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不登校の海㊶ 完全登校

2020年5月、新5年生になったばかりの長男が不登校になりました。noteでは長男が9ヶ月かけて学校に復帰するまでの記録を公開しています。

「はじめに」はこちら★


完全登校

長男はゴールまでに残されたいくつかのハードルを、次々と超えて行きました。長かった私の「付き添い登校」も、いつの間にか終わっていたのです。

5年1組の教室に入ることもクリア。
クラスのみんなと給食を食べるのもクリア。
終業時間までクラスのみんなと過ごすこともクリア。
登校時間はずらしていたものの一人で登校して一人で教室に入るのもクリア。

そして…1月25日。

朝、長男は始業時間に間に合うように家を出て登校し、6時間目までを過ごして帰ってきました。

5月に不登校になって以来、9か月ぶりの完全登校です。


長男が家に帰ってきたとき、いつもはネガティブな感情を引き出すために「疲れたねー」とか「何か困ったことあった?」と声を掛けるのですが、この日ばかりは帰ってくるなり「本当に頑張ったね。よくここまで来たね!!」と言って彼の背中を撫でました。

長男は静かに、少しはにかんで「うん」と言いました。

彼はあまり感情を表に出さないので、はしゃいでいる様子はありません。だけど表情は明るく、嬉しさが体中から溢れていることが伝わりました。本当に、本当によく頑張ったのです。

長男も、そして私も!!

「完全登校ができたから、ご褒美の2700円のレゴを頼まなきゃね!!」

私がそう言うと、長男は少し考えて言いました。

「1日行っただけで、もしまた行けなくなったら意味が無いから、ご褒美は1週間続けて行けたら…ってことにしようと思う。」

ご褒美はもらうためのものじゃなくて、自分が頑張るためのもの。長男はそれをちゃんと、わかっていたみたいです。

そして本当に、自分で決めた「一週間連続登校」という目標も、無事達成しました。

長い長い9か月間の不登校がこの日、ひとつの区切りを迎えました。

息子が不登校になったことについて、「不登校になって良かった」とまでは言えません。

やっぱり、大変ですもん。


だけど、自分ではどうにもできないような苦しい事や辛い事を経験することでしか、わからないこともある。

通り抜けた後に振り返ってやっと、その経験の意味に気づくことができるのかもしれません。


この時のわたしの気持ちにぴったりの詩があります。

苦しみの日々
哀しみの日々
それはひとを少しは深くするだろう
わずか五ミリぐらいではあろうけれど
さなかには心臓も凍結息をするのさえ難しいほどだが
なんとか通り抜けたとき 初めて気付く
あれはみずからを養うに足る時間であったと
少しずつ 少しずつ深くなってゆけば
やがては解るようになるだろう人の痛みも 柘榴のような傷口も
わかったとてどうなるものでもないけれど(わからないよりはいいだろう)
苦しみに負けて哀しみにひしがれて
とげとげのサボテンと化してしまうのはごめんである
受けとめるしかない
折々の小さな刺や 病でさえも
はしゃぎや 浮かれのなかには
自己省察の要素は皆無なのだから

茨木のり子 (2007)「倚りかからず」ちくま文庫 p62


私も今は思えます。

あれは自らを養うに足る時間であったと。


このあとは、不登校の日々を振り返っての気づきをお話しします。

9ヶ月かけて手に入れたもの



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