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私のペラッペラ道
先日、もう社会人の娘と話をしていたら会話から「まぁ、お母さんはペラッペラな人だからね」という言葉が。
一般的に社会人の子供にそう言われると、親としてどう感じるのか分かりませんが、私は嬉しいです。
だから返しも「うん、まぁ確かにそうだねー」と返しました。
ペラッペラ的な事はたまに息子にも(社会人)言われるのでなんの抵抗も無い感じです。
ペラッペラと子供達に言われて何故嬉しいのかですが、子供達は私を見て常に接して、感じている通りの母親だと思ってくれてるからです。
ちょっと分かりづらいかもですが、
ペラッペラで見たまんまの母だと思ってくれてると私は思っています。
そう、私を理解してくれてるのです。
その理解はペラッペラという言葉から分かる様に、決して尊敬できる立派な母では無いという事ですよ。
いや、むしろしょうがない存在という感じさえ、何せペラッペラですから。
それでも私にとって"すの私"を分かってくれて、それを許してくれてる子供達との関係性は安心出来て楽です。
だって自分そのままでいいのですから!
これってありがたい事です。
自分で言うのも何ですが、あまり裏表ない方だと思います。
私のペラッペラは日常的で、上下関係とか常識的にどうとか、人にどう思われるかとか、ほとんど気にしてません。
だから服装も色とか気にせず自分の着たい服です。
もちろん社会人として色々気にする方には失礼の無い様にしますが…。
とにかく日常社会人としても"すのまま"で居られるというのは大変ありがたい事です。
だってやっぱりそれは、それを許してもらっているという事だから。
ただ、許されるペラッペラには必要な事があって、それは自覚と責任を持ったペラッペラ道で無ければならないという事。
それが許される社会人のペラッペラ道なのです。
ペラッペラで"すのまま"でやった事は、きちんと何をやったかを自覚して、それがどんな結果になっても自分で責任を持つ覚悟が必要です。
社会人のペラッペラ道は厳しいのです。
でもどんなに厳しくても、やっぱり私はペラッペラで居たいのです。
自分らしく居られる事がとてもありがたくて幸せな事だと思うから。
これから歳を取れば取るほど、もっともっとペラッペラになる気がします。
そしていつか、自分の事が分からなくなってしまう時が来た時、とにかくなんだか分からないけど色々ありがたいなぁという気持ちだけ持ち続けていたい、それが…、
それが、私の究極のペラッペラ道でしょうか。
ペラッペラ道は厳しいのです。