新しいキーワード「間合い」
人と接すると時には思いもよらないコメントをもらい、喜んだり憤ったり悲しんだりし、人の示す態度に影響を受けたりします。
良い巡りは大歓迎だけど、落ち込んでしまう回路には入りたくない。自分の醜さもわかるのは大事かもしれないけど、幼稚に喜怒哀楽するより相手に愛を持って冷静に穏やかな気持ちになりたいと思っています。
そんなとき、「距離」という言葉が浮かんできました。
わたしは、何でも近すぎるのではないだろうか。
ド近眼だからか?!
近寄りすぎてしまうので、食らってしまうのかもしれない。見過ぎてしまうのかもしれない。近視眼すぎて全体が見えないのかもしれない。
息子がわたしに何かを見せようと目の前にかざすとき、老眼が始まった私の目は近すぎてそれを見ることができない。そういう相違も生まれてしまうのかも。
パリオリンピックが始まって、夫が「なんてオリンピックは面白いんだ」と毎日熱心にテレビを見ています。
柔道は開会してすぐに行われます。夫が見ているとついついわたしも立ち止まって見てしまいます。
「間合いを詰められないように注意しないといけません」
とある柔道選手の試合の時に解説者が言っていました。どうやらその選手は投げが得意であまりに対戦相手に近づかれると投げの動きに入れないようでした。
各々に適正な間合いというものがあるのだな。
わたしももう少し離れていれば客観的になれるのかもしれない。
少し前には、「ない」より「ある」に目を向ける、というのがわたしの中で有効でした。今でも同じです。
もう少し前には「五味を舌の上で転がす」、
そして今、「間合いを取る」、
こんな考えが浮かびました。
少し大人になれるかもしれない。
よかった、ありがとう。