よくわかる法律入門 #3 自由主義について
3回目~
合間の会話①
先生「権利と義務について、分かっていただけたでしょうか。そして、ついでに責任についても触れましたし、自由についても何のことかわかっていただけたと思います。」
学生A「はい。権利は見えない利益。義務はその利益を満たすためにやらなければならない行動。責任は、それに伴って生じるリスクとか、自然の減耗を引き受けること・・・でしょうか。」
先生「素晴らしいですね。自分の言葉にできていますね。ただ暗記するだけではなく、自分の言葉に置き換えて表現できるようになるといいですよ。」
学生B「自由って何でもやっていいことだと思っていました。もっと簡単に考えていました。高校は不自由だけど、大学に入れば自由だって思っていましたし。僕が考えていた自由って、なんとなくそんなものでした。時間に束縛されないというか・・・。」
先生「大学は確かに自由度と言う意味では高校よりも上かもしれませんね。何でもやっていいと感じてしまうのは、自由と言う言葉の自が、自然権の自だからでしょうね。ですが、自由は自由で大変ですよ。本当に何でもやることができてしまうほど、世の中甘くはありませんし、自然義務は、満たしたい自然権の内容によって千差万別、難易度もピンからキリまであるわけですからね。」
学生A「それは、自然の制約を取り払うのは自分だ、ということだからですね。」
先生「ですね。で、今は原始時代ではないですから、自然の制約に合わせて大変なのが、既に作られた法律の制約を突破することや、他者からの精神的制約を突破すること、自分の精神的制約を突破することなど、多くの見えない課題があるのです。」
学生B「なんですか?それ・・・。」
先生「法律の制約はわかりますよね?法律で色々と制限が加えられている、だから、それを突破しないといけない。これだけでも大変。
他者からの精神的制約とは、例えば、あるじゃないですか・・・。『私は認めない!』とか言って首を縦に振らない人とか。いろいろな反対意見を言って、そのために、私たちが満たしたい自然権の充足を妨害しようとしてくる人とかね。そして、自分の精神的制約とは、自分から遠慮がちになってしまって、うまく自然権が充足できない、といったことですよ。つまり、自然権が認められているからといって、いろいろと気を遣ってたら、何もできないっていう状況が、よくあるんですよ。」
学生B「なるほど。ありそうですね。特に日本は、外国と違って自己主張しない方向みたいだし・・・。」
学生A「日本は自由主義だって言われていますけど、実際法律は多いわけですよね。自由主義って言われても、何だかあまり自由な感じがしません・・・。」
先生「そうですね。ここはついでに、自由主義について、私なりの見解を述べておきます。」
自由主義とは?
先生 「日本は自由主義であると言われます。自然権は国に信託されたため、一定の制限を受けることになります。それ以外は、出来る限り自然権を認めていこう、という流れでした。このように社会を構成していくことを自由主義と言います。
逆に、全ての自然権を国のために捧げるような状態を、全体主義と表現します。つまり、全ての自然権を国に集め、個人の自然権は認めない。絶対に認められないわけではないけど、どこまで認めるのかは全て国側の都合による、と言った形ですね。」
学生A「へ~、そういう意味だったんですね。滅茶苦茶意味が分からない言葉だったんですよ・・・。」
先生「自然権がどうのこうの~なんていう切り口で説明しているのは、恐らく私だけじゃないかなと思いますけどね。だから、もしテストに出されて、自然権が~と書くと、採点する人によっては×を食らうかも・・・。いや、その可能性が高い気がする・・・。」
学生B「先生の話に人気が出ないのは、そのせいなのかもしれませんね。学んだところで、お金を稼げたり、自分の生活に役立てたり、実用的とは言えませんし。どこの馬の骨ともわからない先生の話に耳を傾けるのは、僕たちくらいかもしれませんね。」
先生「ひどいですね(笑)。でも、何も言い返せない。確かに、人は興味のないことには、恐ろしいほど興味を持ちません。例え、それが重要なことでもね。」
学生A「例えば、社会主義とか、共産主義とか、帝国主義とか、保守主義とか、資本主義とか、わけわからないです。何がどう違うんですかね・・・。」
先生「全てをお話はできませんが、そこまで行くと、法律の範囲を超え、経済体制や政治体制の話にもなっていきますね。そのあたりは、話の流れからそれていくので、たちまちはご自身で調べてください。私も話の流れにマッチすれば、話そうと思っています。私が話せるのはあくまでも法律に関係がある場合だけですね。」
学生A「とりあえず、自由主義というのは、出来るだけ自然権を保証していこうという主義なんですね。」
先生「そうですね。これは、ヨーロッパの絶対王政や、教会権力からの干渉を受けない、と言う意味での消極的な意味が始まりでした。しかし、本来人間は自由なのですから、国との関係で一定の制限はあるものの、今では積極的に自由を実現していく、と言う意味になっています。この一定の制限さえも取っ払ってしまうと、無政府主義ということにもなり、個人主義、と言った言葉にマッチしていきます。つまり、国へ自然権の信託を行わない、と言うことになるわけですから。」
