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意味のない話「習慣化」

こんにちは。
じゅんじです。

今夜は意味のない話をさせてください。

ここ最近、途切れることなく
記事の更新ができています。

数ヶ月前までは
"毎日更新の奴隷"のように
記事を書いていましたが、
今の記事の書き方は奴隷のような感じではなく、
日常の行動として記事を更新しています。

こんな日常の行動になったので
毎日記事を書くことも苦ではなくなるし
記事を書くことも少し怠っても
そんなに自分を否定することは無くなりました。

よく「習慣化が大事」の言葉をよく耳にしますが
習慣化って本当にすごく大変なんです。

ぼくが毎日記事を書き続けて
習慣化できた頃(書いていて苦でなくなった頃)は、
先ほども書かせていただきましたが、ここ最近の話です。

2年間ほど続けてやっと
この状態までいけました。

もともと文章を書くことは得意じゃないし
なぜか書き続けたことによって
文章を書くことが上手になった…、
までとは言えませんが
文章を書き続けることは得意だなーとは
言えるようになった気がしています。

「習慣化」という言葉は
そんな簡単に言えることではないなー
と今感じています。

「習慣化」の言葉を
とりあえず辞書を引かずに
僕の言葉で定義をつけると
「モチベーション関係なく、行動に苦もなく、続けられること。」
だと思います。
(辞書でもなそんなことが書いていました。)

なにかスキルを身につけようとして
習慣化しようとすることは
とても難しいことなので、
「できないのが当たり前」という前提。

「できないのが当たり前」だから
できたらすごいし、
できなかったらできないで
策を考えればいいと思ってる。

僕は継続することは
まあまあできるのですが、
継続力よりも
意味が見えないものに向かう力が
あるのかなーと思っていて。

と、まあカッコよく言いましたが
「無駄な行為」がわからないから
継続できることができるんだと思っています。

この記事を書きつづけた時間はかなり大きくて
でもその大きな時間で獲れるものは何かわからないんです。

そのわからない状態が、
「無駄な行為」と捉えられるかなーと思ってるんですが、
無駄な行為と感じることなく
継続できているのが
この記事の更新なんです。

無駄な行為は後々に意味を持たせることもできるから
無駄と向き合って今夜も記事を書き続けます。

「習慣化」はなかなか難しい行動なので、
「とりあえずできない」を前提して、
「意味が見えない」ものに向き合うことが
ぼくが継続できているコツです。

そしたらいつか習慣に辿り着きました。

なので習慣化ってそんなキラキラしたものでも
かっこつけれるような言葉ではないかも。
僕にとっては。

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