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読書ノート書いてる人、手ぇ挙げて!

8年間書き続けた、全29冊の読書ノート

みなさん、こんにちは!

ハコダです。

突然ですが、あなたは本を読んだ後、わざわざ、その内容をノートに何かしら書き記して、律儀にも、記録として残しているだろうか。いやいや、そんなシチ面倒なこと、誰がすんねん!と…。時間かかってしゃあないやんけ…。そんなんしても、どうせ見返さんのやし、そんなん誰が…。

僕です。

いや、私もしてますよ!ていう方、いらっしゃいますでしょうか。もし、それがあなたなら…、あなたは素晴らしい。そして、美しい。そんなマメで、勉強熱心な人、世の中広しといえど、なっかなかいないよ。千人に一人、万人に一人ぐらいじゃない?恐らく、あなたは何事も、一度、決めたことを必ずやり通すような律儀な方で、きっと、周りのみんなはあなたと友達になりたいと思っている。それぐらい素晴らしい人なんですよ、あなたは!

…と、この思いは僕が自分自身に対して抱いたものだ。最近、断捨離の一環で、いらないものを捨てる過程で、僕が一昔前にしたためた読書ノートを発見した。そのノートは8年間に渡り、コツコツとその時読んだ本の内容をまとめたもので、全部で29冊に上る。それをたまたま、見つけて、久々に読み返してみたとき、過去の自分に対して感動してしまったのだ。「この時の俺、すげーな!」と。これこそ、アメリカ人がよく言う、「自分を誇りに思う」ってやつだ。こんなこと、今までの人生あったかな?記憶にないし、みんなもあまりないことじゃないかと思う。この気持ちの高ぶりをぜひ、記録として残したいと思い立ち、このnoteを始めるに至った。

ちなみに、さっき、「みんな、君と友達になりはずだよ」と書いたが、それを自分に対しても思ったにもかかわらず、現実は厳しくて、僕には友達がほとんどいない。僕は、この読書ノートを見返して、「俺、すごい!」と確かに思ったし、自分は勉強好きで、真面目なタイプだと思うが、しかしながら、僕には友達が悲しいほどに、いない。実際、LINEの友達リストは50人ほどで、そのほとんどが仕事きっかけで繋がっただけで、今や、連絡を一切、取ってない人が大半である。

そこで、だ、だから、もし、あなたが読書ノートをわざわざ作るタイプの人だったら、きっと素晴らしい人だろうから、ぜひ僕と友達にならないだろうか。いや、別にならなくても、僕のことを遠巻きに見てくれるだけでもいい。たぶん、僕とあなたは気が合う。そんな気がするから。これもnoteを始めた理由でもある。

さて、そんな恥ずかしい僕の下心はさておき。

今回は僕の勉強ノートについて取り上げる。このノートはちょっと古くて、およそ2007年から2015年にかけて書かれたものだ。それがどういうものかをみなさんと見ていきたい、というのが今回の企画だ。が、8年間の記録ということで、なかなかに膨大な情報となるので、この一記事だけではとても収まらない。そのため、いくつかの記事に分けるつもりだ。おそらく、この記事含め、全3回。プラス、おまけがちょちょいと付くかも、という感じだ。

とりあえず、今記事で取り上げたいのは、この読書ノートを始めたきっかけ、そして、それを読み返して感じたことの大きく二つだ。それをまずはみなさんと共有したい。以下が目次である。

読書ノートを書き始めたきっかけ

勉強嫌いだった僕が勉強好きになった理由①

そもそも、僕は勉強が好きではなかった。それに伴い、本もほとんど読んでこなかった。そんな僕が大学4年生のとき、急に目が覚めた。そのきっかけとなったのが、大学の講義でのある先生の一言だった。僕は外国語大学に通っていたのだが、そこで先生は我々、生徒たちにこう問いただした。

「君たちは英語を勉強しているが、それで外国の人に対して、自分たちの国について説明できるのか」

ショックだった。「そういえば、俺、自分の国のこと、なんも知らん…」と。それから、この状態で英語勉強してても意味ないな、とまで思ってしまい、外大生でありながら、そこから英語はどうでもいいや、と、半ば、ほっぽりだしてしまったのである。必修だった英語の授業をほぼ、なおざりにして、教養系の科目に熱を上げるようになった。そして、それらの講義から刺激を受けて、日本や世界の歴史や文化に関する本を読み漁るようになった。まぁ、おかげで、いつも必修科目の英語は成績が悲惨で、単位が取れるか、いつも冷や汗ものだったが、何とかくぐり抜けることができた。なんでか、よくわからなかったけど。この時に書いた英語のレポートが、これも断捨離の際に発掘され、今も手元にあるのだけど、このときの自分の英語力はほんと酷い!マジで中学生以下だった。ほんとに、よく単位もらえたな…。

勉強嫌いだった僕が勉強好きになった理由②

もうひとつ、僕を勉強好きにしてくれたものがある。それは関西ローカルの日本テレビ系列の読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」だった。この番組は知る人ぞ知る当時の人気番組で、タブーを恐れない、鋭い切り口で、時の政治や社会などの問題に対して、パネラーたちが熱い議論を交わすというもの。出演者の方々の話が毎度、面白く、かつ、わかりやすいので、世間に暗かった僕はそれを熱心に見て、「世間ってこういうもんなのかー」と色々、学ばせてもらった。そこから、世の中には自分のわからないことはもちろん、理不尽な問題もあるんだなと気付くことができて、それを発端にして、世の中を理解したいという思いから本を読み始めるようになった。

