学術書の翻訳出版の進め方②:国内出版社への打診・翻訳権の購入・翻訳チームの形成
筆者 (樫原) は2023年~2024年にかけて2冊の学術翻訳書を出版したのですが,その過程で「学術書の翻訳出版の進め方について,ちょっとしたガイドがあればいいのになあ」と思うことが多々ありました。そこで,「学術書の翻訳出版の進め方」というシリーズ記事を書いてみようと思い立ちました。不定期で気の赴くまま書き進めますので,みなさまよろしくお付き合いください~。
シリーズの初回は,「『研究者が翻訳書を出すことの意義』にまず気づこう」というテーマでお送りしました。「翻訳書なんて出す暇があるなら,研究やって論文書きなよ」といった声もあるけれど,そのなかでもあえて出版することの意義ってなんだろう,というのを整理してみました。
シリーズ2回目となる本記事では,「よし! この本の翻訳出版にトライしよう!」と思い立ったならば次は何をする必要があるのか,ということを紹介します。翻訳出版の企画を立ち上げるまでの初期プロセスを把握して,順調な船出につなげていただければ幸いです!
ステップ1:国内出版社への打診
「この本の翻訳書を出したい!」という熱を出版社と共有しよう
あなたの専門分野で素晴らしい書籍が出版され,諸々のメリット・デメリットを考慮したうえで「この書籍を翻訳出版したい!」と決意を固めたならば,その熱い思いをどこかの出版社にぶつけましょう。ふつう,研究者だけでは書籍は出版できません。自費出版等の選択肢もあるかもしれませんが,「この洋書に書いてあることを日本にも広めたい!」という目的に照らせば,出版社がもっている販促ルートに乗せて広めていく方が手堅いです。また,不特定多数の読者に訴えかける以前に,「とある出版社のとある担当者」ぐらいは説得できるようになっておくべきでしょう。
そうは言っても,どの出版社にどうやって声をかけたらいいものか見当もつかないというケースもあるでしょう。僕もかつてはそうでした。まずは,以下のような基準で,どの出版社に声をかけるかを検討してみましょう。
原書のテーマと似通った書籍を出版しているのはどこか?
自分や身の回りの研究者とツテがある出版社はどこか?
自分が行く学会によく出展している出版社はどこか?
「研究者の持ち込み企画」に対して寛容な出版社はどこか?
僕の場合,『プロセス・ベースド・セラピーをまなぶ』の翻訳を企画したときは,「心理療法論についての書籍をたくさん出している出版社」をまず探しました。その際に,「金剛出版さんの出している雑誌の特集号に寄稿したし,単著の書籍も出してもらったな」ということを思い出しました。自分が出入りする日本心理学会や,臨床系の諸学会にもよく出展されているのでいけるかも・・・とお声がけしたところ,トントン拍子で話が進みました。
一方,『心理ネットワークアプローチ入門』のときは,「心理統計学の高度なトピックと,臨床心理学の先進的なテーマの両方を扱った実績のある出版社」を探しました。共同研究者の国里 愛彦 先生 (専修大学) が『計算論的精神医学』というとても良い本を勁草書房さんから出されていたので,そのときの担当さんを紹介してもらい,そこからトントン拍子で話が進みました。
ただし,「自分や共同研究者がすでに書籍を出版した実績があるから,この出版社に声をかけよう」という進め方をしてしまっては本末転倒だと思います。これまでの自分とは異なる方向性を追求するために翻訳出版したいというケースもあるでしょうし,「書籍のテーマと出版社のカラーの一致度」をまずは確認すべきです。そのうえで,ツテをたどってお声がけしましょう。ツテがまったくないのであれば,学会会場でテーマの近い本を並べている出版社さんのブースを見つけ,「いや~こういうのいいですね」と話しかけて名刺交換しましょう。
いま「学会会場のブース」という言葉が出ましたが,翻訳書を出版しても,売れなければその内容は広まりません。「学会シンポで翻訳者・監訳者の話を聴いて興味を持ったので,会場のブースで翻訳書を購入した」というアクションを誘発できるのが望ましいです。自分がよく行く学会はもちろん,たまたま行った学会にどの出版社が出展しているか,ふだんから気を配っておくようにしましょう。
