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「キリエのうた」の音楽愛に魅せられて


ヘッダー画像引用元: 公式サイト

 感想をまとめるのが難しい。ただ揺さぶられたことだけが記憶に残っている。映画体験の中で極めて幸せなものかもしれない。こういう映画に出会える幸せを大事にしなければならない。

 岩井俊二作品が好きで、中でも「リップヴァンウィンクルの花嫁」は幾度となく繰り返し見た。私が綾野剛のファンということを差し引いても人生で5本の指に数える名作である。黒木華とCoccoの不思議な紐帯、不思議な繭のなかのような間柄は思い出すだけでも胸が詰まる。あの苦しみにも似た感情を思い出す映画だった。そしてかの作品よりずっと、普遍性と時代性を増した映画であると感じた。

 今回の映画を見に行くと決めたポイントは大きく分けて5つある。
 ひとつはアイナ・ジ・エンドの歌声を堪能したかったこと。「孤狼の血LEVEL2」のインスパイアドソング、「水星の魔女」のエンディングいずれも素晴らしかった。もっと堪能したいと思った。シンプルな要望である。
 ふたつめはDJ DARUMA氏、HISASHI氏の推挙。この両者の勧めるものはだいたい間違いない。とりわけ「帰れない二人」の引用は響いた。どのように使われるのか興味を持った。
 みっつめは一緒に行ってくれる人の存在。ウルフファンのお友達と行った。お互い好きで仕方ないボーカリストがいる身なので、歌の力を話の軸に据えた映画はさぞ刺さるだろうと期待した。
 よっつめは村上虹郎の存在。虹郎くんは暫く休養していたこともあって先日のMステでの復帰はかなり涙を誘った。彼が出る作品は名作と相場が決まっている。
 最後はやはり岩井俊二作品だからというのが大きいかもしれない。リアルタイムで詳しいわけではないけど、彼の作品がもたらす心へのダメージというか揺さぶる力の大きさはとてつもない。そういうのに心底揺さぶられたくなる瞬間は間違いなくあるのだ。

 そうした諸般の期待を軽く超えていく作品だった。
 まず引用されている名曲の数々に痺れる。冒頭からオフコース「さよなら」がアイナの声で歌われるわけだが、この時点で刺さる人にはブッ刺さる。どう聴いてもエモい。アイナの声はクセが強いので好きな人はめちゃくちゃ好きだが嫌いな人は嫌いだと思う。ただこの歌声に情緒を揺さぶられたら好き嫌いとか割とどうでもよくなる。この人の持ってる音楽性の追求が気になる。そういう意味では歌声そのものに物語性が潜んでいる。考えたら岩井俊二はCoccoをヒロインとして起用した過去があるわけで、アーティストの女性が持つ独特の「音色」のようなものが映像表現の中でどう輝くかをよく知っている映像の畑の人と言うのがおそらく正しい。本邦には歌姫がヒロインを務めた名作が数多くあるわけだが、衆目の真ん中で歌を歌うという、その姿が十二分に主役として説得力を帯びているのは今作でも遺憾無く発揮されていて素晴らしかった。

 物語の筋書きはシンプルだが、ゆえに時系列が複雑に往来しても混乱しない。説明が多い映画ではないが、人物の立ち方や住空間から伝わる情報が多い。とりわけ2023年の東京であんな住空間にいる女性は不自然にしか映らないし、YouTubeやTikTokを活用した音楽コミュニティの広がりも解像度が高かった。今も昔もストリートミュージシャンはたくさんいるが、ツールの活用という意味では他の数多ある音楽コンテンツ作品に比しても生々しく巧みだった。
 音楽に救われた人間、音楽に自分の人生を切り取られてきた人間、音楽が自分の歴史を形作ってきた人間には、あの音楽の煌めきがわかる気がする。過剰にステージ的美学を賛美する向きもないではなかったが、それでも「まあアイナ・ジ・エンドが歌ってますからね」の一言でだいたい決着がつく。あの歌声がストリートに、喫茶店に、公園に響いたらそりゃ人はああならざるを得ないのではないか。

