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すごい人を発見してしまったんですよ。上杉謙信って知ってますか?

 半分は越後の血が入っているにも関わらず「越後の龍」?「越後の虎」?上杉謙信、および戦国時代を避けてここまで生きてきたじゅんぷうです、こんばんは。知らな過ぎてごめんなさいレベルです。山本五十六と田中角栄は通ってきてるのに。

 引き続き城郭検定のための勉強をしようとしては、こうして逃避するというくり返しなのですが、さすがに上杉謙信と彼にまつわるお城や戦いを避けては通れません。

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 ・謙信といえば春日山城。新潟県上越市。山全体を要塞化。天守はない

 ・実子を持たず、死後に養子同士が跡目争い⇒御館の乱

 ・乱で敗れた景虎が自害したのは鮫ヶ尾城

 過去問を元に叩きこんだ最低限のポイントですが、歴史は全部つながっているので、上杉謙信についてもう少し知っておこうかなとWikiを見てみたら……これだけ名を残している戦国武将だから当然ですが、関連する事柄が多すぎてドン引きしちゃいました。今から整理して叩き込むの到底ムリ❕ それほどの情報量の生涯を送った謙信公、とどめに享年49と知って、もう「ぶっとび…!」という感想しか出てきません。

 辞世の句がこちら。

四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒

 生涯を一杯の酒に見立て、この世で栄華を極めても夢のようにあっという間で二杯目はないという解釈でいいでしょうか。

 武田信玄と川中島で5回も戦ったのもそうだけど、何度も関東出兵で北条氏を脅かしていたのが、執念なのかほかに何かあったのか、とにかく春日山城を出たかったのかなとすら思ってしまいます。新潟と群馬の県境の三国峠を知る者としては、そんな時代の峠道を兵を引き連れてしかも雪の季節に毎年越えるとか、リスキーすぎません? 農兵の手が空くのが雪の時期だからとか理由はあるようですが、田中角栄が大雪に苦しむ新潟の民を憂いて「爆破しよう」って言った峠ですよ? 

 個人的に上杉謙信=越後のイメージが薄かったのは、謙信の死後に御館の乱を制して謙信の後継者となった景勝が、本能寺の変のおかげで織田軍の攻撃をまぬがれ⇒豊臣政権下では五大老となり会津へ移封⇒家康に対抗しようとする石田三成が接近⇒関ヶ原で三成が敗れ景勝は家康に降伏⇒減封されて米沢藩初代藩主となって存続⇒上杉家=米沢イメージになっていたためかも。米沢で、上杉神社や上杉家御廟所を訪れた記憶で固定されていたんです。

 こうして流れを確認すると、謙信が急死していなかったら歴史はどうなっていたかわかりませんね。さて勉強勉強。

 ヘッダーは上越観光Naviさんより拝借しました。

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