素人のための法学入門 #18

18~…

国民感情を味方にする自然権の行使
 
先生 「形式的には犯罪行為でも、全ての人間がその犯罪を許すことがあります。例えば、14歳未満の少年の場合は、刑事責任に問われないと言うのはご存じですか?」
 
学生B 「えっ。そうなんですか?じゃあ14歳未満はやりたい放題?」
 
先生 「いや、そんなことはありません。刑罰は科されないということです。それなりの処分は受けますよ。」
 
学生A 「どうしてそうなっているんですか?」
 
先生 「14歳未満は、まだ精神的に未熟で、自分を抑えることができないと考えられているのです。」
 
学生B 「自分を抑えることができなければ、罪を犯しても犯罪にならないんですか?」
 
 
先生 「刑法は、罪だとわかっていて罪を犯す人間に対して刑を言い渡すのです。つまり、やめようと思ったらやめることができたにもかかわらず、それでも行為に踏み切った人間に対してのみ刑罰を科すのです。そうしたとき、自分を抑える力がある人とない人が居ると考えられていて、14歳未満はこの力がまだ弱いと考えられているのです。」
 
学生A 「14歳でも我慢できるような気がしますけど。」
 
先生 「どうでしょうね。これもやっぱり一つの線引きなのです。実は、この14歳未満というのも、元々は16歳未満だったのです。神戸連続児童殺傷事件等の一連の事件がきっかけとなって、年齢が引き下げられました。」
 
学生B 「でも、それだと自分を抑えることができない年齢だから下げたっていうより、16歳未満の人に犯罪を犯させないように下げたっていう感じですね。」
 

先生 「ええ。14歳に下げることによって、抑止効果を狙ったということが言えますね。ですがら本来の趣旨からすれば、理論的にはおかしい引き下げのように感じました。これも自然権の行使によって法律が変更された一つの例ですね。このようなことがあったので、10歳とかでも将来は似たような事件が起きそうな気がしています。今までの話からすれば、14歳という線引きは、必ず正しいとは言えないわけですね。ですが、同時に間違っているとも言えないのです。14歳よりも下の年で事件は今後起きるかもしれません。だからといって、10歳で事理弁識能力があるかどうかはおそらく見分けがつかないのではないでしょうか。」
 
先生 「少年の場合は、まだよく物事をわかっていない年齢だから、突発的・衝動的な行動に出やすいとされているわけですね。犯罪の認定には国民感情というものも視野に入れなければならないことがあります。この人が罪を犯したのは、やむを得ない事情があったのだと本当に認められた場合には、犯罪だと認定されないこともあるのです。」
 
学生A 「そうなんですか?」
 

先生 「はい。やむを得ない事情がある場合を既定しているのは、刑法第39条です。『心神喪失者の行為は、罰しない。』と書かれており、実際、法廷で弁護士が主張することは、ほとんどがこれです。そういえばこれも、殺人をしながらも殺人罪にはならない例ですね。」
 
学生B 「どうしてこれで犯罪が犯罪じゃなくなっちゃうんですか?」
 
先生 「 心神喪失者というのは、何らかの事情で頭がおかしくなっている状態ということです。難しく言えば、精神上事理を弁識する能力が著しく低下している状態と言われます。少年が刑罰を受けないのも、少年にはまだ物事の是非を判断する力がない、あるいは乏しいとされているからです。刑罰を科すよりも、その人を再教育したほうがいいと判断されるからですね。」
 
学生A 「難しい・・・。」
 

先生 「簡単に言えば、人間の中にも動物性があると思ってください。人間は普段、この動物性を制御することができるようになっています。理性というものですね。ところが、この理性というものが働かなくなっている場合があります。そうなると、自分では自分の行動を抑えることができなくなってしまいます。つまり、精神の病になっている人とか、そういった人は。」
 
学生B 「そんなことってあるんですか?」
 
先生 「一つだけわかりやすい例を出せば、戦争で心に傷を負った人が、終戦後に帰ってきたとき、大きな物音を襲撃と捉えてしまい、自分を守るために人に襲い掛かって殺してしまった・・・とか、そう言うことだったら考えうるのではないでしょうか。」
 
学生A 「 ・・・なるほど・・・。でも、国民感情とかって、そんな曖昧なものをどうやって考えたのでしょうか。議会の少数の人たちが勝手にきめたんじゃないんですか?それに、これでどうして犯罪が許されるのかいまいちわからないんですけど。」
 
