらいにしかならない。一部の有名レイヤーや大手サークル以外の大多数はそんな感じだろう。インディーズバンドでもそんな感じだ。
ところが、そこにとんでもない熱量が込められているものがたまにある。正確に言うと、莫大な熱量が他人に伝わるように作られたもの。そういうものは二次創作であろうと焼き直しだろうと面白いし、有名無名にかかわらずそれに触れた人にとっては購入する価値があるものとなる。
それはその人にとって良いもので、良いものは周辺を探索したくなる。原典にあたったり、遡って調べたり、似たような傾向の作品を探したりする。そうすることでまた良いものに出会う(多くの良いとは言えないものとも出会うが)。
良いものに出会う→探す→また良いものに出会うを繰り返していくうちに、立派な一人のオタクが形成される(笑)。そこに自力でたどり着いた者は、その時点で一定量の知識やバックグラウンドを持っている。
そして、その人が他者への伝播を始める。その時に、その人がため込んできた熱量が解放される。
音楽オタク、アニメオタク、オーディオマニア、いろんな人がいる。冒頭のエジプト考古学者だって言ってみればピラミッドオタクだ。なにしろピラミッドの研究がしたいあまりエジプトに住んでいるらしい。役者だって演劇バカだし、政治家ならいわば政治オタクだ(そうであってほしい)。専門性と言い換えてもいい。
専門性を得るには熱量が必要で、それによって得られた専門性はより多くの熱量を内包する。そしてその「好き」の熱量を他者に分け与えようとするとき、その多くは霧散する。残りのわずかなものが密かに数人に受け継がれ、また新たな熱となる。
もちろん原典となる作品や対象そのものの熱量もあるが、それを二次的に広めようとする人々の熱量も、実は対処の伝播にかかわっている。
「所詮二次」とは言っても、それを知らない人にっては、あなたの拡散が新たな出会いとなるかもしれない。影響される人が増えたら、あなたの行動は結果を出したと言える。たとえそれが目的でなかったとしても。
そんなわけで、好きなものはどんどん語っていい。好きであるほどアツく語るほど「見るべきもの」としてそれ単体が面白くなる。そしてそれがいつか誰かに影響する。