好きなこと
ひとに良く思われたい。
綺麗に見られたい。
整っているふうに見られたい。
ちゃんとしてるように。
そうじゃないところを否定し、やっつけようとがんばる。
自分で自分をやっつけようとする。
とても辛い気持ちになる。
やっつける側も、やっつけられる側も。
「お前なんか嫌いだ!」お互いに言い合う。
それが外の世界に映って、
みんなが自分を嫌いで、自分もみんなが嫌いに見えてしまう。
なにも感じたくない。
考えたくない。
死んじゃいたい。
***
そういう時は無理せずに、あたたかくしてゆっくり過ごす。
好きなお茶とか珈琲を入れて、音楽をかけて、こたつでぬくぬくする。
中学生の頃に買った岩合光昭の写真集を出す。
美しい野生動物の写真。
地球の姿。
子どもの頃から好きだった。
自然や野生動物を取り上げたテレビ番組を夢中で見ていた。
テレビの中の、野生動物の保護活動に憧れていたなー。
かっこいい〜。
クジラの図鑑をノートに書き写したの、たのしかったな。
倉吉で見た岩合さんの写真展よかったな。
こぶし館での星野道夫さんの写真展素敵だったなぁ!
自分と仲良くする事が、自分にとって何よりも栄養になる。
自分と「好き」を共有するとしあわせな気持ちになるのだな。
長いこと「嫌い」でいっぱいだった気がする。
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わたしは、意識が自分から離れて人ごとみたいになることがしばしばある。
自分と関係が希薄になる、結果周りともそうだと感じてしまう。
優秀な人が羨ましくて、
簡単に人の才を欲しがるところがある。
これを、くれくれ坊主と呼んでいる。
自分じゃないもの、世の中の役に立つ、人から求められる存在になったら、
自分を認められると思ってる。
急いでそこに行かなきゃならないとカン違いするとき、
依存に行ってしまいたくなるときは今でも、ある。
だけど、わたしが素敵だなと感じた人たちは、
努力する事で自分を喜ばせ、それが結果的に人の役に立っている。
***
自分(からだ)と仲良くなる練習を始めて分かったこと。
くれくれ坊主になっている時は、からだが寒いか眠い。
疲れてるのだ。
にも関わらず、出かけたり、人に会ったりして、外からエネルギーを得ようとしてる。
「早く家に帰りなさい。」
「風呂に入って、寝なさい。」
これに尽きる。
休めば自然と自分で生み出すエネルギーで満たされる。
さっきまで自己否定と自己嫌悪の波で「うぅ、苦しぃ…」と半泣きだったけど、
温めてゆっくりできる環境を調え、
好きなことをしているうちに自然と満ち足りてる。
あたため&休息。
不安がやって来てぐるぐーるする時は、抵抗しない。
しんどいなー。
こんなこと思い出してるなー。
ちょっとヘビィな映画をなんとなく見てるつもり。
でも必ず上がるタイミングがある。
焦らない。
からだが「ふっ」と動くとき。
その時に「不快」を取り除いたり、「快適」な状態を調える。
「違うこと」をしない(やってたらやめる)。
それでだいたい大丈夫。成功。
うん、明日もがんばれそう。
布ナプキン作りたい。
絵日記書く小さなスケッチブックがほしい。
るんるん。