一瞬を永遠に【短編小説】
突然恋に落ちたあの日から10年が経ってしまった。あの時の事を時々思い出す。
そんな時、厳しく長い冬を耐え、やっと芽が顔を出した蕾が暖かな太陽を浴びて膨らみ、花が咲く瞬間の様なエネルギーが私の身体を包み虹色に熱くなる…。私は思いっきり手を伸ばし、身体を抱きしめる。愛おしく彼を思って…今でも…。
あの日は夕方から雨が降り始め、秋の空気をいっそう冷たくしていた。
友達の雪乃とお祭りに出かけた帰り道に後ろから声をかけられた。「もう、帰るの」…と低くて透き通る優しい男性の声だった。暫く私と雪乃は顔も見ずに無視してやり過ごすつもりだった。諦めたのか…と思った瞬間、彼の二重瞼の大きくてキラキラとした瞳が街灯の光りに照らされていた。
彼の瞳におぼろげに私が映る…身体が動かない。空から舞い降りた艶やかで柔らかな絹の糸が私の身体に何重にも巻き付いていた。動けない…。でも、不思議と痛さは感じなかった。
その瞬間、私の中にある水面でポツリと何かが跳ねた。心臓の鼓動が激しく動き始めた。
…そして私は一瞬を永遠にする恋に落ちた…
それから彼と何度も2人の時間を重ねた。逢う度に身体に絹の糸が巻き付き、心臓の鼓動の波が止むことが無かった。そんな状態の私と居ても楽しくなかっただろう。でも、ただ…ただ私は身体を彼に預けるしか無かった。思考も身体も全て奪い取られてしまった。1枚…2枚…と…
残ったのは「恋」だった。
疲れた彼の寝顔に私の右手が伸びる。黒く艶やかな髪、スヤスヤと呼吸している整った鼻、目尻にある小さなホクロやソバカスどれもが愛おしくて抱きしめたいという衝動を抑えきれない。「好き…好き…」何百回、何千回言えば満足できるのだろう。
でも、触れたら全てが夢のように消えて無くなってしまう気がして触れることが出来なかった。伸ばした手を左手で支えながら所定の場所へ戻した。
そんな生活は虹色の日もあれば、深くて冷たい泥沼の日もあって自然に逢う回数も少なくなってきた。
ある日、彼とカラオケに行った。
以前、母がよく聴いていた
「ラヴ.イズ.オーヴァー」という曲が記憶の奥底に残っていて歌ってみた
「…悲しいけど、終わりにしよう、きりがないから」「…きっとあんたにお似合いの人がいる…」のフレーズが心に刺さって部屋中に広がった。虹色や泥沼の日々が脳裏に交互に鮮やかに、そして薄闇に蘇った。
彼の瞳が濡れていた…心の隅々を丁寧になぞるように…真珠のような綺麗な涙だった…
彼の涙を永遠に忘れることはないだろうと強く思った瞬間…。
「終わりにしよう」
…とポツリと私の唇が動いた。
……
「…もっと違う時間で逢えたら…」
…と彼は涙を拭いながら呟いた。
恋に理由など必要ないように、恋の終わりにも理由など必要ない。
恋には時を超えて闇も光も跳ね返す力がある。一瞬を永遠にする恋ができた人生に私は満足した。
今、雨音を聴きながら彼とソファーに座りコーヒーを飲んでいる。「今の彼が好き…」幸せな時間だ。
「好き…」は形を尖らせたり、膨らませたり、色をかえ変化する。肥大化した恋の熱は次第に1枚…2枚…と体から削ぎ落とされていき白く輝き続ける。
そして私は永遠の彼を愛おしく思いながら…人生は一瞬の出逢いがあるからこそ生きる価値があると心の囁きに耳を傾ける。