これら二つが、僕の読書への道を切り開くきっかけとなった…、わけだが、そこからなぜまた、読書ノートを書き始めるようになったのか。それは僕の次の性質によるものだ。

根っからの貧乏性

そう、僕はずっと子供のころから今に至るまで、ずっと貧乏だ。ゆえに、貧乏性が骨身に染みるほど、染みついている。別に、家自身が貧しいわけではない。そこそこの家だと思う。だけど、そんなバカスカとお金をくれる親じゃなかったので、僕自身にはお金が常になかった。バイトすることもできたが、僕は自分に対して、自信がなかったし、面倒くさがりでもあったので、敬遠してるところがあった。いざ、働き始めたこともあったけど、頭の回転が遅く、おっちょこちょいでもあったために、あるおもちゃ屋さんのバイトでレジ打ちをしてた時に、クレジットカードの決済を二重に通してしまうという最悪のミスをしでかしてしまったことがある。それで、お客さんやお店に大迷惑をおかけしたということで、結果、クビになったことがあった。それで、さらに自信を失い、仕事から、さらに遠ざかっていった。だから、当時の僕にはお金が全然なかった。

けど、時間だけは豊富にあった。お金はないけど、何かを勉強したい!世の中というのはありがたいもので、教育の機会をちゃんと平等に与えてくれている。それを象徴する一つの場所、それが図書館だ。僕の読書ノートに載っている本の9割は町の図書館から借りたものだ。ネット全盛のこの時代、「Google先生」という言葉があるが、当時、2000年代初頭を生きていた僕にとって、それに相当するものが図書館だった。まさに「図書館先生」と呼びたくなる、そんなありがたい存在だった。

骨の髄にまで染みわたる貧乏性。もちろん、貧しいのは懐だけでない。精神も貧しい僕は、せっかく読んだ本の内容を忘れるのはもったいないという、みみっちさから、本の内容をノートに書き記そうと思い立った。これが読書ノートを始めたいきさつである。

そして、それから8年間、こんな愚鈍なすっとこどっこいな男が読書ノートを地道に続けることができるとは、このときは夢にも思わなかった。

読書ノートを読み返して思ったこと

知識の蓄積にならない

元々のきっかけにもあったように、僕が読書ノートをつけ始めたのは知識や見識を広げるためだった。知りたいという欲求とそれを残さねばという衝動に突き動かされ、2007年からノートをスタートし、それを8年間、継続し、2015年まで書き続けた。そこで一旦の区切りをつけて、2022年の今、そのノートを読み返して思うこと。それは、

「なんにもおぼえてねぇ」

もちろん、読み返せば、こんな本読んだなぁ、とか、そんなこと書いたなぁと思い出しはするが、現在の僕の生活にそれらの知識が生かされているかというと、てんで生かされていない。いや、何かしら、ふんわーりと無意識的なところで今の自分に良い影響を与えてくれてはいるのだろうが、実感として、あのとき得た知識が生かされてる!とは思うことができない。

やはり、知識とは使ってなんぼ。これは面白い!と感動して、知識をノートに書き記したとしても、書きっぱなしでそのまんまにすれば、そりゃ、忘れる。

心の財産

じゃあ、あの8年間のノート作りは無駄だったのか。

それは、絶対に、ありえない。なぜ、そう言えるか。この記事の冒頭にもあったように、僕はこのノートを読み返して、心から感動したからだ。心から、このノートと、これを書いた当時の自分に対して、愛おしいと思ったのだ。この感動の経験はかけがえのないもので、あんなにおっちょこちょいで大ポカこくぐらい駄目で、自信がなかったやつが、よくここまで頑張ったね、と。こういう過去の自分への愛おしさが、なにより、今の自分を支えてくれている。恐らく、知識以上に大切なものを授かった、そんな風に思う。

読書ノートを書き続けてきて、本当によかった。

読書ノートをつけている方に伝えたいこと

あなたは素晴らしい!

さて、ここまで長々と書き連ねてしまった。そろそろ締めに入りたい。世の中に数少ないであろう、読書ノートをつけている同志の方へ、僕から伝えたいこと。それは、

あなたは素晴らしい

ということ。確かに、この気持ちは読書ノートをつけてきた自分に対して感じたことではあるが、その自分と同じことをしているあなたも絶対、素晴らしい人だろうと思う。謙虚ゆえに、勉強熱心。ただ本読むだけに留めず、ちゃんとアウトプットをして、知識に対し、貪欲だ。きっと、自分の人生に対しても貪欲で、何かを求め、一生懸命に生きておられるのでは、と思う。一生懸命に生きる、そなたは美しい。そう僕は言いたい。

ぜひ、読書ノート、続けてください。今でこそ、僕は読書や勉強の記録をノートに残さなくなったものの、代わりに、パソコン上でのワードとか、スマホのアプリを使って、記録すること自体は今も続けている。デジタルの力を使って記録に残す。それもいいと思う。が、しかし、物理的な重みや厚みを感じる、アナログなノートに記録を残すという経験もいいもんで、実際、その素晴らしさを体感した僕からすれば、そちらもぜひ、試しにやられてもいいのではないかなー、とも思う。

とにかく、お互い、勉強好き同士、好きなことに邁進して、記録を付け続けましょう。ときに休みながら、マイペースに。楽しい気持ちを大切に。あとよかったら、コメントを書いて、あなたの経験についてもぜひ教えてください。Twitter(@junhakoda)もやってますので、よかったら、フォローしてください。

ここまで読んでくれて、ありがとうございました。

次回予告

読書ノートの具体的な中身について書きます!

けど、もう少し、いや、まだまだ続くんじゃ。

この読書ノートレビューは自分用の記録でもあります。今回は雑感をまとめ、次回は読書ノートの具体的な中身を記録として投稿するつもりです。

それでは、また!

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