[最後の登校]学校は嘘つきだ!と息子が言った日/⑨不登校から別居・離婚そして教育移住までの記録
突然の不登校、突然の別居でシングルマザーになった親子が辿り着いた「市民立小中一貫校」への教育移住。その4年間の記録をマガジンにまとめています。
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学校に行かなくなってから、玄関先で毎日のように担任の先生と立ち話と登校刺激があり、そこから、息子が好きなパソコンの授業の日に、学校に行ってみることになりました。
久しぶりの登校、その日の午後に事件勃発
久しぶりの登校、息子が行く気になったのならと、学校の近くまで見送ってきたその日の午後。
学校から電話がかかってきました。
「〇〇君が逃げ出してしまって!迎えにきていただけますか?」という電話。
とにかくもう手に負えないからすぐきてくださいとのこと。
今日からまた毎日通うようになるのかな、なんて一瞬でも思った自分が甘かった。やっぱり息子は学校で過ごすのは難しいんだと、今回ばかりはもう認めるしかない。
・・・そんな思いで学校に急いで向かった、というところで、当時のメモは途切れていました。(大事なところで!)
この日を境に、学校以外の場所を探し、そうこうしているうちに別居、離婚へといろいろ事態が動いていき、記録している余裕もなかったことを思い出します。
それでもいろいろ鮮明な記憶として残っていることを、引き続き書いていきます。
学校は嘘つきだ!
学校で話を聞くと、以前面談で約束した、「教室を出る時は一言行き先を言ってから」ということができなかったらしい息子。
それでも先生たちは様子を見ていてくれたらしいのだけれど、息子の中で何かがあって、「お母さんに電話してほしい、帰りたい」と言ったことに対して、電話をしてもらえず、「学校は嘘つきだ!!」と息子が叫んで手に負えなくなったとのこと。
そして、帰らせてくれないのならと、息子は荷物を持って下駄箱、そして校庭へと飛び出し逃げ回ったのだそう。
後から息子に聞くと、「お熱とか、体調が悪くないと帰れないし電話はできないよ」と言われ、「心が辛いのはどうでもいいんだ!」とすごく嫌な気持ちになったということでした。
それから、教室を出て空き教室で過ごしている時に、校長先生が通りかかって声をかけてくれたので「どうして学校って6時間も授業があるの?」と聞いてみると、「そう決まっているからです」とだけ言われ、ぶっきらぼうにその場を立ち去っていってしまって悲しかったとも話していました。(息子からの聞き取りのみなので真実はわかりませんが)
大勢の子供たちがいて、安全に授業を進めなければいけない中で、息子の存在が明らかにそこに馴染めず困らせているのだろう。私はなんとも言えない気持ちになりました。
でもそれと同時に、「電話してほしいとお願いした時には電話をする」という面談での約束が守られなかったことに、心底落胆もしたし、熱や体調が悪くない限り帰らせられないという学校の方針には賛成できませんでした。一方で、「一言伝えて教室を出る」ということができなかった息子にも、どこか腹が立つ感情もありました。
ようやく決断した私
帰ってから息子と話すと、「学校は嘘つきだった」「一度行ったら簡単には帰れない、まるで牢屋みたいな場所」と息子が言いました。
ここまでの思いを持たせてしまった。息子の、ショッキングでストレートな言葉。
これはもう、無理だ。もう限界だ。通う本人が信用できず、牢屋だと感じるような場所に、これ以上関わり続けるなんて私はしたくない。
このときようやく私は、学校に通うことは一度完全にやめることと、毎日の電話や玄関先訪問、登校刺激もやめてもらうよう、学校に伝えたのでした。
そんなことがあって、この、久しぶりに学校に行った日が、息子にとって学校に通学した最後の日となりました。
不登校問題がはじまってから半年。
学校にはもう行かない。と決めてもその他の選択肢、どうしたらいいかはこれから模索するしかありません。
まずは、前年度の教頭先生に「あんなところは甘えだ」と言われた適応指導教室に、やっぱり行ってみるしかない。それから一度、児童精神科で相談してみよう。
そう思って、自分でできることを探して動き出すことにしたのでした。
⑩に続く
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