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離婚がどう生きたいのかを教えてくれた
どんな生き方をしたいのか。
どう生きていくのか。
その質問は、壮大で、哲学的でもあり、そんなに向き合わなくても、なんとなく過ごすこともできるかもしれないです。
だけど、やっぱり、わたしたちは日々の時間を重ねることで、毎日を生きることで、着実に生きていて、年齢を重ねています。
10年ほど前、ある日ふと、わたしによぎった疑問。
わたし、このままでいいんだろうか。
このまま感じで生きていくんだろうか。
今の結婚生活で終わっていいんだろうか。
わたしはなにを望んでいるの。
これらのおもいは、わたしを混乱させました。
幸せなはずの結婚生活を送っているんだから。
なにも問題はないんだから。
なぜそれをこわすような考えをするの。
ばかげているでしょ。
そのおもいは、最初は小さなシミみたいな点をこころというひろい海におとしたにすぎなかったです。
だから、かき消して、なしなしなし。
ってしたのに、
ふと、でてくるんです。
ほんとにそれでいいんだった?
ほんとにそれを望んでいるの?
この時間は、嵐みたいに、わたしをぐちゃぐちゃにして、
だけど、確実に、じぶんの声を聞く時間だったと感じます。
わたしは、もっとひろい世界をみてみたい。
20代前半で、出会って結婚して、
いままではこれでよかった。
それなり幸せだったんだけど、
今はもっとひろい世界をみたい。
この生き方じゃない生き方を望んでいる。
もっと海外と関わりたい。
もっと知らない世界をみてみたい。
日本で、普通でいてほしい、と望まれている、この結婚が窮屈。
これを書くだけで、むかしの罪悪感がよみがえります。
サイテイ
ダンナさんに守ってもらいながら、愛してもらいながら、別な世界を望んでいる。
そもそも、結婚してから英語上達させたじゃない。
彼が働いてるときに。
罪悪感というおもいは、深く深く深く、ひとを傷つけるの。
もう再起できないんじゃないかと思うくらい。
わたしのチカラを奪って、ノックダウン。
ベッドで横になるしかない。
チカラがないから。
それでも、時間をかけて、
じぶんを受け入れる、愛するレッスンを経て、
ちゃんとじぶんのあしで立っている。
まがりなりにも、じぶんの望みを叶えて、
また、なにを望んでいるのかも、ちゃんとわかってきています。
たくさんのひとに支えられながら。
そして、結婚というレッスンを経て、次にすすみたい、そういうことだってあるんだ。
いまのパートナーと結婚してもなお、罪悪感は黒い影みたいについてきました。
だけど、ちゃんとわたしは前に進んでいる。
わたしのおもいを無視しないでいてくれてありがとう。
想いを叶えてきてくれているよね。ありがとう。
離婚という大きなことを乗り越えることは、わたしが誰よりもわたし自身とのパートナーシップを改善できる、大きなきっかけだったのかもしれないです。
ずっと、その前から、わたしはわたし自身とのパートナーシップが、ある意味うまくいっていないところがあったし、
それを改善する必要も、そもそも、そんなものが、わたしの人生になにか影響を与えるかどうかも、知らなかったんだから。
まだ、わたしとのパートナーシップは、発展途上だし、これから良くなる余地があります。
じぶん関係は、じぶんの未来をも創造する。
じぶんを愛すること、一歩一歩。
写真は、アルゼンチンの教会の建造物
写真でみるより実際ははるかに美しくて、言葉にすることが難しいです。
教会が美しくて、おどろいた話しを、夫の弟に話したら、
もっとすごい教会を見せてあげるよ
と言ってくれました。今週末訪れる予定です。