先生 「まぁ、そうではありますけど。今までの話で、国民感情が犯罪を許した例は、既に出ているのですよ。」
 
学生A 「えっ?」
 
先生 「ロシアの国民がプーチンを許している感じですよね。全国民ではありませんけど。」
 
学生A 「なるほど。これが国民感情なんですね。」
 
先生 「そうですね。日本の刑法でいう国民感情というのは、議会側がそう決めたからだとは思います。しかし、刑法は法律の一つです。法律は結局自然権の行使主体である国民が作るものですから、国民全体が許してしまえば、法律があったとしても、その罪は許されてしまうのですよ。それが法律というものの曖昧さなのです。例えば日本でも、森加計問題が起きましたが、今は国民の気持ちが静まって、別の方に目が向いていますよね?のど元過ぎれば熱さ忘れるという政治家がよく使う手段です。結局罪が許されるかどうかは国民の気分次第、利害関係のあるなしなのです。プーチンは、国民感情を味方に付ける自然権を行使したのです。」
 
学生A 「ほんと、何でもありですね。どうして私たちはそんな人たちを直ぐに許せちゃうのだろう。」

先生 「人の価値観なんてたかが知れています。『遠くの親戚より近くの他人、遠くの犯罪者より、近くの嫌な奴』です。そして、私たちも個人的に、自分がしてしまった悪いことを許してもらうことがあるのです。中には泣いて謝れば許してもらえるという考えの人さえいるではないですか。刑法に抵触しない我々個人間の悪いところは、その人の感情に訴えれば許してもらうことがあるという思いですが、それのまさに国版です。」
 
学生B 「確かにそうですね。」
 
先生 「とにかく、戦争で心に傷を負った人を処罰しても、次からやらないようにさせる刑罰は効果がないし、そんな人をこらしめても見せしめにならないのです。病人だから仕方がないのですね。それよりも、心の病を治してあげた方がいいんですよ。そして、少年には刑罰よりも教育をしていく方が重要だと言われているのです。」
 
学生B 「へ~。そういうことか。刑罰は犯罪をなくすためだとか、犯罪者をこらしめるためと考えていたのですが、思ってたのと全然違って、どちらかというと優しい気がしますね。だから神戸のもあんなひどい事件起こして死刑にならなかったんですね。」

先生 「そうですね。Bさんの言われた二つの目的があることはその通りです。しかし、刑罰は本当に最終手段とされています。それに、嫉妬などによって自分では抑えが利かなくなることは健康な人にも多いのです。私はこうした一つ一つの衝動的な行動は、急性精神病だと思っています。」
 
学生A 「急性精神病?」
 
先生 「はい。嫉妬は時間がたったり、状況が変化すれば治まりますよね?それと同じく、殺人にはついカッとなったという理由が多いです。つまり、頭に血が上ったことで殺人者になったとしても、その状態がいつまでも継続するわけではありません。でも頭に血が上っている間は自分の行動を抑えることができなくなる。
 とりあえず、自分を制御できないような精神状態に人間が陥ってしまうということはありうるということはわかっていただけたと思います。健常者の場合でも制御ができなくなることがある。精神病は常時こういう状態が継続しているのだと考えてください。」
 
学生B 「え~。じゃあ、あの不快な感情がず~っと続いているのか・・・。それは苦しいな。」
 
先生 「いえ、そういうわけではないのですが、とにかく自分が制御できない状態があるのですよ。トゥレット障害とかも一種の精神病です。突然奇声をだしたり、手が震えたりする病気ですね。ですが周りの人に危害は全くありません。」
 
学生A 「なるほど。本人たちも苦しいんでしょうね。」
 
先生 「ほとんどの精神病は、自覚症状がないことが多いですね。苦しんでいるというのは、常時痛みを感じているとかですよね。そういう意味でいえば、痛みみたいなものはないかもしれません。本人も自分が周りからどう見えているのかわかっていないのではないでしょうか。わたしたちでもわかりませんけどね。自分がどうみえているかなんて。」
 
学生B 「よくわからない・・・。」
 
先生 「私も精神病の人に直接出会ったことがあり、実際に話をしたこともありますが、精神病の種類も千差万別であり、一緒くたに考えることはできません。精神病の人は、自分のルールを持っていたりして、人とはうまくかみ合わないことが多いだけであることも多いのです。」
 
学生B 「へぇ・・・。知らなかった。例えば変な行動をとるって、どんな行動なんですか?」
 
先生 「私が出会ったことのある精神病の方は、一度もあったことがないのに、私が既にその人のことを知っているかのように話を開始してきます。そして、『何のことですか?』と聞き返すと、にらんでくるんです。」
 
学生A 「・・・。わけわからない。怖いですね。」
 
先生 「怖くはありませんでした。私はもうこの症状がどういうことかわかってましたからね。私はこの人と30分以上会話しましたが、本人がすっきりするとそのまま帰っていかれましたよ。」
 