また,ツテの有無にかかわらず,その出版社のポリシーはホームページ上でなるべく確認しておきましょう。出版社さんによっては,「研究者側からの持ち込み企画に関しては,科研費の研究成果公開促進費などで相応の費用を確保しておくこと」等のポリシーを敷いている場合もあります。詳細は尋ねてみないとわからないことも多いですが,検索すればわかる情報は最低限調べておきましょう。
お声がけする相手が決まったならば,その出版社さんに翻訳出版の意向を整理して伝え,翻訳権の確認 (→ステップ2) に動いてもらえないか相談しましょう。相手も商売ですので,「この企画は採算が取れる!」「この企画者なら翻訳をやり遂げてくれる!」と思ってもらえるように,以下のようなことをまず伝えると良いでしょう。
翻訳したい書籍の概要と魅力
その書籍で紹介されているアプローチについての,日本や海外での出版状況 (関連本の有無,学術雑誌でどの程度活況を呈しているかなど)
その出版社から過去に刊行された書籍との関連性
書籍に関心があり,翻訳作業を担当してくれそうな仲間がどのぐらいいるか
この辺りのことを出版社さんにお伝えするにあたって,「無理に自分を大きく見せる」というのはやめておいた方が良いと思います。たとえば,「知り合いに声をかけたら7人は翻訳に協力してくれるはずだから,13章あるこの本だってすぐ訳せちゃいますよ」とか言っておきながら,ふたを空けてみると2~3人しか集まらなかった,などがあると信頼を失ってしまいます。書籍で扱われているアプローチが日本でまだそこまで認知されていない,仲間がどれだけ集まるかわからない,等の懸念要素も正直に伝えましょう。「でも,こんなに魅力的なアプローチだから,何としても翻訳書を出したいんだ!」と率直に打ち明ければ,伝わる出版社さんには伝わるはずです。
例外ケース:出版社側から打診されることもときにはあります
ここまでは「この書籍を翻訳出版したい」と研究者側が持ち込むケースを想定してきましたが,ときには出版社さん側から「うちと組んで,この本を翻訳出版しませんか」という打診がくることもあります。そのときはそのときで,翻訳出版のメリット・デメリットを天秤にかけて判断するのが良いでしょう。
僕の場合,『プロセス・ベースド・セラピーをまなぶ』の翻訳作業を進めている最中に,「その本の前身である Process-Based CBT や Beyond the DSM の翻訳版をうちから出しませんか?」という問い合わせをとある出版社さんからいただきました。そのときは,「翻訳案件を増やすとキャパオーバーになるし,翻訳権がすでに他社に取られていそうだ」という理由で辞退しましたが,そういった障害がない場合には乗ってみるのもありだと思います。
ちなみに,その際にお声がけいただいた出版社の編集さんは,僕のnote記事を見て「プロセス・ベースド・セラピーにこれだけ打ち込んでいる研究グループがあり,読書会もやっているので,翻訳チームも容易に組めそうだ」と思ってくれたようです。ふだんの自分の活動をオープンに発信しておくのってやはり大事なんだなあ・・・と実感しました。
ステップ2:翻訳権の購入
原版の出版社から翻訳権を購入できて,はじめて出版のチャンスが生まれる
あなたの「この本を翻訳したい!」という思いが出版社の担当さんにめでたく伝わった場合,次は「日本の出版社から,原版の出版社に問い合わせて翻訳権の空き状況を確認する」というステップに移行します。小説などでもそうですが,正式な手続きを経ずに外国で翻訳書が出版されたならそれは「著作権の侵害」「海賊版」となってしまいます。たくさんの予算を投下した著作物をどう海外展開するか,判断する権利は原版の出版社や原著者らにあるので,日本の出版社からエージェントを通じて問い合わせを入れる必要があります。
