今度は次男が登校拒否??小学校入学時に教育選択した次男のこと/⑰不登校から別居・離婚そして教育移住までの記録
突然の不登校、突然の別居でシングルマザーになった親子が辿り着いた「市民立小中一貫校」への教育移住。その4年間の記録をマガジンにまとめています。
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市民立小中一貫校を選択し、電車通学を始めた息子たち。
1学期は楽しく通い、夏休みが終わろうとしていた頃。次男が「ちょっと行きたくないかも」と言い出しました。
小学校入学時からの教育選択
これまで長男の不登校にフォーカスをあてて書いてきましたが、我が家では次男も小学校入学時から教育選択をしました。
次男は幼稚園生活をみる限り、集団生活が苦手な様子はなく、おそらく地域の小学校に入学しても、そのシステムに馴染んでいけるような気がしていました。
けれど、長男の不登校経験、から、教育の形やシステムについて視野が広がっていった中で、次男は入学時から教育選択をしたいという想いをもつようになっていきました。
「不登校になったから」という理由がない次男の教育選択は、長男よりもハードルが高い面がありました。色々な相談先でも「学校に行ってみて馴染めなかったら」ということもよく言われたのですが、その経験いる??というのが私の正直な感想でした。
というのも、インターナショナルスクールや私立は、入学前から検討して選択するわけで。
それに、幼児教育は、保育園にするのか幼稚園にするのか、プレから行くのか年中さんから行くのか、各家庭の状況や考えで選択している。
それと同じで、小学校だって選択肢があっていいんですよね。私は次男も、心底ここだ、と思える環境で育みたかった。でも公立学校に一度も通っていないのにその選択をするのは、とてもタブーなような空気感を感じることが多くありました。
そんな気持ちも、ツクルスクールに出会ったことでスッキリ。
次男自身がどう感じるかも大事にしたかったので、公立の学校体験、オルタナティブスクールの体験やお試し通学、市民小中一貫校の体験をしました。
といっても6歳。判断できる部分とできない部分があって、やはり決めるのは親。次男がよりイキイキのびのびしているのはどこにいる時かなど、次男の様子を見たりしながら、小学校入学時から市民立小中一貫校を選択することにしたのでした。
市民立がっこうの「来たいときだけ来る」というシンプルなルールがもたらすもの
市民立のがっこうには、いくつかルールがありますが、その中の一つに「来たいときだけ来る (=休みたい時は休む)」というものがあります。
学校には毎日行くのが当たり前、という大きな価値観が根底から代わるルール。このルールひとつあることで、子どもたちは「今日はどうしようかな?自分の体調や気分はどうかな?」と毎日考えることになります。
そして、この価値観が当たり前なことで、大人は、子どもの決定をそのまま尊重することができます。
そんなの甘やかしだと、無理してでも、と思う方もいるかもしれません。いろんな考え方があります。私も正直、それって大丈夫なの?と最初はわからなくなりましたが、我が子や、市民立の子どもたちを見ていると、そんな迷いはなくなりました。
暗黙のルールや同調圧力もない、本当に自分が決めたことを、誰かにどうこう言われず、尊重してもらえる、認めてもらえる。自分はこれでいいんだ、という、自分だけの答えに自信を持てる経験をコツコツとつんでいく。
子どもたちが"本当の"自己決定や主体的な行動を経験するには、システムから考えなきゃなんだと実感し、シンプルだけどすごく大きくて、大切なルールだと感じています。
「いきたくない」次男の本音
このようなルールがある中で、夏休みが終わる頃に「行きたくない」と次男が言い出したことをフラットに受け取ることができた私。
行きたくないなら休む。休むことに対して、どうして?次はいつくるの?という周囲からの刺激もない。私もプレッシャーに思うこともありません。
次男と家で過ごしながら、ぽろ、ぽろ、と話すことを聞いていると、スクール自体はとても楽しいし行きたいけど、電車通学に尻込みしているということがわかりました。