学生B 「一体何だったんですか?」
 

先生 「女の方だったんですが、被害妄想系の統合失調症のようでした。北朝鮮の人が裏に住んでいるんだ、とか、警察が私たちの土地を狙っているんだとか、そういうことばかり言うんです。で、私が話そうとすると必死で会話を遮ったり、自分の近親者をばばぁとかじじぃとかいったりしていましたね。何だか周りの人をとてつもなく馬鹿にして軽蔑しているように見えました。」
 
学生A 「うわぁ。すごいですね。」
 
先生 「このタイプの精神病の方は、とにかく話を聞いてあげること。そして、決して言うことを否定しないことが重要です。攻撃性が高い精神病者もいますが、これは防衛本能の力が異常に高い場合ですね。さきほどの例であげた戦争帰りの人も、防衛本能の力が非常に高くなっており、抑えがきかないからだと思います。攻撃は防衛より生ずるのですから。」
 
学生A 「やっぱりそういう人もいるんですね。」
 

先生 「そうですね。精神病の人は、精神の命令に忠実に動く人ではあるのです。奇抜な行動はするものの、攻撃する命令がない限り攻撃はしてきません。むしろ自傷行為などの方が多いかもしれませんが。私たちは彼らが理解できないから不安や恐れを抱くのです。」
 
先生 「とりあえず、仮にこういう人が犯罪を犯しても、全く刑罰としての効力はないのです。そしてもう一つ。そのまま犯罪者と認めるには、少し犯罪者の方がかわいそうだな、と思うことがあります。例えば、最悪な交際相手に暴力を振るわれてしまい、苦心の果てに殺してしまったとか。そういったことは世の中にあるものです。そうしたとき、情状酌量といって、刑が減刑されることがあります。つまり、国民感情からして、犯罪者にそこまでの罰を与えることもないのではないか?とか、被害者にもかなり問題があったのではないか、と判断されることがありうるのです。こういうことは周りからなかなか見えるものではないので、悪い犯罪者は、相手にかなりの問題があったようにでっち上げることもあり、なかなか難しい問題です。」
 
学生B 「じゃあ、頭に血が上った人は、精神の病に一時的にかかっているので、刑は免れちゃったり、減刑されたりするんですか?」
 
先生 「それが本当であったとしても、刑を免れたり、減刑されたりすることはないと思います。おそらく、精神病かどうかというよりも、この理由の殺人が非常に多いために、殺人罪を適用するほうがよいと判断されているのではないか、と思いますね。人によっては、殺人をしようとすること自体がすでに病気だ、という考えの人もいますから、精神病は理由にならないと考えている人もいるのです。ここは非常に難しい所で、精神病というものを全く信じていない人もいますね。
 しかし、精神病というものは間違いなくあると私は考えています。精神とは何か、その理解が重要になってきます。」
 
学生A 「う~ん。精神って私たちの目に見えません。本当におかしいのか、おかしいふりをしているだけなのか・・・。どうやって判断するんですか?」
 
先生 「そこが難しい所ですね。精神についての研究はまだ発展途上で、わからないこともたくさんあるわけです。ただ、今の段階で一つだけ言えることは、精神の命令は神経を通って肉体に伝わるということです。ここが病気になると、うまく肉体に命令が伝わらなくなったり、変な命令が伝わったりすることがあるのです。『神経』という漢字を見れば、神が経る=神の通り道を言います。そのため、精神病の人は私たちの目から見て奇妙な行動をとる人が多いのです。
 精神というものがもっと解析されていくと、ついカッとなるというのも精神病だと認定されることはあるかもしれませんね。精神病の本を読んでみると、面白いことに、一つの筋が通った行動をとっているということがあるのですよ。しかし、私たちから見れば、とても奇妙なのです。興味がある方は調べてみてください。」
 
学生B 「それで許されるなら何でも許されるような気もしますね・・・。」
 

先生 「例えばサッカー選手は自分がドリブル突破された場合、プロであり、かつ、ファウルであるということが十分わかっているにもかかわらず、相手を掴んで倒したりすることがあります。あれも、ついやっちゃった、という程度の感覚ですよね?ですが、審判はその行為にファウルを言い渡します。そのファウルは、「点を入れられてしまうから止めなければ」という感じの、言葉にもならない精神の命令が神経を通って体に伝わるから起きるのです。全ての選手は自分の制御ができていないでしょう?にもかかわらずファウルを取られていますよね。」
 
学生A 「あ~。だからファウルしちゃうんだ。ほんと、一瞬ですよね。」
 
学生B 「本当だ。僕もサッカーの時、ついファウルしちゃうんだよな。ああいうとき、とっさに動いちゃう。」
 
先生 「はい。プロであるにもかかわらず、ファウルは1試合に必ず1回、いや、4~5回以上は軽くしちゃいますよね。神経は電気が走っているのです。ですから、少なくとも電気が流れる速度で命令が伝わるので、人がついて行けるようなスピードではないのですよ。」

