YUMEJI 展@庭園美術館
大正浪漫と新しい世界
竹久夢二の置き土産を愛でる。
大正浪漫という時代のあだ花の様な新しい世界はどこか不安定だったのではないだろうか。経済発展と価値観の急激な変化、西洋の新しい文化を取り入れ、独自の文化を構築しつつあった時代。
同時に文明の進歩が共振して揺れ動いた東京は関東大震災によって終わりを告げた。夢二は新聞連載のため、震災後の東京を歩きながらスケッチを描き文章を添えて残している。
「自然は文化を一朝一揺りにして、一瞬にして、太古を取返した。」
震災から程なくして大正時代は終わり、昭和に入った。戦争の時代が本格的に始まる前に夢二はこの世を去った。
『アマリリス』から始まり『立田姫』で終わる。
庭園美術館の大広間に大きな濃い緑の壁が建てられ、その壁にかけられた『アマリリス』油彩画は今回、初公開。画面手前に置かれたアマリリスの鉢植えの向こうに、地味な縞柄の着物を纏った女性。膝に置いた本に手を置き、視線はここではないどこかを虚ろに見つめている。アマリリスが髪飾りの様にも見える。まるで紅い半衿に合わせたかの様にも思えた。どこか寂しげで物憂げな風情と暗い色調の画面。モデルとの関係性が画面から窺える、なんだかとても私的で切ない絵だなと思った。
この人の女性遍歴が絵を描く動機にもなったのは間違いない気がする。
憂い顔の美人画が有名だけど、グラフィックデザイナーとしても活躍し日本の普遍的な可愛いを最初に発信した人でもある。その可愛いは中原淳一にも影響を与え引き継がれたことは展示からも窺えた。
大正浪漫から昭和モダン。時代が大きく変化していく中で、夢二はまさに夢を見たかったのではないだろうか。日常に美を取り入れ、生活を彩り豊かにすること。(そこには理想の女性の存在もある) 誰もが自分らしく美しい暮らしを営める世界を思い描きながら、憂い顔の美人はある意味で自画像かも知れないとも思った。
念願の洋行から帰国して早々、病で生を終えたことは残念だったと同時に、その後の戦争の混乱を知らずに逝ったのは暗示的という気もしなくもない。短かった大正という時代にも興味が湧いた。
最後に展示された『立田姫』は赤い着物に梅模様の帯を合わせ両腕を広げ、ふわりとした笑みを浮かべた女性が振り向いている。夢二が最後に描いて満足したと語った屏風絵。ある意味では来迎図みたいなものかも知れない。最後は愛する人に迎えに来て欲しいという願いを描いた様にも思えた。
多彩な仕事のアーカイブは間違いなく時代の記憶であり記録である。雑誌や本の挿絵、有名なセノオ楽譜の表紙、ともすれば捨てられてしまう様な印刷物のあれこれだけど、印刷され物質化しているからこそ現存もする。保存し公開するためにも散逸させないことは重要とも思えた展示だった。
生誕140年か…竹久夢二と云えば弥生美術館と思ってチェックしたら、なんと高畑華宵の展示が!
併設の竹久夢二美術館ではやはり生誕記念の展示。時間があれば本郷まで行ってみようと思う。
そういえば華宵も夢二同様、着物の柄に凝った人だったと思い出した。興味深い…。