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『関心領域』(感想)

2024年5月26日(日)

立川シネマシティ シネマ・ワンで『関心領域』(極音上映)。

思っていた以上にアート的な作り。感情誘導を一切しない。説明的な描写を削ぎ落しまくって、観る者の想像力に委ねる映画だと感じながら観た。「見せるだけです。あなたが感じるままに受けとめなさい」というような。だが、あとでいろんな論考を読んだりポッドキャストで聴いたりして次第に監督の熱いメッセージが実はあちこちから見てとれる映画であることがわかってきた(その例はここでは挙げないが)。

音が重要だと聞いていたので、極音で上映している立川に観に行った。それ、正解。音響環境の少しでもいい劇場で観ることをおすすめする。

ずーっと「向こう(=収容所)」の音が鳴っている。聴いていたくない嫌な音だ。鳴りやむことがない。だけど、観ていて、次第にそれが初めほど気にならなくなってくる。麻痺してきてるってことだ。あるいは聴こえているけど気にしないように無意識にしているのかもしれない。そういう自分に気づいて、なんだよ、それってこの家族と一緒じゃないかよと思い、怖くなる。こわっ。

わかっているのに、ないことに、夫と妻はしている。これでいいのだ。こんないい家に住めて、いい暮らしをして、私たちは幸せなのだ。そう思い込もうとしている……のではなく、少なくとも妻のヘドウィグ(『落下の解剖学』のザンドラ・ヒュラー)はどうやら本気でそう思っている。殺されたユダヤ人から奪った毛皮のコート着て、口紅塗って、それを悪いこととは疑わず、理想的な暮らしであると。

転勤を命じられた夫のヘスに向かって「絶対引っ越したくない」と妻は言う。どう考えてもどうかしてるが、彼女の価値観では当たり前のことになっている。それにも驚くが、とりわけ怖かったのが、使用人に対して言い放つこの言葉…「夫に頼んであなたを灰にしてもらって撒き散らすわ」。完全に夫の”仕事”を「理解」しているわけだ。

妻はそうして平然と暮らしているわけだが、母親はやはり異様さを察して家を出る。犬はずっと落ち着きなく吠え立てている。そして子供たちは徐々に変調をきたし……。この子供たちはどう育っていくのだろう。PTSDの症状が出ずに育っていけるはずがない。

画角の凝りようがすごい。横の移動、奥行きによる情報……。なんでもない平和な描写の隅のほうにはたいてい写ってちゃいけないものが写っている。その歪な連続性。

この1~2ヵ月の間に『オッペンハイマー』『辰巳』『マウリポリの20日間』『バティモン5 望まれざる者』と、ひたすら緊迫感の続く映画を続けて観た。緊迫感の連続性は、誤解を生みかねない言い方になるかもだが、面白い。『関心領域』でずっと続くのは緊迫感ではなく不穏さだ。歪さだ。とんでもないことが塀の向こうでずっと起きている、が、こっちでは特に何も起こらない。だから面白いか面白くないかで言えば面白くない。面白くないというより、なんだかずっと気持ちが悪い。気持ちの悪さが繋がり、見終え、そして考えて、いろいろ突きつけられる。目をそむけたくなる描写があるわけじゃなのに、あとになって具合悪くさせる強度がものすごい。

映画はこういう力も持つのだな。


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