というのも、電車が大好きな長男と一緒に通学していると、「あの快速電車に乗りたいから走って!」と急にお兄ちゃんが走り出したり、今度は、珍しいあの車両を見たいから、一本見逃そう、と待つことになったりする。
すごくハラハラして大変。でもひとりであの長距離を行くのは怖くてできない。でもスクールは楽しいし嫌いじゃない。
勢いでその場で行動していく長男と、あらかじめしっかり予定を考えて準備しておきたい次男。兄弟でもそれぞれで、一緒の電車通学はなかなか大変だったことがよくわかりました。
そんな次男の本音を聞くことができて、7歳になったばかりで、1学期の間よくがんばったんだなと思いました。
それと同時に、本当の気持ちをちゃんと言えたこと、言ってくれてありがとうと次男に言いました。のちのちスクールの代表の方に話した時も、気持ちを言えてよかったね!と言ってくれました。
何かに気を遣ったり我慢したりせずに、自分の気持ちを言葉にできること。その言葉を尊重してくれる周囲の大人たちがいること。そういう環境で育めていることを嬉しくも思いました。
次男も私も負担なく通学できる方法を模索
通学が心配。という次男の声を聞いて、また試行錯誤がはじまりました。
今回は、「市民立スクールを選択する」という大きな答えは決まっているので、どうすればそれが叶うかを模索です。
オンラインでの仕事がメインだった私は、まずは往復の電車についていくことを考えました。スクールの最寄駅のコワーキングスペースで仕事をして待っていることもしてみました。
やってみてわかったのは、私がこれを続けるのはかなりしんどいこと、電車賃がなかなかかかってくること。
次男が、お兄ちゃん関係なく自分で行けるようになるまでこれを続けるのは、現実的じゃないなとわかりました。
住んでいる地域で再度模索
それならば、市民立スクールの方針を持ちながらホームスクールをするかと考えた時期もありました。
自宅で過ごしながら、なにか地域で併用できる場所はないか、次男のためだけにもう一度探してみたら、何か新しい選択肢があるかもしれない。
そう思って、民間の学童保育や五感を育む系の塾、学習塾などを見学したりしましたが、ここだ、とピンと来る場所はありませんでした。
ある民間の学童保育は、方針やプログラム自体は本当に魅力的で、次男も喜んだのですが、学童は日中、小学校に行った子どもたちが放課後に来る場所。
そこからがいわば1日のスタートでたくさん遊びたい!という次男と、疲れて帰ってくる子どもたちとのエネルギーの差が、側から見ていて噛み合っていない感覚を大きく感じました。
居場所やフリースクールは、市民立小中一貫校のような方針や学校としての場所ではないことがほとんどです。将来に向けた出口まで考えられた市民立スクールは、やっぱり唯一無二だと、地域で模索しながら改めて感じました。
ないなら自分でつくるしかない
次男の通学について色々と模索していく中で、うすうすと感じ始めていた私の覚悟がだんだんハッキリとしていきました。
別居前に数回開催した「つらぬき楽園」を、もう一度ここではじめようか、という覚悟です。
次男の通学に付き添って時間を使うくらいなら、地域に利用できる場所が、これだけ探してもないのであれば、これがいい!と思っているモデルケースのスクールがあるんだから、もう自分でやるしかなくない?
実はいつか自分でも、ツクルスクールみたいな場をもう一度ちゃんと作ってみたいと思っていた。ならばそれが今でもいいじゃないか。どうせ次男のために通学に付き添ったりして時間を使うんだったら、スクールをはじめた方が有意義だし、やり始めれば必要な人に広がるかもしれない。
あの時長男に、「かっか学校作ってみようかな?」と言ったことを、今度は次男に聞いてみました。
「もうかっかがスクールはじめちゃおうかな?」
すると次男は「それがいいよ!そこに通いたい!」と言ったのでした。
こうしてここから2年間、私は市民立がっこうの運営に奮闘することになるのです。
⑱へ続く
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