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Blu-rayオーディオもすごいが、LPレコードの遺産がすごすぎて仰け反っている話。

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先日から我がプアオーディオ環境を智恵を絞りながらアップグレードしている。

今日、Blu-rayオーディオdiscがAmazonから届いた 。

音楽再生のテクノロジーは進歩しているようで、結局人間の聴こえるものはデジタルを超えた部分もあるということが実感できる。ハイレゾも究極はアナログレコードのようななめらかな音を目指していないと人間にとって意味がない。人間あっての音楽だし。とは言えBlu-rayオーディオは良いな。

今日こんなコメントを書いてみた。

Blu-rayオーディオを最高音質ではなく、数値上のビットレートはCDと同じ出力で聴いてみた。

驚いた。

1960年代のハービー・ハンコックやムラヴィンスキーのチャイコフスキーの録音がクリアに聴こえる。50年前の録音とは到底思えない。

まさかこれほど綺麗な音だと怖いほどだ。これでは録音エンジニアの仕事が丸分かりになる。

あまり怖いので他のBlu-rayオーディオの音源はまた日を改めて聴くことにする。

今日はさくらホールでヴァイオリンとピアノのコンサートを聴いてきたが、それの内容は近日書きたい。

コンサートを聴いた私と娘はその後、買い物に出かけた。私は中古レコードを買いに、娘はタワーレコードでPerfumeの新譜を買いに行った。

昨日、久々にLPレコードを購入したので、もう少しじっくり眺めてみようというわけだ。

ミュージックファースト

中古レコードである。今日はバーゲンコーナーを集中的に見る。

ほとんどが108円から324円のプライスラインなので、値段を気にせず、レコードをバンバン抜き取っていく。30年くらい前のことを思い出す。

高校生から大学生の頃のレコードザッピングスキルとでも言うべきか。

こういうレコード大量購入(買い漁りという方がふさわしい)は昔の感覚を取り戻したかのようで楽しかった。

抜き出したレコードがどんどん増えて、持ちきれなくなったので、レジで一時預かってもらう。結局2枚くみのものもあったので20枚ほど購入。計3000円ほどである。

昨日も書いたが、レコードプレーヤーを売却して10年以上になるので、レコードプレーヤーも再度買った。

ヨドバシ通販で5070円(少しポイントを使ったので実質4500円くらい)ほど(2018年3月21日現在の価格)で購入、今日の夕方に到着した。

私が高校生の頃聴いていたレコードプレーヤーはYAMAHAのGT-750という定価69,800円の「入門」用の製品だった。

今回は桁が違う。5000円代である。大人になれば高級品でウハウハな生活かと思っていたが、そうはいかないものである。まあ、今更ハイエンドオーディオにハマる時間がもったいない。

オーディオには金はかけずに今までの全知恵を絞って楽しむと決めているので、レコードプレーヤーもローコスト路線で行く。

早速、真空管プリアンプ、パワー・アンプに繋げて聴いてみる。スピーカーはAmazon購入のセレクタで4組を音源に合わせて変える。(こういう製品が買えるようになったのはネットショップのおかげである)

当然針音がする。昔を懐かしむという感じではなく、音に自分が近い感じ。

Blu-rayオーディオを聴いた後だと圧倒的に音のダイナミックレンジが狭いし、高域も低域も明らかに不足している。特に低音の再生はプレーヤーや針のグレードが影響しているかもしれない。しかし深追いをいきなりせず、じっくり聴いてみる。

今回は歌もののレコードを多く買ったので顕著だった。人の声の響きが、心地良いのである。

前後して娘が購入したPerfumeの新曲を聴いたが、現代のテクノミュージックの音表現の多彩さは目を見張るものがる。

しかし、そういう音域の広い音楽を聴き続けていると、正直疲れてくることにも気づく。

アナログレコードを30年ぶりに聴き直すと、自分の耳の許容範囲に音がはまり込んでいることに安心できることに気づいたのだ。

音楽のデジタル化テクノロジーの進歩は確かに目覚しかった。

エジソンが発明した蝋管録音機を経て、SPレコード、モノラルLPレコード、ステレオ化、デジタル録音、CDの誕生…

すでに現在はインターネットを介して世界で様々な音源が聴けるようになっている。メジャーになれない無名の音楽家の音楽を聴けるのも現代ならではある。

しかし、今日のレコード漁りで得たことは、

過去の忘れられた音源が無数にあることも忘れてはならない

テクノロジーが進んでも、

楽音が必ずしも人間にとって心地よくなっているものでもない

ということである。

デジタル化されずに埋もれた音源だらけである。発掘したいものだらけ。

お願いです。私が発掘しますんで、資金ください!

と叫びたくいなるくらい、なんとか救い出したい音源ばかりである。(上記画像盤は救出済み)

コダーイの合唱曲3枚シリーズやブーレーズのエラート原盤の近現代曲集、今回力尽きて発掘手付かずだったソウルミュージックやロックものも発掘していたら、おそらく人生時間は足りなさすぎる。

落ち着け。落ち着くんだ。

今もレコードを聴きながら執筆している。人に耳というのは昔からそれほど発達していないものらしい。

老化とともに耳も衰えるので、私も10代には聴こえたモスキート音は聴こえないだろうし、本当に自分にとって良い音は客観性はなく、あくまで主観的なものである。

Blu-rayオーディオは確かにいいんだけど、これを追い求めても自分の耳には馴染むのかどうか。刺激的ではあるが、心地よいかどうかは話は別である。

さて、今はクリスタ・ルードヴィヒのマーラーの歌曲を聴いている。ピアノはジェラルド・ムーア。これはアメリカ原盤のレコード。音に温もりがあるとは、まさにこのことである。108円でこの体験。もちろんお金の多寡ではなく、その感じる自分の豊かさを十分に認めることである

まだまだ世界には未知なるものが隠れている!

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