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息子の情緒〜テレジン収容所の子どもたちを知って

息子はとても穏やかな性格で気持ちが安定しています。学校や部活でからからかわれたり、侮辱されて惨めな思いをしてもわたしに気持ちを伝えたりしますが、大きく乱れることも引きずることもありません。親としてヒトとして放っておけないことは息子の許可をとって先生に申し立てたりしています。「鈍感力」とも置き換えられるその資質に頼もしさを感じています。

その反面、情緒が細やかとは言えず、心配になることがあります。実家の犬が亡くなったとき、甥っ子は身を捨てて額をつき号泣したそうだけど、我がぼぼ助は神妙な顔して亡骸のそばにいたものの、ペット葬の会場に行くと暇だーお腹空いたーと不満を申し述べ続け、わたしも不謹慎だと思い腹立たしいし、両親の手前いたたまれなかったことがあります。

昨日は午前にオンラインで英語の勉強会があり、午後はフリーでした。息子が部活から戻ったら駅近の施設でやっている「テレジン収容所の幼い画家たち展」に行こうと誘っていました。

夕方、暑さのピークが過ぎた頃、歩いて出かけました。息子には第二次世界大戦中、アウシュビッツに送られる前に多くのユダヤ人がテレジン収容所に住まわされていて、大人も子どもも労働を強いられ、規則で決められたこと以外をすると処刑されていた、そんな中大人たちが子どもに明るい目をしてもらいたくて決死の覚悟で詩や美術の教室をしたこと、そこで描かれた絵や詩を見に行くんだよと事前に説明していました。

展示スペースに到着、2人で見始めました。
テレジンの子たちの食事は、朝にはコーヒーと呼ばれる黒い液体、昼に薄い塩味のスープ、夜は昼のスープと腐りかけたジャガイモひとつ。きつい労働、男の子は重たいものを運ばされ、女の子は開墾させられ、大きなじゃがいもやトマトを収穫しても自分の口に入ることはない。見るペースは早いけど説明を息子も読んでいるようでした。

各絵の下には作者である子供の名前、生年月日と行く末が記されたキャプションがあります。行く末とは「19××年 アウシュビッツへ」か「生存」です。息子にどういうことかわかる?と聞いたら、「13歳で死んだ」と答えがあり、わかっているようでした。

その展示は子どもたちの儚い夢が描かれて胸が締め付けられるようでした。平和ボケしてものに恵まれ欲望のままに生きているわたしたち、違いすぎる現実に頭がおかしくなりそうな気がしました。
息子も展示を一通り見たようでした。

息子にも感じてほしい。
自分と同じ年頃の子たちがひもじい思いをして、死の恐怖と隣り合わせの日々を送っていたことを「ふーん」で終わらせないでほしい。

と思いながらも人の感想をコントロールするのは不可能。
息子がどう感じたとしても彼の自由。ではあります。

それでも「どう思った?」と尋ねてしまいました。面白かったとか言ったらどうしようと思いながら。
「悲しかった」と一言息子は答えました。

人の心の中をのぞくことはできない。
けれども息子に人間らしい感覚があることを知りました。

よかった、ありがとう。




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