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改訂版 貴方は本当にレオナルド・ダ・ヴィンチを知っているか? その7
告白
ここで私は正直に告白しなければならないことがあります。私はどのタイミングで告白するか迷っていました。「ペトロの右手の問題」に詳しい人ならば多分今頃私の解析を読んで笑っている頃でしょう。その方々はかなりレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」に詳しい人です。この写真を見てください。この写真は私のブログ友達の撮った写真です。
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レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋 みのる アメーバブログより
この友人も独自にレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画を研究されています。見事に「ペトロの右手」を再現しています。私はこの写真を見て愕然としました。
私は背後の人にナイフを向ける場合、自分が再現した手首の曲げ方しか思いつかなかったのです。
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身体の内側方向に手首を回転させ手首を曲げれば同じような持ち方を再現できるのです。
私は愚かにも既に私自身の解析を発表していました。SNSで海外の美術サイトへの投稿もした後なのでその衝撃は大きかったのです。私は悩みました。今までの「自分の解析は間違いだったのか?」と悩みました。全てが崩れ去った様な気持ちになりました。
当然、自分でもこれと同じ仕草が出来るか試してみました。この写真のように出来ているのだから自分でも簡単に出来ると思い込んでいました。しかしそれは案外難しかったのです。ナイフを外側に向けて回転させるのではなく、自分の腹の方に回転させながら剣を突き出すと言う事を理解するのに数時間かかりました。
確かにこのポーズは可能です。しかし、冷静に考えてみるとそれは不自然です。「この中に私を裏切る者がいる。」というキリストの言葉を聞いて気持ちが動転しているペトロに、この様な動作が咄嗟に出来るのでしょうか?出来ないと私は思います。しかもこれだけの長い刃の剣を自分の内側に回せば自分の腹を切ってしまう可能性もあります。剣を持った腕を一旦真下に降ろして内側に曲げる方法もありますが中腰で、しかもヨハネに耳打ちするなど不可能です。しかもこの持ち方では簡単に剣を奪われてしまいます。
その様に考えるうちに、私の解析はこのポーズが「出来るか」「出来ないか」という二元論的解釈では間違っていたかもしれませんが、このポーズ自体がこの場面で「正しいか」、「正しくないか」という点ではまだ間違ってはいないと思うのです。
咄嗟に剣を後ろに向ける時には私の考える動作の方が自然だと思うのです。では、なぜレオナルド・ダ・ヴィンチはこの様なポーズをペトロにさせたのでしょうか?レオナルド・ダ・ヴィンチは私が解析したように、ペトロは誰かの手首を掴んでいたという表現をカモフラージュする意図があったのではないでしょうか。こう考えると私の解析も意味があると思うのです。消えかかった炎がもう一度燃え上がってきたのです。