学生B「なるほど。」
先生「無政府主義というのは、つまり自然人の数だけ国ができる、と言う意味でもあります。でも、それだと自然状態になり、互いが争い合うことも想定されなければなりません。そこで、それぞれの自然人たちの良心に基づいて、互いに助け合う、相互扶助等の精神を大切にする思想でもあります。その個々人や、その共同体が国であるとするため、国自体を否定するわけではありません。老子の言う、小国寡民のようなものですね。一つの疑問は、果たしてそんなに善良な人間ばかりだろうか?果たしてそんなにうまくいくだろうか?ということはありますね。」
学生B「確かに、人の善意のみにすがるっていうのは、何の保証もありませんね・・・。実際いろいろ事件が起きているわけだし。」
先生「彼らのような考えの人にとっては、国が政府という運営者によって運営されることで、個々人の自然権がそのために制約されたり、いいように利用されたりすることに、反発しているような所があるわけですね。支配する側とされる側に別れることになるので、それを否定する、というもので、平等主義にもつながっていきます。当然、今のような政府の立場からすれば、敵対的で嫌な考えを持った主義ということになります。」
学生A「でしょうね・・・。学校で、生徒に対して自由に動き回っていいですよって言っちゃうようなものですよね。」
先生「そうですね。私だって実際にみたことがあるわけではありませんが、自然人が好きかってにやっていいよ、ということになると、きっと滅茶苦茶な世の中になる・・・。それを国側は危惧するわけです。自分達の保身を図りたいという気持ちもあるでしょうけどね。だから、この無政府主義と、国という、二つの勢力は、常に対抗関係にあります。時に国が理不尽な弾圧をすることもあるようです。その行動を逆手にとって、国はやっぱり悪者だ~という無政府主義の人も中には出始めるわけですね。」
学生A「先生はどっちの立場なんですか?」
先生「さてね・・・。どちらの気持ちもわかる気がします、というのはふらふらしている感じでしょうか。私はね、どっちの主義が正しいかなんて言うことを言い切ることはできないんですよ。例えば、すでに言ったように、自然権を持っている人間たちは、何でもやりたい放題したいっていうのが本性なんです。少なくとも私はそう信じています。それだと都合が悪い時も当然あるから、国は個人の自然権を抑え込む方向に動きます。だからといって、国側に自然権が集まっても、その自然権を国が好き勝手に使ってしまうことがあるわけです。となればね、どちらが絶対的にいいっていうことは、全くないのだということ。このことだけは確かだと思っているんですよ。じゃあ、結局どうすればいいんだ・・・というと、私はどちらかというと、人間主義なんです。自然人が、道徳や思想、学問などを究めることによって、禁欲的で哲学的な存在となる。それこそ、日本人全員、いや、世界の人全員が、宮沢賢治みたいになればいいなって思っていますね。」
学生B「難易度高いですね。」
先生「そうですね。しかも、それらの過程が楽しくなければ、人は努力をやめてしまうかもしれませんね。自然権を満たしたいと思うのは、その人間が持つ自然の欲動でした。いい欲望もあれば、悪い欲望もありますからね。
でも私は結局、皆、例えば、宮沢賢治、或いはほかの偉人を目指すくらいの勢いで頑張るしかないんじゃないかなって思っています。
国側に行っても自然権が無防備に認められるだけ。人間側に行っても自然権が無防備に認められるだけ。お互いがお互い、そのことを警戒し合っているように思うんです。だからね、そんなことをしていがみ合うなら、いっそ、人として生きる道を示したほうがよいでしょう。
で、ちょっとややこしいことを言うんですけどね。精神分析の観点から言うと、宮沢賢治になるように行動はしないほうがいいんですけど・・・。私たち個人は、私たち個人であって、他の誰かになることはできませんからね。そういう意味で、自分の反省点を見つめ、自分を改善する努力を続けていくことですね。そしたら、結果として宮沢賢治みたいになっている…と思います。宮沢賢治の模倣だと、中身が伴いませんからね。」
学生B「なるほど・・・。結局は自分が大事か。」
この章のまとめ
自然権の担い手である自然人の自由をできる限り保障する方向で国を治めようとする考えを自由主義という。
逆に、国側が全ての自然人の自然権を牛耳り、彼らが許した自然権だけは認める、という主義を、全体主義という。
ドイツのナチス政権や、日本の軍国主義は、全体主義国家であったと言える。
今でいえば、タリバン政権とかも、全体主義国家みたいなものかも。特に女性に対しては。
先生の立場は、どちら側に傾いても結局問題は起きる。つまり、自然権を自由気ままに使いたい放題使い始めることで、他者の自然権が脅かされることにつながる。
ならば、人間として生きる道を示した方がよく、それを実践したほうがよいだろうと考える。
国の機能が必要になることは当然ある。しかし、国の中にいる人間が駄目になっては元も子もない。