【169.水曜映画れびゅ~】『ナミビアの砂漠』~最悪だった自分へ~
『ナミビアの砂漠』は、9月6日から劇場公開されている映画。
今年のカンヌ国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞した作品です
あらすじ
退屈な毎日
21歳のカナは、目的のない日々を消化していた。友達から、高校時代の同級生が自殺した話を聞いても上の空。何事にも興味がなく、仕事も別にやりたいことをしているというわけではないようだ。
カナは、彼氏のホンダと同棲している。ホンダはカナを心底愛し、甘やかし、いつも優しく面倒を見てくれている。しかしカナのホンダへの愛は、ほとんどなくなっていた。
カナには、別の“いい人”がいた。自称クリエーターのハヤシだ。カナはホンダに嘘をつきながらハヤシとの関係を深めていった。ホンダにないハヤシの魅力が、カナには刺激的だった。
そんな時、ハヤシに「今の彼氏と別れてほしい」と言われる。するとカナはホンダに何も言わず家を出て、ハヤシとの同棲を始めた。
ハヤシとの順風満帆で刺激的な生活を、カナは期待した。しかし同棲を始めた2人の間には少しずつズレが生じ始め、カナは再び退屈を感じ始める。
河合優実と、山中瑶子
『愛なのに』(2022)や『PLAN 75』(2022)、『ルックバック』(2024)、『あんのこと』(2024)など、23歳の若さながら現在飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍する河合優実。そんな彼女が役者を志したきっかけの1つは、本作の監督である山中瑶子の影響です。
山中瑶子が独学で作り上げたインディーズ映画『あみこ』(2018)。河合優実は高校生の時にミニシアターで『あみこ』に観て、感銘を受けたと語っています。するとそのミニシアターでスカウトされ、別のインディーズ映画に出演し、役者デビュー。その後、河合は山中監督宛で「いつか一緒にできれば嬉しいです」という旨の手紙を出しました。
その時は特に返信もなく、6年の月日が経ちました。そんな時、河合の耳に「山中監督が商業映画を作るらしい」という話が入りました。そこで河合が「出たい!」と手を上げると、山中監督も「河合優実とやりたい」と思っていたようで、本作の“監督・山中瑶子/主演・河合優実”という形が誕生しました。
映画の企画自体はもともと原作ものだったらしいですが、結局は“監督・山中瑶子/主演・河合優実”以外は何も決まっていない状態で、オリジナル映画が製作されることになりました。
“映画監督らしくない”映画監督
映画のパンフレットを購入して山中監督のインタビューを読みましたが、「映画監督らしくない人だな」という印象を受けました。
今回の作品は温めていたアイデアというわけではなく、また監督自身、特に描きたいテーマは基本的に持っていないらしいです。今回の作品も5か月後にクランクインしなければいけない時期でも“主演・河合優実“くらいしか内容は決まってなかったらしいです。そこから「予算的に東京を舞台にした現代劇で」、「河合優実が今まで演じたことがないような役柄で」という発想を下地に、河合を含め様々な人とディスカッションを重ねながら構想を膨らませていったと語っています。
インタビューでは様々な映画作品のことも語っており、「さすが映画監督だな」と思う部分もあるのですが、山中監督自身は「生活よりも映画を優先したくない」と語っており、常に映画のことを考えているみたいな熱力は感じられません。
実際に上の記事では「生きている過程、その延長に映画を作れたらいい」と語っています。『あみこ』を制作していた時は、四六時中映画のことを考えていたらしいですが、コロナ禍や映画業界の性加害問題などにより、映画づくりに疑念が生まれ、無理してでも映画を作るという気持ちはなくなったらしいです。
そんな山中監督が本作の製作で大切にしたのは、撮影の環境作り。誰でも、どんなことでも発言できるような撮影現場を意識的に作ったと語っています。その姿勢は、河合優実を始め、他の出演者やスタッフにもいい影響を与え、様々なアイデアが現場で生まれたとのことです。
最悪だった自分へ
本作で描かれるのは、漠然と日々の生活に退屈を感じている21歳の女性 カナ。
友達の話は聞いてない。生活リズムは崩壊している。仕事はやっているけど、全然楽しそうじゃない。優しい彼氏はいるけど、嘘をついてすぐに新しい男のところへ浮気に行く。そして彼氏には何も言わずに新しい男と同棲を始める。でも新しい彼氏とはなんとなく合わない気がする。でも元カレとは寄りを戻そうとしない。
正直言って、映画を全編を通して“カナは結局、何がしたいのか”よくわかりません。その一方で、そんな彼女の姿はある映画を彷彿とさせました。
アカデミー賞にて脚本賞と国際長編映画賞にノミネートされたノルウェー映画『わたしは最悪。』(2021)です。
この作品で描かれる主人公像も、カナと似たようなところがあります。というか、ほとんど同じです。“20代で目的もなく生きていて、どこか不安な気持ちを抱えつつ、刺激的な生活を求めている”、そんな姿が両作品では描かれます。
『わたしは最悪。』を観た時、私は正直言って「一体何なんだ、この作品は?」とあまり共感できませんでした。しかし本作『ナミビアの砂漠』を観て『わたしは最悪。』を思い返した時、また違った想いが芽生えました。
それは、“誰だって、自分が最悪だった時がある”という想いです。
深刻な相談を友達からされた時、親身になって聞いている“ふり”をしたり、恋人からLINEがきても、「忙しい」とかなんとかテキトーな理由で返信しなかったり、かつての同級生の成功を妬んで、自分のことは棚に上げて陰口を叩いたり、働く意味がわからなくなって、もういっそ自分なんて一生働かなくてもいいのではと思ったり…。そんな“最悪だった”自分の姿が、それぞれの主人公像と重なり合いました。
20代前半。人生に漠然と不安を感じ、その不安を消化しきれないまま生きていました。その行き場の失った不安を拭いたくて、どんどん自分を最悪にしていくような時期があったと、私自身を省みました。
そんなことを思っていたら、山中監督がインタビューで次のようなことを語っていました。
自分が最悪だった時は、ただ生きることに不安でいっぱいで、余裕がありませんでした。でも今、映画を通してそんな自分を振り返ってみると、別にその時間は無駄ではなかったのかもしれないと思えます。『わたしは最悪。』を観た時は、まだそのことに気づいていなかった、“まだ最悪だった”時期だったのかもしれません。でもあれから2年が経った今、自分の過去を客観的に捉えて、今ではこんな文章を書けていることに、我ながら自分の成長を感じます(笑)。そしてその成長は、“最悪だった”自分があるからこそのような気がします。
前回記事と、次回記事
前回投稿した記事はこちらから!
これまでの【水曜映画れびゅ~】の記事はこちらから!
次回の更新では、今年のカンヌ国際映画祭ある視点部門に出品された池松壮亮主演の作品『ぼくのお日さま』を紹介させていただきます。
お楽しみに!