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集中する息子~武道と作文

わたしが息子に持つイメージに「粘り強い」という形容詞はありません。「集中力がある」も。

先日、天真体道で長くて重い棒を身体の後ろで水平に持ち、足を開いて腰を落とした姿勢で「ハッ、ハッ!」とジャンプして前に進むという稽古をしました。

稽古場の横幅10メートルほどを何往復も「ハッ、ハッ!」とジャンプ。いつもだと2,3往復ですが、なぜか先生が次の指示をしません。息子は疲れてきてジャンプで踏み切る足がそろわず泣いているような息遣いが聞こえるような「ハッ、ハッ!」になりましたが、声が衰えることはなく、飛び続けました。
ずいぶん長くなってきたな、と思いながら、息子が「いつまで続くのだろう」「まだ終わらないのだろうか」と思いつつも嫌にならずにむしろ楽しそうに全力で「ハッ、ハッ!」とやっているのを、動画を撮ったりしながらひたすら見つめました。3メートルくらいある棒2本を握っているのも大変だろうに。先生も無言ながらも息子に心を寄せて観ているようでした。
「よし、あと1往復!」先生がいいました。息子の声に力が満ちてジャンプの足もそろって、マラソン大会のラストスパートのように最後の1往復を全力で跳びぬけました。トータル5分!
思わず並んで観ていたベテランの方と拍手しました。
先生も惜しみなく称賛の言葉をかけてくれました。

昨日の夜、息子に作文指導をしました。
20時半からオンライン英会話が控えていて、メモを作り作文を書くのに45分くらいしかありませんでした。書く題材は奥多摩合宿に行くのに電車が遅延し人に聞きながらなんとか集合駅にたどり着いた話。

メモを単語ベースで書きつけ原稿用紙に書き始めました。オンライン英会話の時間が迫り、息子がものすごく集中しているのがわかりました。鉛筆の音が響きます。鬼気迫る表情で書き続け、2枚目の原稿用紙を所望し見事な集中でマスを埋めていました。
「終わった」
原稿用紙をわたしに預け、タブレットを膝に乗せ、英会話を始めました。
レッスンの間、息子の作文に目を通しました。

その後夫が帰宅してご飯を出したりして手が空いたときに、指導をすることにしました。音読するように促したら、あ、と言っておかしな箇所を直し始めました。修正が一通り済んで読み上げるのを夫もテレビを消して聞きました。

まだまだ粗削りだけど、書き続けていけばもっと上手になる。

「ぼぼ、うまいじゃないか。お父さんおまえの文好きだぞ。」
「お父さん、わかった?」
「うん、ジョジョだらけだ」

わたしは息子の好きなマンガ「ジョジョの奇妙な冒険」を知らないのでわかりませんでしたが、作文の随所にジョジョに出てくる表現がちりばめられていたようです。
以前から感じていましたが、息子の作文には軽快な旋律があります。それは息子が取り入れてきたものによるものでしょう。古典音読しかり、ジョジョしかり、時にはわたしが顔をしかめるようなものを含んだ無数の本しかり。いつも本を読んでいるのはこういうことにつながる。作文を作るのは読書だとつくづく思った瞬間でした。

自分で気づいて修正したせいか、文のつじつまの合わなさはだいぶなくなっていましたが、漢字間違い、日本語の使い方について、彼が嫌にならない程度に指摘しました。できるだけ対等になるように話し、息子は終始げらげら笑い、アドバイスを前向きに受け取りました。わたしの努力もあったとは思うけど、集中して書き切ったから素直に聞けたのではないかと思いました。
わたしが先日書いた彼の珍道中のブログを読んであげると、「そうそう」と言いました。息子がうまく書ききれなかった状況が表現されていたからです。その後も息子はわたしのブログ記事をいくつか読んでいました。

わたしの仕事の参考にもなるし、書くことにどん欲になれるかもしれないと思い、超少額だけど原稿料を息子にあげました。

息子が「書くこと」に興味を持ってくれたらうれしい。
「書くこと」は「読むこと」の延長。
書くことが日常になると、「何を書こうか」と観察眼が冴え、神経が研ぎ澄まされ、「これを書こう!」と一瞬のひらめきや心の動きをとらえることができるようになります。
ことばを使って自分を表現して誰かに伝える。
これは彼の生きる力の一部になる。

こういった関わりが持てて幸せに思います。
思春期ともいえるとき、こんな穏やかな日々がいつまで続くかわからない。
わたしにできることはどんどん減るけれど、まだ少しありそうです。

よかった、ありがとう。



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