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「教誨」柚月裕子著 読書感想【ネタバレ有かもしれない】

気になっているうちに文庫化のお知らせが耳に届いたので、すぐに購入した。
長く読書を趣味にしている私にとっても、それでもあまりにも衝撃的な物語であったことを書き残しておきたい。


「教誨」柚月裕子 あらすじ

香澄と母の静江は、過去一度だけ会ったことのある遠縁の死刑囚、三原響子から身元引受人に指名され、執行後の響子の遺骨と遺品を引き取った。
本家筋である三原家は一切のかかわりを拒否し、香澄は途方に暮れる。

三原響子の罪、それは幼い我が子を含めた女児2名の殺害だった。

ネグレクト、毒親、育児放棄の果ての殺人。シングルマザーであった響子への苛烈な報道でしか響子を知らない香澄は、それでもたった一回会ったあの日の響子への記憶に違和感を感じる。
響子は果たして、本当に無慈悲な殺人鬼であったのか。

執行前に響子が言い残した言葉はただひとつ。
「約束は守ったよ、褒めて───」


響子を取り巻く人々を追いながら、香澄は響子の最後の言葉の意味を探る。

胸に迫る「幸せになれないひとたち」の苦しみ

響子の罪は、当時8歳であった一人娘の愛理を橋から突き落とし殺したというもの、その後近所に住む5歳の栞という女児を自宅に誘い込み、首を絞め殺害したという2件の罪である。

物語は香澄視点で進むパート、今は亡き響子自身の目線で進むパートが交互に書かれ、やがて真相に行きついてゆくというもの。
読み進めるのがつらく、しかし真相に迫っていく様に手が止まらず、あっという間に読んだ。

わたしはすぐ泣く女だが、これを書きながら、やっぱりひどい顔で泣くのを我慢している。
いろんな物語をいろんな風に読んでいろんな泣き方をしてきたが、「教誨」を読んで流れる涙は「真面目に生きているのに、幸せになれない人たち」への哀しさだ。


なんでこんなことになったんだろう───
響子は思う。ただ幸せになりたくて、頑張っていただけなのに。

響子は田舎に生まれ、ろくでもない父と我慢ばかりの母千枝子に育てられる。
田舎にコンプレックスを持つ父には「馬鹿」「のろま」と罵声を浴びせられ、父の機嫌ばかりうかがう母は響子をかばわずすぐに「父さんに謝りなさい」と言う。そのくせ矢鱈に過保護な千枝子のせいで学校でのいじめは苛烈になっていき、しかし田舎独特の「全員ご近所」という結束から逃れられず、あきらめの中生きていく。


田舎で暮らすということ、その呪い

この「田舎に住んでいるとすべてが筒抜け」という感じがピンとこない人も多かろうが、わたしには身を切られるような、びりびりとした嫌な記憶が目に浮かぶような気がするほど、千枝子と響子の気持ちがわかった。
田舎と言えば聞こえはいいが、要は世間が狭いムラ社会の典型である。
一挙一投足筒抜けで、やれ誰がどこに就職しただの、どこの息子は出来が悪いだの、あそこの娘が出戻ってくるらしいだのそんな話題ばかりが満ちている。
ヨソ者は排除され、あるいは煙たがられ、ろくでもない人間が力を誇示してヒエラルキーの頂点に君臨している。そういう場所で女子供がどんな扱いを受けるか、都会に住んでいる人でも想像くらいはつくのではないだろうか。


作中で響子が、父の命令で(躾、と書かれているが命令のようなものだ)子供とは思えないような口調で親戚たちに手をついて挨拶をする場面がある。勿論、口上を間違えば父からの折檻が待っているため、幼い響子は必死で「よい子」としてあいさつをする。すべては父の威厳を保つためだ。
これはわたしも幼いころ良くやらされたことである。
さすがに、別に間違ったからと言って殴られはしないが、物心ついた時には、折に触れ親戚が集まると、床に手をついて祖母から叩き込まれた挨拶を、意味も分からず暗記したまま口にして頭を下げた。「小さいのに偉いわねえ」と言われることもあれば、ちょっと粗相をしたら「長女なのに情けない子ね」と親戚たちの格好の話題になったものだ。

若い人には信じられないかもしれないが、わたしは本当にそういう雰囲気を身をもって知っている。
子供たちが無邪気に遊ぶ中、わたしは母や祖母たちと台所で仕事をして、親戚たちの酒盛りの料理を配膳し酒を切らさぬようにいつも注意していた。それが周りの大人たちにとっても、わたしにとっても「当たり前」だったのだ。


だから響子が閉鎖された世界の中で「わたしはダメな子だ」「どうせ言っても変わらない」と、いじめも父からの躾と称した虐待も受け入れ洗脳されていったことは、安易に想像ができてしまった。


香澄が出会う、響子を知る人たちは皆響子のことを口をそろえて「無垢な人」「大人しい人」「真面目でよい人」という。
実際そうなのだ。自分を馬鹿だと思いこまされて、何もできない(と思い込んでいる)自分をただ茫漠と眺めて、男に利用されても誰も恨まず、ただすべてが自分のせいだと思い、それでも人生で一番大切な娘、愛理を心から愛し必死で生きていく。ただそれだけの、真面目な女性だったのだ。


