自己肯定感の低い私がしていた10のこと、そしてそれを変えていく宣言 その3
3 体の酷使。私なんて疲れてはいけない。
ありがたいことに、大きな病気やケガもなく 年明けに50歳を迎えようとしています。
そしてそのことは、幸か不幸か
「自分の体を労る」
という価値観がまったく欠落した状態で
生きることに繋ってしまいました。
ひたすら頑張ること
ずっと走り続けること
ちょっと無理してでも動くこと
休むなんてズルいこと
私の体は動いて当たり前
それが正しいんだと、思っていました。
でもそれはちょっと違うんだなということに気づいたキッカケは、
体を労ることや体を大切にしている人がとても強くて優しくて美しく見えたこと、
そして、
がむしゃらに頑張れば頑張るほど満足感でなく虚無感を感じるようになっていた
ことでした。
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この虚無感をどうしたらいいの?!
虚しさでもう限界になった2017年。
その年末、がむしゃらにやってきたことを思い切ってすべてストップさせることにしました。
その途端、ひどい風邪と発熱で2週間ほど寝込んでしまい、引続き毎日眠くて起き上がれない日々が3ヶ月続いたのでした。
本当はこんなに疲れていたのに
そのことに気がつけなかったなんて…
体のことを気にしていないことは自分のことを気にしてないこと。
それは、自分を見失っているのと同じなのではないか。
自分すら大切にできない人に、
人を喜ばせることなんてできるのだろうか?
そんな人生でいいの?
・・・・・猛省。
Change→→→
私は私の体があるから、私として表現ができるんだ。
体の声に耳を傾けよう。
眠い
休みたい
食べたい
やりたくない
そして、
体の声と向き合う時間を意図的に作ろう。
ヨガ
整体
ストレッチ
目を閉じて静かに過ごす
深呼吸
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これを書いていて思い出したこと。
兄と大ケンカして、私、こんな暴言を吐いたのです。「私はあんたの奴隷かよ。もっと私を労れや!」
これ、私の体が私に言いたかったことだね(ㆁωㆁ)
てことは、人間関係って自分の心と体との関係の投影ってことなのかな?!
これは面白い研究課題ができました。
次回、
自己肯定感の低い私シリーズは第4回目。
「〇〇であること。〇〇、〇〇、〇〇への照れと軽視」