 そしてアイナもといキリエ(ルカ)のカリスマ性だけではなく、この映画を貫く一本の軸のようなものとして広瀬すずの演技力、一条逸子=広澤真緒里という人間の在り方が3時間全体にわたって非常に大きな意味を持っている。彼女の生き様に関しては小説版に詳しいので映画を見た方にはぜひ小説も読んでいただきたいのだが、ただとにかく広瀬すずの演技がすごい。とにかく圧巻。というか演技に関しては本職ではないアイナの浮世離れした空気感を現実の中に位置付けるのは、広瀬すずをはじめとする助演勢の類稀な演技力に他ならない。控えめに、少し怯えながら空気を震わせ歌うルカに、傍らでただ涙する真緒里という、そのシンプルこの上ない画角を邦画史に残る名シーンに仕立てたのは他ならぬ広瀬すずの仕事である。いやーすごい。「怒り」のときからすごい俳優さんだと思ってたけどもっとすごい。これはちょっとスクリーンで見た方がいいです。これは詳細を省きますが岩井俊二作品にありがちなフラフラした大人でありつつ、傷つき夢を追う少女でもあったというふたつの側面を見事に矛盾なく成立させているのが凄まじい。両方合わせていまのイッコさん、というのが画面から伝わる。怪演でした。これは好きになってしまうなあ。
 黒木華もめちゃくちゃよかったです。包容力のある小学校の先生。教師をやめた「リップヴァンウィンクルの花嫁」の七海を思い出しつつ、同じ人が同じ立場を演じてこうも異なるのかという引き出しの多さを感じた。
 そして彼女に心情を吐露する、松村北斗演じる潮見夏彦。この子がまた素晴らしくよかった。以前から役者として評価の高かった彼ですが、今回この女性陣の「生命」を軸とした物語の中で作品の雰囲気を損ねることなく、悪いことをしているという慚愧の念に酔いしれるでもなく、ただ13年間という時間をまっすぐ噛み締めて時間の流れた分だけ傷つき続け、罪を贖い続けてきたのだなあというのをそれぞれの時代で少しずつ発露しているのが非常に重要な役回りだった。この繊細な演技プラン、消え入りそうなほどの強い贖罪意識はぜひスクリーンで確認してほしい。ファンだったら推しにこんな演技されたら泣いて喜ぶと思う。いい仕事でした。
 村上虹郎もめちゃくちゃよかったです。ふらっと声をかけるミュージシャン役。そのふらっと声をかけるときの一言目の声の良さだよなあ。虹郎はこの声がいいんだよなあ。と「武曲」のときから思ってることを改めて思った。
 全体通してだけどこの映画に出てるキャストはみんな声が良かった。一度聴いたら簡単に忘れられない最高の声の人たちを揃えて、その真ん中にアイナ・ジ・エンドを据えている。日頃から人の声に着目して人の声に恋焦がれて生きている人間には最高の映画でした。ぜひ映画館の音響で。
 またこの作品、いろんなところでいろんな大物アーティストが出演するんだけど、石井竜也と大塚愛、安藤裕子は出てきた瞬間声出そうになった。最高の配役と最高の存在感。日本の音楽史を語る上で欠かせないのは引用された楽曲のみならずこういうアーティストの存在でもある。業界そのものへの深いリスペクトを感じました。最高だったな。

 というわけで映画全体への満足度は非常に高いのですが、一方で「あの震災」を扱ったものとしても一定の潮流に位置付けられるため、そのあたりは客観視して見た方が良いかなあと思った。それこそ私は西日本の人間で立場としては寺石先生に近いあれなんだけど、どれだけの人が例の震災の「当事者」であり、己をあの災害の渦中に位置付けるかはわからないので、あくまでわからないなりの衝撃と動揺、物語への没入が可能だったということはやや差し引いて聞いてもらいたい。きっと置かれた立場によってこの作品への向き合い方も変わると思う。まだまだ生々しいし生活と地続きだと思うので、そのあたりは各々で線引きできれば。
 描写としてはかなり容赦なかったです。

 ネタバレを極力避けると感想としてはこんな感じかなあ。
 見終えた後にSpotifyでサントラ聴いてるんですが、映画のシーンを思い出してつよいな〜と思う。「ボヘミアン・ラプソディ」でも「アリー スター誕生」でもそうだったけど、これ以上ない音楽と拘り抜いた映像の合致は人間の脳に克明な印象を残していく。いい映画体験でした。純粋にアイナの歌をまたいろんなところで聴きたいと思いました。
 以上です。

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Juno
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