ゴンサロ・M・タヴァレス『エルサレム』の訳者解説を書く
書評家の豊崎由美さんを講師にお迎えして「翻訳者向け書評講座」が行われました。当日の様子を発起人の新田享子さんがブログに書いてくださいました(ううう、楽しかった……)。
指摘のあった箇所と「どこまでネタバレするか」で分かれた意見を参考に修正してみました。
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訳者あとがき
「タヴァレスが創造したこの世界は、われわれとは無関係のように見えるが、実は百年後の人類の脅威である」。ポルトガル語による初のノーベル賞作家ジョゼ・サラマーゴが自身の名を冠した文学賞の授与式で述べた言葉である。
深い闇に包まれた夜明け前、主人公ミリアは余命を宣告された身体の痛みに耐えかねて、自分を受け入れてくれる教会を探して街をさまよう。かつての恋人エルンストはミリアからの電話を受け、ひとまず自殺を保留して家を飛び出す。ミリアの元主治医で元夫の精神科医テオドールは劣情を解消する相手として娼婦ハンナを見初める。ハンナの情夫で元兵士ヒンネルクは内側から沸きあがる殺意をなだめられる獲物を求めて徘徊する。テオドールの法律上の息子カースは夜中に自分をひとりで家に置き去りにした父を探しに外に出る。彼らは出会い、あるいはすれ違いながら、二十年あまりの間に起きたそれぞれの恐怖と欲望の凄絶な記憶の時空を行き来する。
研究者としても高名なテオドールは長年をかけて〈恐怖の歴史〉に関するおびただしい写真や文献を研究する。その陰惨さに心乱されることなく数値やグラフをまとめることに没頭し、五巻に及ぶ論文を発表する。「虐殺とは〈可能性〉の問題であって、被害者側の善良性と加害者側の邪悪性には一切の関係がなく、被害・加害の人数が完全な一致を見た時にのみ、歴史は終焉を迎える」という仮説は世間の注目を集めるが、今後に被害あるいは加害の対象となると予測される人民を列挙した「不要な解説」ゆえに激しい論争を引き起こし、やがて狂人の奇書として人々から忘れられてゆく。
本作は、著者いわく「悪のメカニズムの解析を試みた」長篇〈王国〉シリーズの三作目にあたる。各作品のタイトルおよび執筆・刊行年度は次のとおりである。
『ある男、クラウス・クルンプ(Um Homem : Klump)』二〇〇三年
『ヨーゼフ・ヴァルザーの機械(A Máquina de Joseph Walser)』二〇〇四年『エルサレム(Jerusalém)』二〇〇五年
『技巧の時代に祈りを学ぶということ(Aprender a Rezar na Era da Técnica)』二〇〇七年
本作の翻訳にあたってはCAMINHO社から発刊された第九版(二〇一〇年)を底本としたが、同社による同シリーズの初版はいずれも黒地に白くタイトルと著者名、出版社名が印字されただけのごくシンプルな装幀で、闇の深さを仄めかしつつも、あらゆる予断を拒んでいるようでもある。舞台はおそらくヨーロッパだが、具体的にいつ頃の出来事かはわからない。登場人物たちを狂気に駆り立てる戦争や虐殺のモデルも特定できない。日付も地名も人名も何らかの意味が込められているのかも定かではない。だが逆に、その不明さゆえに、あらゆる社会の、そして個人の現在や未来における目を背けがたい現実として読者にひたひたと迫ってくるのではないだろうか。
「エルサレムよ、もしも、わたしがあなたを忘れるなら、わたしの右手はなえるがよい」(新共同訳)
作中にたびたび登場する旧約聖書の詩編の一節は、ユダヤ人がエルサレムを追われてバビロニアに移住させられた際に、主を称えるべき讃美歌を征服者の慰みのために歌うよう強要される場面の一部である。ふるさとは単なる郷愁だけではなく、激しい屈辱と復讐への誓いとともに思い起こされるのだ。ミリアが〈エルサレム〉に替えて何度も唱えながら右手を確かめた〈ゲオルグ・ローゼンベルク〉を冠した精神病院の院長ゴンペルツが入院患者たちに行った厳しい統制は治療という名の暴虐だった。遠く離れて初めてわかる真実がある。我々もまた、悪と善の矛盾する痛みを抱えながら真っ暗な夜明け前をさまよっているのかもしれない。深い闇のなかでいったい何が起きているのだろう。ひょっとしたらミリアの口癖どおり「くだらないことにかまっている暇はない」のかもしれないのだ。
著者のゴンサロ・M・タヴァレスは一九七〇年アンゴラ生まれ。三十歳で作家デビューする前の十年間に書きためて推敲を重ねた多くの作品は五十か国以上で翻訳、出版されている。現在のところ、邦訳の刊行は〈王国〉シリーズのうち本作と〈町〉シリーズのうち『ヴァルザー氏と森(O Senhor Walser e a Floresta)』(『ポルトガル短篇小説傑作選』収録、近藤紀子訳、現代企画室、二〇一九年)にとどまっている。〈都市〉〈百科事典〉〈唄〉〈研究〉といったテーマに基づくシリーズ等、二十一世紀のポルトガル文学を担う鬼才が描き出す宇宙が日本で紹介される機会が増えることを切に願ってやまない。
二〇二一年十一月
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