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教養を注入する喜び~大人の自習室

「大人の自習室」のお誘い。

読みたい本、腰を据えてやりたいことあるけど家だと時間確保できない方、
LINEなどスマホ要件を片付けたい方、
オンライン講座のアーカイブを視聴したい方(イヤホン着用)、
よくわからないけど行ってみようと思う方、

静かな部屋で一緒に自習しませんか。

今朝、FBといくつかのグループLINEに投稿。
午前午後で予約していた地元コミセンを使わなくなったため、自習室をしようと思い立ちました。

夜、バレンタインのチョコレートケーキを食べながら家族にそんな成り行きを話したら、わたしが説明しきらないうちに息子が何度も「何人来たの?」と聞きました。
仕方がないので、話途中で「誰も来なかった」と言ったら夫が温かく笑いました。
実際はひとりお友達が来てくれました。コミセンが入っている商業施設の用事のついでに寄ってくれ、作業などするほどの時間はないということで、少しの間おしゃべりをしました。ネギ味噌せんべいを差し入れてくれ、わたしの突然の試みに反応してくれて、幸せを感じました。

朝突然思いついての連絡、普段から「音読×発酵」や「コミュニティカフェ」の発信で人がそう簡単に来てくれることがないことはよくわかっています。それでも何かアクションしたい、渦を起こせればそれで十分、人を巻き込めなくったっていつかこの波はどこかに届く。
日本語音読新指導者養成講座のビデオ視聴と、旧約聖書と新約聖書がよくわかっていないので、それらを説明する本を読めれば万々歳でした。

コミセンの部屋に到着して、コーヒー飲みながらマインドマップで自習計画を作り、ビデオ視聴。誰もいないのでイヤホンなし。途中友だちが来て中断し、友達が去った後は地下に食べ物を買いに行き食べて、ビデオ視聴。
終わった後は重たい思いをして持って行った「宗教学大図鑑」で旧約聖書と新約聖書のところを読みました。

ビデオでは師である松永暢史氏が旧約・新約聖書を知ってこそ西洋の文化を堪能することができると話していました。知らなければ「きれいだな」で終わってしまう絵画も実際の聖書の話がわかってくると味わいが違う。音楽も文学もしかり。
何もわかっていなかったわたしに「宗教学大図鑑」は寄与してくれました。なるほど神ヤハウェとイスラエル人は契約で結ばれ、イスラエル人は選ばれた民としての誇りがあり、その地を約束されているのか。土地を追われた時代があるのは神の教えを守っていないということになるのか、ユダヤ人が優秀なのは土地を持たないからと聞いたことがありましたが、神との契約があるからなのかもなんて思いました。

キリスト教についても新約聖書の会読で木を見ている状態だったのが、全体としてどういうものか「森」がぼんやりながらわかりました。なるほど~、日本人で特に信じている宗教もないとなかなか理解できないこと。聖書が難しく感じるのがよくわかりました。

「大人の自習室」
しばし自分に集中することができました。
教養を注入し、さらなる学びを迎えられそうです。
いろいろなことが理解できるようになる、好奇心が芋づる式に起こり楽しくなる。芸術にまで波及する。先日読んだ齋藤孝氏による「50代からの教養格差」にも書かれていましたが、教養は人生を豊かにしてくれる。
改めて気づきました。

17時になり、外に出しておいたスタンド型の細長い案内用ホワイトボードをしまおうとしたら、「大人の自習室」と書いておいたのが、「人」の字だけがなぜか消えていて、「大 の自習室」となっていました。どう考えても自然にこの一文字だけが消えてしまうことはなかろう。いたずら?意図も意味もわからないけど少し残念に感じ、その場を後にしました。

家族のためにチョコレートケーキを買って帰ろうとしたら、浦和はケーキがもともとあまり売っていない、目当てのところは売り切れ、結局コミセンがある商業施設まで戻り、ずいぶんお高いケーキを買うことになりました。

生チョコタルト。

夫と息子は喜んでケーキを食べてくれ、「誰も来なかった」と聞いたせいか、夫がセントジェームスという夫婦で大好きなボーダーの洋服を買ってくれると言いました。白地にピンクのボーダーを選びました。

脳も味覚も気持ちも満足。
今日もしあわせな日でした。

よかった、ありがとう。

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