「1ST KISS」感想文
比喩じゃなく目が溶けてなくなるかと思った。あぶない。
「最高の離婚」「カルテット」「花束みたいな恋をした」「大豆田とわ子と三人の元夫」が好きな人間、無事撃沈です。祝日のレイトショーで見たのですが、終わってすぐは席を立てなかったな。泣きすぎて頭が痛かったのと、頬が濡れすぎて化粧がドロドロだったのと、鼻水が止まらなかったのとで人がいるタイミングに動くわけにいかなかった。そして動き始めてなお、余韻がとどまるところを知らなかった。爽やかな視聴後感と色々な理念について考えを巡らせていると勝手に家に着いた、というくらい(一応言っとくと車は運転してませんので悪しからず)。
坂元裕二脚本の良いところは、出てくる男に甘ったれた美化がないところにある。素敵で愛おしい男なのに、自己正当化を口にすればするほど墓穴を掘るタイプの男しかいない。優しいんだけど折れて欲しいところで折れてくれなかったり、彼なりに理解はあるんだけど理解して欲しいのはそこではなかったり。女性脚本(おそらくは異性愛者の女性による)はこのあたりがやや都合良すぎて、ややあざとい。「理解ある彼くん」という揶揄を含んだネットミームは巷間に流布して久しいが、その一端を感じもする。女性の理想の男性像。坂元裕二の描く男性は、残念ながらそう夢のある存在ではない。舌打ちするし、おじさんになるし、理屈っぽくて知的でそのぶん意地悪。その言い方はしなくていいだろ、そのプロポーズ最悪だな、そんな裏切りってあんまりにもあんまりだ。品があるだけに余計に「許せない」ポイントが積み上がっていく。
今回の「夫」は、愛して結婚するのにだんだん諦念が募り、寝室を分け洗濯物を自分のものだけ回し自室に篭るようになっていく。時間をかけてゆっくり信頼を損なっていく、決定打のない喪失の積み重ねの先に愛が摩耗している描写が本当に上手くて、上手すぎて怖かった。男は惚れた女には傅くが、愛のない相手にはどこまでも冷淡で否定的だ。そして時間を経て更に、どんどん戻れないところまで来る。恋心が死ぬのと、ほんとに電車で轢かれて死ぬのとがダブルミーニングで示される。
物語の筋はタイムスリップものだ。歴史を改変しようと足掻いている。異世界転生、強くてニューゲームものとも近い。好まれるモチーフではあると思う。ただその万能感のゆえに、主人公ひいては創作者の主観が多分に出る難しい題材だ。行動原理にキャラクターとしての説得力と聴衆の理解を得るための説得力が併存していなければならない。どちらに偏っても作品としては台無しになる。また、だいたいハッピーエンドにはならない。ベストエンドがビターであるがゆえに心に残る。「ダレン・シャン」もそうだし、「DARK」もそうで、「まどマギ」もそうだと言える。考えたらこのトレンドは日本に限ったものではなく、世界的な「選択」の主軸化、行動原理の主観化の潮流に位置づけられるのかもしれない。
このブログはいつもネタバレを恐れず書いているのだが、なんだか結末を「そういうもの」として見にいくと損失だと思うので、いったんいわゆる「ネタバレ」らしきものを排して書くが、この夥しい回数のタイムトラベルによって因果が募っていく過程は、まんま未来に向けた対話のメタファーだと思う。夫婦仲は冷え切っている。話題に乏しく、互いに理解もない。そんな関係をもし、フラットに改善できる機会が訪れたら。己のこれまでの所業も相手のこれまでの所業もすべて無かったものとして相対する機会があれば。もっとシンプルに対話のきっかけがあれば。2時間という映画の時間制約でそれを端的に表すツールがタイムトラベルという手法だっただけで、ものすごく普遍的な、クソデカ主語で申し訳ないけど全既婚者にかすかな共感を生むような話だったと言えるのではないか。既婚者でなくても、疎遠になった友人でも、関係の悪い親兄弟でも置換は可能だ。できればもともと大好きだった人がいい。相手が悪いと思い込みたくなるくらい、かつて愛していた、今もたぶん愛情はあるけど好きではない人のことをうっすらと考えざるを得ない映画である。
特段好きではなくなっても愛情の記憶は消えない。夫が死んでから半年近く経って、遺影に向かって入籍したままだったから手続き全部した、と語るシーンがある。ここの生々しさには、死んだ夫の悪口を言いながら葬式や法事を取り仕切る現代日本の寡婦の普遍的な姿を見た。これなんて日常によくある「愛してる(た)けど好きじゃない」状況である。
劇中において、それが再度「好きかもしれない」に傾くのは、この上なくシンプルだが、また生前の(ただし15年前の)夫に会ったからだ。自分の想像の範疇の外にいる、生身の他者としての故人に会うことで行動が始まった。主人公は夫と離婚して二度と会わず生涯を閉じるはずだったのに、なにもしらないかつての生きている夫を前にして「生きていてほしい」と願い、何度も行動することになる。この「生きていてほしい」は主人公の行動理念となり、作品を通して視聴者にその希望を追体験させる。そして物語の結末としては、それと全く異なる行動理念が夫の側から示されることになる。詳しくは映画館で見てほしい。「結果」「事象」はあくまで通過点であり事実でしかなく、「チュン」の間に過ぎ去っていく。いかに階層的に同時に、過去未来現在が併存していたとしても。こうした伏線の張り方が非常に意識的で挑戦的で、しかも収束するときにちゃんと面白い。脚本と監督へのリスペクトが止まらない。この話は多分、放ってたら永遠にしてる。
伏線の張り方が上手いのはもちろん、この木訥として浮世離れした夫の造形を体現した俳優・松村北斗のポテンシャルにびびる。知らない若者と知りすぎて好きではなくなった最愛の夫の温度差もさることながら、タイトル回収の担い手としての「夫」までが凄まじい演技プランだ。それだけでも見る価値がある。「キリエのうた」の名演をも思い出す出色の出来である。ファンは堪らないだろうな、と羨ましくすらある…
坂元裕二脚本の女性たちは、先述の癖のある男たちに負けず違わずものすごく「濃い」。今回もご多分に漏れない。この癖とチャーミングの塩梅が松たか子はとにかく絶妙で、ゆえに氏が何度も坂元脚本のヒロインを飾っているのだと大いに納得する。そしていつも感じ悪い女の役で出てくる吉岡里帆が好きすぎて、今回も尺としては短いのにキーパーソンとしてエッジが効いていて最高だった。今後も出演を期待してしまう。
映画が終わってから、なんとなく帰宅前にコンビニでシュークリームを買って帰った。子どもと寝落ちている夫を見ながら、柄にもなく大事にしようと心を引き締めた。いつか必ず別れは来る。その時にしっかり泣いて別れを告げられるかどうかは、今日まではどうにもできないにせよ、今日からの行動にはかかっていると言えるからだ。ちなみに夫は翌朝、シュークリームを食べていた。ゴミは出しそびれていた。なかなかうまくはいかないもんである。
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