学生B 「ということは、ついカッとなって殺人をした人も、そういう感覚で体が勝手に動いたということか・・・。サポーターたちもファウルなんてよくあることだという感じで見ていますよね。自分達が応援したチームがやられたら文句を言いますけど。」
 
先生 「そうですね。もし単にカッとした人が『精神病』と認定され、事理弁識能力がないと判断されるようになると、計画的に行動を起こした人だけが殺人罪になるでしょうね。そこで、計画性があるかどうかを一生懸命立証するということになっていくかもしれません。また、事実関係をとらえて、カッとなっても仕方がない事情であるかどうかを認定する。無いと判断した場合は刑罰を科す。すると、計画性がある方がかえって罪になってしまうので、殺したいと思う人のところへ行って、カッとなってもおかしくない状況を作り出し、自然を装って殺害する、という人間も出てくるかもしれませんね。」
 
学生A 「う・・・。すごいですね。そこまでいくと。」
 

先生 「はい。それはさすがに面倒だし、かなり運も作用しますから他の方法を取った方がいいと思いますけどね。ですが、それで刑罰がまぬがれたとしても、その人にはもっと恐ろしいことがあります。何だと思われますか?」
 
学生B 「ええっと・・・。」
 
先生 「何度もお話しているように、周囲の目です。犯罪者にはならなかったかもしれませんが、ついカッとなったら人殺しをするやつだということになると、みんな怖くて近づかないでしょう。肩身が狭くなるのは間違いないでしょうね。」
 
学生A 「そっか・・・。法律も怖いけど、結局は周囲の目が怖いってことですね。」
 
先生 「はい。ですから例えそれで犯罪者にならなかったとしても、自分の人生は、周りの目をより強く意識するようになり、気持ちのいい人生にはならないでしょうね。周囲の目は自分の心の中にあります。そういう意味で抑止力が働き、そんな理由で再び殺人を犯すことは結局なくなる、ということは考えられます。」
 
学生A 「なるほど・・・。」
 
先生 「私個人の意見はね、ついカッとなったっていうのも、急性精神病だと思うんですよ。つまり精神病の一種です。しかし、精神の研究はまだそこまで解明されていないだろうし、現在の殺人動機の大半を占めます。ですから、例え精神病でも、政策的に殺人罪を免れられないようになっているのではないか、と思いますね。」
 
学生B 「精神の研究ってそんなことまでわかるんですか?」
 
先生 「私は詳しく学んだことはないのです。人間の動きから観察した結果を今ここで言っているわけです。今の精神病研究がどこまで進んでいるのかは、ご自身で調べられてください。ひょっとすると、ついカッとなって、の正体もわかるのではないでしょうか。」
 
学生A 「先生が今考えていることを教えていただけませんか?」
 

先生 「そうですね。あくまでも私の考えですが。ついカッとなって、というタイプの人は、何かを止めたがっているように思いましたね。サッカー選手がファウルをするのは、点を入れられることを防ぐため。同様に、ついカッとなってしまった人も、それ以上目の前の人間に好きなように行動させないようにするため。嫉妬をする人間も、自分が望まぬ立場に付こうとする者を排除せんとするがため。口封じをする権力者。ウクライナに侵攻するロシア。これらのことから考えて、精神に真意を問うとこういうことかもしれません。
 
殺人者の精神 「私はその者の命を奪いたかったのではない。私は、その者がこれから取る行動を、確実に、永遠に止めておきたかっただけなのだ。」
 
学生B 「なるほど・・・。」
 
先生 「これだけが殺人のきっかけとは限りませんけどね。自分のためであることは間違いないです。こうなると、相手を攻撃する動機は、その者を攻撃するのではなく、その者の行動を止めるための手段の強弱である、ということにもなりえます。殺人が最も確実で最強。暴力が中間。罵倒や不快的な発言などが最弱の行為。私たちが死刑を犯罪者に下すのも、そういう理由を含んでいますね。」

この章のまとめ
① 犯罪とされた行為であったとしても、国民感情により、刑が免除されることがある。
② 例えば、精神病の人。あるいは14歳未満の少年。
③ 刑罰は、自分が行為を止めようと思ったら止めることができたのにもかかわらず、それでも行為に及んだ人を対象とする。自分で止めることができない人に刑罰を下すのは、再発防止効果も、抑止効果もないと考えられるから。それよりは病を治したり、再教育を行う方がよいと考えられている。
④ 殺人など、犯罪の根元には、精神の衝動がある。したがって、ただ処罰をすれば解決に向かうという単純なものではなく、精神を解析することも重要となってくる。

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