感動も金で買える-音楽家にとっての読書-序
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音楽と読書。このテーマでかき出すと長くなる。
私のコアの部分なので、易々と書くわけにはいかないし、書くことができない部分が多い。
まずは今日は音楽と読書の関わりについての序論として。特に感動がビジネスになっているという視点。
今日、読んでいる本たち。特に今日は
「サステナブル・ミュージック」 若尾裕著(アルテスパブリッシング)
より示唆の多い言及を。
感情労働としての音楽 いまとなっては、わずかの幸福な例外をのぞけば、音楽の情動は「世界音楽」という都合のよい管理機構の傘下に管理されており、人々はそれを買うことによって自分のものにするのであり、(中略)音楽の情動はすでにフライト・アテンダントの笑顔のように精選され管理されているので、(中略)咀嚼しやすいファミレスのメニューのように整理され、売られているのである。(55ページより抜粋)
そこから、ホックシールド著「管理される心」の有名な言葉「感情労働」とリンクされる。
また、
感動ビジネスとしての音楽 音楽はさまざまあろうが、そのなかで感動することはとくに重要なものと考えられている。(中略)「感動」はビジネスにまでなっているといえる。つまり感動の旅とか泣ける映画など、感動のなんとかが数多く商品化されていること(中略)なども、感動ビジネスが機能している例と考えてよいのだろう。(同書94、95ページより抜粋)
音楽も感情労働としてなされ、「感動ビジネス」として資本主義社会に取り込まれているという事実に異論を挟む人は少ないであろう。そこをどう捉えるかは音楽を送る側にも受ける側にも問題が提起される。
音楽に感動して何が悪い!
感動することこそ音楽の本質ではないか?
という意見もあるであろう。
ぶっちゃけ「感動も金で買える」のが今の音楽業界の暗黙の了解であるということである。
音楽が「感動ビジネス」として成り立つ、ということは資本主義(貨幣などを通じての経済活動)が人間の情動をコントロールしているということである。
しかし、音楽家がリスナーに「感動させよう」と意図された音楽に、薄ら寒い欺瞞を感じるのは私だけだろうか?本当にそれでよいのか?
さてさて、今日はこれくらいにしておくが、音楽とてこの資本主義社会にうまく取り込まれているということ、情動すら金で買えてしまう状況をどう思うだろう。
今日の本だけでなく、経済や社会、宗教にリンクしているのが音楽である。だからこそ、読書だと私は思う。
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