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子育てオススメ本:<叱る依存>がとまらない

「叱ると怒るは違う」


これはぼんやり頭のどこかに隠れていて、今まで何十回も聞いてきたフレーズ。


だけど、どこかよく分からなかった。


「怒るのはよくないけど、叱るのは必要だよね」

なんとなくまことしやかに、言われたらそんな気もしてきたこの文章も同様によくわからない。


何かがひっかかるんだけど、具体的にそれがどういう引っかかりなのか理解できずにいました。



今まで、世の中に対してぼんやり思っていたことの形が浮き出てきた…!

「<叱る依存>がとまらない」は、そんな本です。


叱ると怒るの違いは、結局何かと言えば、叱る側の感情の問題に過ぎない。
叱られた側は、怒られようが叱られようが感じるのはどちらも変わらずネガティブ感情。

これが本当に、たしかに。

たしかにでした。

結局のところ、怒るか叱るかなんていうのは、怒る側の自己満足だということです。

そんな風に考えた時、すっきりしました。
そうだよね、だって怒られた方は、嫌な感情が残るだけのことが多い。

自分を尊重して、真摯に意見をもらえたとは話が違う。


ただ一方で、みなさんも経験がありませんか?


「子どもが寝ころび泣き叫ぶ」

「走るべきではない場所で走り回る」

その他、私たちにとっては子どもの望ましくない行動を目にすることって数限りなくありますよね。


(え?我が家だけ?)


そういった時の、周りの目。


周りの目が気になる時に


「いや、子どもは今こうですけど、私もこれは望ましくないとは思っています。ちゃんと注意する気持ちはあるんですよ。」

というある意味正当性の主張をしたほうがいいかなと思う時がありませんか?

その時に、そのまま気にせずいるか、注意をするか、どうするか、色んな選択肢がありますよね。

その時に、大きな声を出したり、手を引っ張ったり、怖い顔をしたり。

そんな経験、ありませんか?


私は正直に言うと、あります。
周りの目が気になって、とりあえず周りに合わせる形で子どもをいさめるようにしたことが数限りなくあります。


「すみません」


この言葉を、子育てを始めてからというもの挨拶のように使うようになりました。

(「すみません」「ごめんね」がとりあえず出るお母さん、多いよね)


でも今、子どもの望ましくない行動どうするかと言えば、自傷他害の恐れがなければ、できるだけ様子をみたり注意にとどめます。

どうしてかというと、今自分や私たちに必要な能力を失わせてしまう可能性を考えているからです。

その、私たちに必要な能力というのは、

自分の頭で考えて、行動して、失敗すること。

これを支えるためにできることは、叱ることではない。
どちらかというと、子どもに必要なのは、あくまでも対等に壁打ち相手になること。

もちろん生きてきた時間は親たちの方が長いので、ある程度導ける部分もあります。


ですが、叱って強制的に変えようとすることでのマイナス面が、あまりにも多い。

例えば
本当のことを話せないようになっていったり、
極端な方向にいくきっかけになってしまったり、安心できる関係ではなくなったり。

「<叱る依存>がとまらない」を読んで。

叱るメリットが、私の中から削除されました。

そんな本です。



そしてこれは余談ですが…

「中絶」に関しての話が本書で取り上げられられていて。

なんとなくのモヤモヤが言語化されたことが、もう1点大きなポイント。

近年子育て世代の負担が、「子育て罰」なんて表されたりしていますが…

そうそう、これって、「女性罰」だよね、と。


読んだ方と、共感したいこの気持ち。


子育ての参考に、ぜひ、な一冊です。

今日もお読みくださりありがとうございました。



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