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手離される意識
『人間ってさ、睡眠なんていう厄介なシステムが必要なんだよね。
眠るとき、自らの意識を手離さなきゃならないんだから。
ボクはそんな無防備なことは、恐ろしくてできないけど。』
中学生の頃だったと思う。
ある漫画を読んでいて出てきたセリフに衝撃を受けた。
主人公の悪魔の男の子がつぶやいたセリフ。漫画のタイトルももう忘れてしまったけれど、セリフの主の悪魔の男の子が主人公のホラー漫画(だったと思う)。
絵が本当に美しくて、その美しさがまた怖さを助長して、13歳の私には刺激が強すぎて全然読めなかった。
それでもこのセリフだけは、なぜか強烈に焼き付いていた。
意識を手離す。
それまで、眠ることをそんなふうに考えたこともなかったし、眠いから寝るというただそれだけだったから意識がどうとか、それこそあまり“意識”していなかった。
だから驚きと同時に『眠るって意識を手離してるのか…』と、ちょっとだけ怖くなったのを覚えている。
悪魔は眠らない前提、つまり睡眠が必要ないと作者が設定したんだろう。
実際に悪魔に睡眠が必要か不要かはわからないけれど(笑)私たちに人間にとって睡眠は絶対的に不可欠だ。
それも人間の前提のひとつ。
つい先日、BLOGOSにアップされていた養老孟司氏の記事を読んだ。
youtuberになりたい子どもたちに伝えたいことというテーマで語られたメッセージは私たちが忘れがちな生きていることの意義を、根本から問いただすものなんじゃないかと私は感じた。
「ぼくらは『意識』を信頼しすぎているんです。
自分の意識が体を動かしている、と思っているかもしれませんが、そんなことはありません。
人間の場合、意識は本来、外の世界に対応するためにあるものです。」
朝目覚めるとき、自分の意識で目覚めるわけではなく、身体が起きるから意識が戻る。
眠るのも、そう。意識して眠ることは、できない。
この記事を読んだとき、中学生の時に読んだ漫画のあのフレーズが鮮烈にフラッシュバックした。
眠るという行為のとき、手離される『意識』
そのタイミングを、私たちは自分で選べない。
身体は“意識の中で使う”けれども、無意識の領域で“使われる”。
意識して使える部分が多いと思ってしまうけれど、無意識の領域が広大であることもまた忘れてはならない。
それでも自分でコントロールしなければならない場面は多々あるわけで
私たちはそれを実行すべく、日々トレーニングを重ねる。
トレーニングは大事だし、しなくなるとあっという間に衰えるし、身体でパフォーマンスしなければならない職種の人たちにとってはマストだ。
けれど、無意識の“自然の領域”を無視すると、身体にしっぺ返しを食う。
だからこそ、身体にとって自然な状態ということを知ったり、自分ではどうにもできない部分に対して謙虚に身体に向き合うことは大切なことだなんじゃないかと思う。
自分で意思をもって生きている。
そんな風に思いがちだし、それはある意味で間違いではないけれど、身体も含めてやっぱり自然の中に生かされている。
自分が経た身体の験(しるし)を通して、誰かに伝えていきたいと思う反面、まだまだ未熟だなと思い知らされることの多い日々。
だからこそ、一生勉強なんだなと思う。
だからこそ、起きているときはめいっぱい考えてみようと思う。
所詮、眠るときには意識を手離さなくてはならないのだから。