阿部純子 Junko Abe

Body Conditioning designer

阿部純子 Junko Abe

Body Conditioning designer

最近の記事

責任

責任。 この言葉を、この半年のうちにどれほど突きつけられただろうか。 責任者としての立場を担っているのだから当然と言えば当然だけれど、こんなにも重く大きく感じたことは、これまでになかったと思う。 何かを計画し、実行し、終えるまでのプロセスには、とてつもないエネルギーが必要だ。バレエの発表会と聞くと、小さな子達が踊りを繰り広げるほのぼのとした会を想像する人も少なくないと思うが、実際裏側はそんな生易しいものではない。大人も、もちろん子ども達も、プロダンサーも真剣に取り組む現場

    • わたしらしく、Aileらしく

      主催の発表会開催まで、ついに一か月を切った。 8月に開催だった会は、コロナの影響で会場が閉鎖となり11月の平日に延期開催することになった。舞台ができるだけでも、有難い。何とかみんなの練習の成果を舞台に乗せたい、今はただもうその想いだけしかない。 延期になったことで色々と変更を余儀なくされてしまったことがある。 会場、出演者、演出…等々。どれも仕方ないことだし、誰のせいでもない。 キャストの変更を何度も経て、ようやく形になったのは本番2か月前だった。ギリギリの状態だった。 出

      • 出会い

        先日、素敵な出会いがあった。 これを出会いと呼んでいいのか、身体的な介在のない出会いを”会う”と呼んでいいのか。そこは意見が分かれるところだと思う。 けれど素敵な映画や本との出会いも”出会い”と呼べるし、そのことを知らなかった昨日と知った今日では、自分が認識する世界の彩りは明らかに、違っている。 そういう意味でならば、”出会い”と呼んでいいのではないかな、と思っている。 少なくとも、私の中では。 テクノロジーの発展とともに、場所と距離を超越できたような錯覚に陥ってしまうこと

        • 寄り添うコト

          私は、大切な人に寄り添えているだろうか。 この夏、何度も何度も、数えきれないほど考えた、自分への問い。 予測外のこと 想定外のこと あるいは 想像以上のこと そんなことがたくさんあった、2020年の夏。 もちろんコロナ禍という前代未聞の状況も含めて、誰も知らない夏が来ていることだけは間違いない。 大切な人が、苦しんでいる様子も目の当たりにして、何もできない自分がもどかしく腹立たしかった。 寄り添う、っていうことを死ぬほど考えて、行動を起こして、これが正解なんじゃな

          Overconfidence ~過信~

          子どもの頃、誰しも一度は乗ったことのある公園のブランコ。 思い切り漕いで勢いに乗ったとき、柵を飛び越えられるんじゃないか…という衝動に駆られた人は少なくないかもしれない。 これは紛れもない『過信』。 あの柵は設計上、子どもが飛び越えられないように計算され作られている。 「自分ならできるのではないか」という気持ちは過信でしかなく、そこには実現できる確証がひとつもない。 特殊な訓練を重ねた大人ならば、あるいは可能なのかもしれないが、少なくとも子どもが遊具として遊んでいるとき、

          Overconfidence ~過信~

          パーマンのコピーロボット、そして体性感覚

          とある日。 広々とした公園を散歩していた。 こんなにのんびり散歩するのはいつぶりだろう。森の中特有のひんやりとした空気が肌に心地よい。高台の上に昇ると、夕日に照らされた街並みが見えた。 自転車の二人乗り、つかまった手に伝わってくる相手のぬくもり、ちょっと怖くて固まってしまう自分のカラダ。身体を横切る風と緑の匂い。 私はワタシのたった一つのカラダを通して、この日この体験をした。 同じ日は決して二度とやってこないし、(似たようなシュチュエーションはあれど)過ぎた時間も戻らな

          パーマンのコピーロボット、そして体性感覚

          Cry for the moon. ~あなたのいない朝

          カタチが自分を決めること。 状況が自分を決めること。 そのことを気づかせてもらって、私は前に進めた。 自分を貫くことは、時には必要だと思う。 けれど、自我を押し通そうとするのは、ちょっと違う。 自問。それが最善なのか?と自問することを忘れてはならないと思う。 『こうありたい』という想いの中に、他者への思いやりがあるだろうか? 『こうありたい』と願うことは、自己満足や自己都合ではないだろうか? 正しさや善意の押し付けに、なっていないだろうか? 確かに、やってみなければ

          Cry for the moon. ~あなたのいない朝

          手離される意識

          『人間ってさ、睡眠なんていう厄介なシステムが必要なんだよね。  眠るとき、自らの意識を手離さなきゃならないんだから。  ボクはそんな無防備なことは、恐ろしくてできないけど。』 中学生の頃だったと思う。 ある漫画を読んでいて出てきたセリフに衝撃を受けた。 主人公の悪魔の男の子がつぶやいたセリフ。漫画のタイトルももう忘れてしまったけれど、セリフの主の悪魔の男の子が主人公のホラー漫画(だったと思う)。 絵が本当に美しくて、その美しさがまた怖さを助長して、13歳の私には刺激が強す

          手離される意識

          抗えない前提

          正しさとは、何か。 この問いは、難しくもあり、またナンセンスでもある。 正義は人の数だけあり 正解は場面の数だけあり 正しさを決める前提は、環境によっていかようにも変化するから。 若いころは『正しさ』を伝えなければならない、と必死だった。 そもそも『正しさ』の何たるかも分かっていなかったし(今もわからないけれど)間違ったことを伝えてはいけない、と怯えていたのかもしれない。 自分を自分たらしめる前提。 それは生まれ持った自分の『肉体』 自分の『肉体=身体』だけは

          Gift。

          もう10年近くになるだろうか。 私は一人のバトントワリングの選手を指導させて頂いている。 基礎となるバレエのボディワークを学びたいと、私のもとを訪れてくれた。 実はその彼女が、サッカーを通じて鬼木さんのライブに至るまでのきっかけを私に作ってくれた。 ぜひ私は彼女に『覗く』や『comeの概念』を知ってもらいたいと思い、先日開催されたオンライン講習会を一緒に受講した。 (AC.gloriaの伊藤さん、鬼木さん、中野さん、ありがとうございました) 概念を理解し、自分の感覚に落

          カタチが私を決める

          思えば、私はずっとモヤモヤしていたのだろう。 スタジオを開設した、14年前のあの日から。 ------------ 2006年5月。 恩師の意を引き継ぎ、バレエスタジオ開設。 こんなふうに書くと順風満帆みたいに見えるけれど、実際はそんなんじゃなかった。 18歳までバレエダンサーとしては何も結果を残せないまま、突発性の病を発病。 病気で大学は中退。その後はバレエどころか日常生活も一切できず、入院ののち3年間自宅療養。 体調が思うように回復せず、ほんの僅かな外出さえも難しく、

          カタチが私を決める