この問い合わせを入れたときに,日本の他社がすでに翻訳権を購入済みだと判明するケースもあれば,「いま他社も興味を示しているので,オークションが必要になる」という返事が来るケースもあります。あなたが何かの書籍を手に取って「これは重要な書籍だ! ぜひ翻訳出版したい!」と思ったときには,同業者も同じことを考えているものです。あなたのキャリアで特に重要な書籍については,原版の出版情報をいち早くキャッチし,なるべく早く日本の出版社さんにコンタクトを取っておきましょう。
僕の場合,『心理ネットワークアプローチ入門』の原版が出版される前から「これはぜひ訳したい!」と出版社の担当さんに興奮したメールを送り,2022年のGW前に原版をゲットし,GWに一気読みして「やはり素晴らしい本だったので,翻訳権の空き状況を問い合わせてください!」とお願いしました。これぐらいスピーディにやれば,さすがに他社との競合なく平穏に翻訳権を押さえられるのではないかと思います。
翻訳権を購入するということは,相応の責任も発生する
翻訳権の空き状況を確認したあと,どういう展開になるかはケースバイケースです。「他社とのオークションが必要だとわかったから,社内会議で通常よりも多くの予算を投下して翻訳権確保に動くことにしました」と言われたこともあれば,「翻訳権が空いているようなので,まずは企画書作成に必要な情報をください。企画書が通れば,翻訳権を確保します」と言われたこともあります。いずれにせよ,日本の出版社の方々に前向きになってもらえない限り,翻訳権は確保できません。「日本の出版社さんに打診する前に,ちゃんとポイントを整理しておこう」とステップ1で書いたのはそのためです。翻訳者・監訳者と出版社さんで早期にビジョンを共有しておくことが,翻訳権確保の近道となります。
「翻訳権の購入」というのは,「出版社間の契約」にあたります。学術翻訳の場合,「翻訳権の購入から2~3年以内に翻訳書を出版すること」という条項が盛り込まれることが多いそうです。そのため,学術論文や日本語の書籍を執筆するときと違って,「他の案件で多忙になってしまったから,入稿時期を大幅に後ろにずらそう」といったことが気軽にできません。出版までの安全なスケジュールは出版社の担当さんが示してくれるので,それを守れるようにベストを尽くしましょう。最悪のケースだと,「翻訳者・監訳者側の作業が遅れ,期日を過ぎてしまったがために,出版社が追加料金を払う羽目になる」といったことも起きてしまいます。追加料金が発生した分はどこかで利益を回収せねばならないので,翻訳者・監訳者の印税をカットするか,翻訳書の単価を高くするかということになってしまいます。
これから翻訳・監訳にトライされる方には,「翻訳作業の実働開始よりも前に,出版社さんは予算を投じて翻訳権を購入してくれているのだ」ということをぜひ覚えておいてもらいたいです。何も成果物がない時点でこちらを信頼して投資していただいた以上,翻訳のクオリティ担保に全力を注ぐ責務がありますし,翻訳書ができあがった後も多くの人に買ってもらう努力を続けていかなければなりません。そのことを事前によく理解したうえで,出版社さんの信頼に応えられるようベストを尽くす。それが,よい翻訳書を出すための最低限の必要条件と言えます。
ステップ3:翻訳チームの形成
独りではなく,みんなで訳そう
翻訳権が購入できたら,いよいよ翻訳作業の開始となります。このとき,「独りで黙々と訳す」「複数名の翻訳者で分担する」「複数名の翻訳者を置き,その上に監訳者を配置する」という3つの選択肢があり得るのですが,「独りで黙々と訳す」というのはできるだけ避けた方が良いように思います。また,複数名でただ分担して並行して訳すよりも,全体のクオリティや整合性を担保する係である監訳者を配置するのが望ましいです。