どんな環境でも、子供を愛する女性たち。それが悲劇を生む


わたしの義母もそうだが、「孫なんていらないと思っていたけど、いざ産まれてみたら目に入れても痛くない、なんて言葉がぴったりだ。実際目に入れてみたいくらいだ」とけらけら笑いながらよく言う。
けれど、親にとってやはり大事なのは子である。
たとえ子が40だろうと30だろうと、孫がいようと、一番かわいいのは我が子なのだ。義母も、いくら孫がかわいかろうと、実の娘のほうが気にかかるものだ。言葉の端々からそれを日々感じる。きっと、親とはそういうものなのだろう。わたしにはもう親がいないのでわからないが。
そして響子の母、千枝子もそうだった。


精神科に通い薬の副作用と病気で体調を崩しながら、夜職をしひとり愛理を育てる響子を、母である千枝子は陰ながら支えた。千枝子にとっては不憫で仕方なかったであろう。なぜ娘は幸せになれないのだろうと自問自答しただろう。娘を持つ親として、わたしも千枝子の気持ちはよくわかる。


少し話がそれるが、とても共感できた部分として精神薬というのは副作用の個人差がとても大きいという、響子が勤めていたスナックのママの言葉がある。自分に合う薬を見つけるまでがあまりにも長いのだ。自分に合う薬さえ見つけられれば、問題の7割くらいは解決と言ってもいいのではないかと思ってしまう。
作中、響子は精神科の薬が合わず、副作用によるめまい、起き上がれないほどの体調不良に見舞われ、長く務めたスナックを辞める。この副作用による苦しみは、わたしにも経験があることだった。

20代の時、仕事のストレスでわたしは一切眠れなくなってしまったことがある。
感情の起伏がなくなり、仕事に行けなくなり、人に会えなくなり、字が読めなくなり、音楽が聴けなくなった。
布団から起き上がることができず、きっとこのまま誰にも顧みられず泥のようになるのだ、と思った。死のうとすら思わなかった。そんな気力もなかった。ただ何もできず横たわるだけの地獄のような半年だったが、記憶はあいまいだ。
ただ、病院に連れていかれて、自分に合う薬を探し続け、やっと薬の助けを得て徐々に回復していった覚えがある。


時には20時間以上眠ってしまうこともあった。気づいたら食事を4日摂っていないことも、風呂に一週間入っていないということもあった。
いままでどんなに酔っぱらって帰ってきても、メイクをしっかり落としてシャワーを浴びないとベッドに入れなかったわたしが、アパレル店員として働きおしゃれがだいすきだったわたしが、こんな風になるなんてと当時存命だった母は良く泣いていた。


だから、心から愛する娘である愛理を抱きしめた際にひどいにおいが鼻を突いた時、いつ愛理を風呂に入れたか、いつ愛理に料理をしてやったかわからないと響子がふと気づくシーンでは動悸がするほど苦しくなった。
響子は育児をサボっていたわけではない。育児を放棄していたわけでもない。スナックのママも、響子は愛理を心から愛していたと言っている。愛理もママが大好きだった。千枝子だって響子を愛していたし、響子も千枝子が大好きだった。千枝子は娘である響子が不憫でたまらなくて、響子は娘の愛理が可哀想だと思ったのだ。ただそれだけで、事件は起きたのだ。


もうこのシーンがつらくて、かなしくて、みんな哀しくて、誰も悪くないのに、誰も悪意などなかったのに、報われないことが苦しくて、読む手が震えるほどだった。誰も悪くないのに、幸せになれない。努力しても報われない。小さな幸せすらつかめない。なんでこんなことになったんだろう?響子が繰り返してきた疑問をわたしもなぞって、嗚咽が漏れた。


「約束は守ったよ。褒めて───」
ここまでくればもう大丈夫。心配しなくていい。


言葉の一つ一つがやりきれない哀しみでいっぱいで、いつまでも忘れられない。

悼む人としての香澄と、物語の終わり


香澄は最後にすべてを知り、そして本当の意味で心から響子を悼む。
骨となり、それでもなお誰にも顧みられることのない響子と、失われたたましいたちを悼み、そして物語は終わる。
誰も報われず、誰も許されず、ただ願ったささやかな幸せすら失われた。
でも彼女たちの愛だけは確かにそこにあったのだと思うと、少しだけでも希望が残されたと思いたい。それはわたしの、ただの願望なのかもしれないけれど。

とても哀しい。
それでも残されたものがあるなら、その意味をもっと考えたいと思う、そんな本だった。


2025.2.28

追記:散骨について

そういえば、最後に散骨についての言葉があった。
わたしの母のたっての希望で、母の骨はここから遠く離れた故郷の海に散骨した。

まだ小さい子供たちを連れて母の故郷に行くことなどできなかったし、親族からも事後報告であったが、散骨の動画が送られてきた。
結果としてわたしは散骨して良かったなあと思っている。

母はいつも故郷に帰りたいと言っていた。その願いが叶うなら良いだろうし、お墓のようにどこかに固定された場所に母がいると思うよりも、海に撒いたことで「ああこの世界の一部に母の骨があるんだな」と思うと、そちらのほうが自然なように感じたからだ。
わたしは全然信心深くないし、母親のことを思い出すことも正直あまりないのだが(機能不全な家庭だったので)お墓がないというのが負担にならない、という場合もあるのだ。個人的な話ですが。

わたしの骨も、どこでもいいから自然に撒いてほしいなとうっすら思っている。お金も手間もかからないし、自然に撒かれてそのままみんなに忘れられて、世界の一部に還りたいものだなあというのが今の気持ちである。



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翠子(みどりこ)
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