見出し画像

ブレない息子の隠れた成長

息子が期末テストの成績表を持ち帰ってきました。
三回目の定期テスト、点数順位共にワースト記録。

息子は親の反応を気にしているきらいはありましたが、けろっとしたもの。
そして息子の順位から後ろなんてそう大勢でもないのに、「○○くんに全科目勝った」「✕✕くんはおれより順位低い」なんて言います。ほかの子の順位や点数を知っているということは自分のも提示しているということ、息子の強心臓、そして同じく話しているのであろう息子の周囲の子たち。自分の知らない世界が息子の周りに広がっています。

中学生になり、こちらから発することは2割くらいしか息子に届いていない感覚があります。

息子に友達がいない、と気にしていたのですが、先日「十二日まち」というお祭りがあったとき、お友達と約束して出かけていきました。
昨日も学校から帰ったら「下の公園で友達とバレーボールする約束したから行ってくる」と制服を脱ぎ捨て下に着ていた半そで半ズボンの体操着だけで、上に着るのももどかしいといった風で出て行きました。小一時間経って帰ってきて、練習できたのかと聞いたら「来なかった、時間を確認すればよかった」と言いました。
安心と切なさが入り混じりますが、息子に力強さを感じます。

息子が幼児だったころ、松永暢史氏の本を愛読し、ひたすら絵本を読み聞かせていました。たくさん絵本を買い、図書館からも大量に借りてきて本に囲まれた環境を作りました。
息子は本をたくさん読みますが、字ばかりの本は読みたがらず、挿絵が入っていたり、本というよりは図鑑と言いたくなるような本、字が少なめの面白おかしいような本、マンガを読みます。
わたしは世界の名作文学など読んでもらいたく、たまに勧めたりしますが、「字が多い」と却下されます。ガーン。

最近、たまに息子が買ってきたり借りてきた本をわたしに見せるようになりました。「これ借りてきたの、見て」、ペラペラっとめくって見せます。字ばかりの文庫本。タイトルは自分の愛読しているマンガだったり、去年一緒に観た映画だったり。わたしの望むものとは毛色が違いますが、息子は自分の課題を把握している、わたしが言うからかもしれないけれど字だらけの本を読もうとしている。

ふと、日本語音読指導者の管理などしている前田先生が先日雑誌「クーヨン」に寄せたエッセイ「本を読む勇気」を思い出しました。

「そもそも本って、読もうとする意志が必要だ。」

前田先生は音読がどう作用するかも書いています。

「音読法は書かれている文章へ立ち向かう勇気をつけてくれる。」
「言葉に立ち向かい、意味をつかもうとする意志を育てるのだ。」
(はしょり有り)

昨日の夜はわたしはPTA本部の資料作りで忙しくしていましたが、息子が発するカタカムナ、古事記、古今和歌集、竹取物語、伊勢物語、土佐物語、枕草子、源氏物語を心地よく聞きました。

成績にはまだ表れてこないけど、「本を読む勇気」が育ってきている。
この音読法がきっと助けになる、毎日読んであとは天真体道の曾禰田先生の言う通りじっと待つ。

わたしのことばが2割しか届かない、と嘆いていましたが、2割で十分なくらいに成長しているのかも。

いろいろ焦って考えても、ヒントをくれるのは息子でした。



いいなと思ったら応援しよう!