なぜその書籍を翻訳出版するのかという基本に立ち返ると,「まだ日本の人たちがよく知らない知識を広めたい」「日本に新しい分野を定着させたい」という願いがそこにはあるはずです。であれば,翻訳の段階から積極的に他の人を巻き込んで,新たな分野の担い手候補をどんどん増やしましょう。もちろん,人手が増えてくると,翻訳スキルが十分でない人が入ってくる可能性や,翻訳者間で文体などのズレが発生する可能性も増すことになります。でも,それも新しい分野を日本に定着させるうえで必要なプロセスです。「関心はあるが,翻訳スキルが不十分で完全に参入しきれない」という人には,監訳で道筋を示してあげましょう。「翻訳スキルは十分だが,自分と文体が違う」という人がいた場合には,「たくさんある文体のなかから,何を選び取るのがベストか」をともに検討しましょう。
もう一歩踏み込んだ書き方をしておくと,1冊の書籍を独りで訳すというのは,ある種の傲慢や臆病が混じった判断ではないでしょうか。他の研究者が心血を注いで書き上げたものを訳すのですから,「自分1人では完全に理解できない箇所があって当然だろう」と考えておくのが自然です。「自分1人では太刀打ちできない箇所もある」というのを率直に認めるからこそ,自分にない強みを持ったエキスパートをチームに加えようとか,他の人とちゃんと議論してより上のレベルを目指そうとか,そういった前向きな行動が取れるようになります。
チームというのは良いことばかりではなく,ある箇所の翻訳や言葉のニュアンスをめぐる協議がたびたび必要になり,ときには意見が激しくぶつかってくたくたになります。でも,それを経ることで,「これがベストだ」という訳文にいつか辿り着くことができます。独りでは気づけなかったこと,できなかったことも,振り返ってみれば山ほどあります。"No pain, no gain" というやつです。他者との面倒で大変なやり取りをちゃんと経た訳文というのは,読めばわかりますし,不思議と胸を打つものがあります。逆に,そこを避けて出来上がった訳文は,そこかしこに詰めの甘さが目立ちます。独りでできることの限界を認めるのも,他人と手を組むのも,けっこう勇気や体力のいることです。でも,どうか信じてその労を負ってみてください。あなたが「すごい! 翻訳出版したい!」と思う本の価値を認めてくれる人は,きっと他にもたくさんいます。その人たちと真剣に向き合えば,ときにぶつかることがあったとしても,ともに良いものを作り上げられるはずです。
先々を見越すと,チームを組むメリットは大きい
だいぶエモーショナルな文章が続いたので,あえて打算的なことも書いておきます。翻訳者・監訳者のチームを組んでおけば,自分の身に何か不測の事態が降りかかったとしても,他の人にカバーしてもらうことができます。刊行スケジュールを独りで守り抜くのはしんどいことなので,重荷を少しでも分かち合ってくれる人がいれば安心・安全です。また,出版後の宣伝についても,1人ではなく複数人でやった方が効率的です。
さらに,監訳者という立場になれば,「誰が,どのぐらいのテンポで,どのぐらいのクオリティの仕事をしてくれるのか」という情報を一手に把握できるようになります。「この人はあまり自己主張をするタイプではないけれど,実はこんなに丁寧かつ的確な仕事ができる人なんだ!」というのを発見できたときの嬉しさは格別ですし,そうした人と新たな仕事を始めるきっかけにもなります。新たな頼れる研究パートナーを見つけるためにも,翻訳出版のときには,極力チーム体制を組むことをお勧めします。
まとめ
本記事では,「学術書の翻訳出版の進め方」シリーズの第2弾として,「国内出版社への打診・翻訳権の購入・翻訳チームの形成」というステップを紹介しました。各ステップに共通するのは,「いかに他人をうまく巻き込むか」ということだったように思います。チーム作りを丁寧にやっておくことで,単に「翻訳書が1冊出た」というところを越えて,本当に豊かな成果をたくさん得られるようになります。
次回の記事では,「翻訳作業」というものがどれぐらいの工程に分かれていて,トータルでどれぐらいの時間がかかるものなのかを解説しようと思います。その次の記事では,訳文を作るための具体的なノウハウを解説しようかな。また気の向いたときに書きます! いつになることやら・・・。お楽しみに!