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息子のためにオルタナティブスクールを運営した2年半のこと/⑱不登校から別居・離婚そして教育移住までの記録

突然の不登校、突然の別居でシングルマザーになった親子が辿り着いた「市民立小中一貫校」への教育移住。その4年間の記録をマガジンにまとめています。

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次男が電車通学が難しくなったことをきっかけに、自分で、市民立小中一貫校を運営すると決めた私。

ここから約2年半。本当に突っ走った日々でした。


授業料無料、高等部受験なし、学力不問。市民がつくる新しい教育の形[市民立小中一貫校]

まず、市民立小中一貫校とは、ということを簡単に書いておきます。

  • フリースクールや居場所ではなく、市民がつくる新しい教育の形

  • 教育理念は運営する各地域の教育目標と同じ

  • 一市民によって人件費は無償で運営されている

  • 教育の出口を「個人事業主として働くこと」としていて、瀬戸にはそのための高等部が進路としてある

  • 子どもたちがその地域で育ち、働き一人前になっていく、地域に根ざす場

運営をするといっても自分は先生ではなく、スタッフにすぎません。

開校日、場所やタイムスケジュール、活動施設の管理、子どもたちが主体的に過ごすための最低限のルール確認などをすることがスタッフの仕事で、子どもたちに何かを教えたり、子どもたちの間に入ったりすることはありません。

ツクルスクールに倣って自分でもやってみよう!とスタートした市民立スクールが東海地方を始めいくつかあります。

「瀬戸ツクルスクール」は、全国から見学者が訪れ、通学のために移住する家庭も増えてきています。

子どもたちが日々どんなふうに過ごしているのか、市民立がっこうで過ごすことによって、どんな力が育まれ、どんな風に成長していくのか、現場で実際に子どもたちの様子を見てみると驚くことがたくさんあります。

教育の形が新しい、ということに加え、授業料無料(公立学校に支払う教材費や給食費と同等程度の実費負担のみ)。高等部は受験なし。教科学習的な学力不問。ということで、シングルマザーの貧困とか、ひとり親家庭の学力低下といったことからも完全に解放されます。

教育選択や教育移住を検討している方には、「市民立小中一貫校」という教育の形も選択肢のひとつにすることをおすすめします。

私のように、自分で作ってみよう!という方は、まずは現地へ見学へ。

さて、こんな形の市民立小中一貫校。引っ越してくる前の関東地方で、長男のためにはじめた「つらぬき楽園」と同じ名前で、もう一度スタートすることにしました。

ツクルスクールをモデルに市民立小中一貫校を運営した2年半

つらぬき楽園の運営は本当に私にとって学び多くかけがえのないものでした。

活動をはじめた最初、メンバーは次男だけ。

すぐに、同じように場を探していた小学生の兄弟2人が合流。そこから少しずつ集まり、2年半の間で多い時で8〜10名程度の登録がありました。活動は週に1〜2回。多い時で週3回。

たくさんの見学体験の親子と出会いました。居場所やフリースクールとは違う、市民立としてのスクールの方向性との兼ね合いで、登録してからすぐや、数ヶ月でやめていく家庭もありました。

地域で知ってもらうためにチラシを作って、置いてくれそうなお店をあたったり、イベントに出てみたり、地域の大学が主催する教育学会に入り、市民立小中一貫校という選択肢を知ってもらうべく、活動報告をさせてもらったこともあります。

問い合わせや見学は予想以上に多くて、不登校や学校システムの中で行き場を無くしたり、納得できる答えにたどりつけないもどかしさを抱えている家庭の多さを改めて感じました。

また、つらぬき楽園に通い出したメンバーたちが所属する地域の学校の先生とのやりとりや見学対応、市の教育委員会との面談、市議会議員さんや、フリースクールや居場所に興味を持って見学に来る方の対応もたくさんしました。

そのたびに、「市民立小中一貫校」という、フリースクールや居場所とは違う、もうひとつのがっこうのことを話しました。

理解されないこともありました。伝わらないこともありました。応援してくれる人とも出会いました。

関東から引っ越してきて知らない地域でこうやって活動することで、この場所でのつながり、その中での自分、というあたらしい環境ができていくようでもありました。

とにかく種まき。我が子や子どもたちがイキイキと育ち、個人事業主として働きながら生きていく道を、この地域でも作っていきたいという思い一つでした。

気持ちとは裏腹に無理がたたる体

私はもともと子どもたちが過ごしている空間やエネルギー感を近くで感じるのがとても好きなので、つらぬき楽園のスタッフをやっていることは、本当に幸せな時間でもありました。

けれど、私自身、離婚に向けて色々とあったり、市民立運営以外の曜日や時間に仕事をしたりと、知らず知らずのうちに重ねてしまった無理がたたったようで、だんだんと持病が悪化していってしまいました。

週に1回の運営も難しくなってきてしまった3年目の夏休み直前。こんな自分の状況で、いったいこれからどうやって運営していこう?と悩んでいた時に、市民立小中一貫校の創設者、一尾茂疋さんが手がける次なる構想「瀬戸専修スクール」についての話を偶然聞く機会があり、視点ががぐっと変わる瞬間が訪れ、私の中で、自分ががっこうを運営していくことへの限界を感じました。

次なる構想とは、「瀬戸専修スクール」。それは、市民立小中一貫校とはまた違うスクール。公立中学校を卒業する生徒を対象として、地元の企業と提携し、企業に就職するための学びを経て、卒業後は提携企業へ就職するという流れがある専修学校。

瀬戸ツクルスクールは創立10年。高等部の卒業生も出始め、市民立小中一貫校という教育の形で子どもたちが成長していく道筋はできた。だから次なる構想への実現に動き出す。

私はこの話を聞いて、自分がこれから10年単位で、地域に根ざしながらつらぬき楽園に取り組んでいきたいか?取り組んでいけるのか?考えたときに、体力的にも、自分がやりたい方向としても、厳しいということを感じたのでした。

(市民立にもいろいろな形ややり方があるので、あくまで私自身がやりたい方向と自分ができることへの限界を感じたということです)

市民立がっこうは、無償で運営する学校。スタッフがしんどいと思ったら、運営を続けるのは厳しい。せめて年度いっぱいは、とも考えましたが、体調的にもとても無理だったことから、2学期中の11月をもって、つらぬき楽園をやめることを決めました。

自分の中での悔しさとか、メンバーたちの顔を見るとなんとも言えない気持ちになるし、やめると決めてから実際にやめるまでの期間はめちゃくちゃしんどかったです。

でも、つらぬき楽園をやめると決める前から企画していたあるイベントを最後に開催したことで、ここまでやってこれた!と自分の中で前向きに区切りをつけることができました。

⑲に続く


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