<米国で働く心臓外科医>        夢実現への道のり その1-高校時代 

僕は、小学生の頃にたまたま読んだ一冊の本に影響され、「心臓外科医」に
なることを決心した。

家族には医師はおらず、医療とは無縁の家で育った。というより、むしろ、勉強とは無縁の家に育った。

小さい頃に親から良く言われた言葉。。。「勉強しすぎたらアホになるぞ」。。。
夜遅く勉強すると電気を消されて、早く寝ろと言われたw

いとこの影響で中学受験はする流れになるも、それまで「がき大将」みたいにみんなの先頭に立って遊んでいた人間が、「塾があるから今日は早く帰らないといけない」というのが、恥ずかしくてよく塾をサボった。

しかし、何とか一応進学校とされる中学校(父親も中高と通っていた)に入学した。ギリギリ、下のクラスで。。。

そして、中学生、高校生はバレーボールに熱中しながらも、勉強はそれなりにしていた。だが、医学部とは程遠い成績だった。

そして、高校3年生になって親同伴で行われた3者面談で、校内で最も厳しい部活であったバレーボール部のキャプテンをしながら、医学部受験を目指していることを担任に伝えると、担任は長い沈黙の後にこう言った。

「バレー部か、医学部か、どっち辞める?」

僕と父親は言葉を失った。そして、怒りが込み上げてきた。「ふざけるな。」

しかし、父は間髪入れずに担任に言った。
「先生。親としては、勉強のためにバレー部を辞めるくらいなら学校も辞めればいいと思っています。」

担任は何を言っているのか理解できないといった表情で
「そうですか。ぜひ頑張ってください。」

僕の心はスッキリした。

そして、面談が終わり教室から出た瞬間、それまで難しい顔をしていた父が僕を見て、ニコッと満面の笑みを浮かべた。

「あの担任の顔見たか?びっくりしてたな。両方頑張るんやぞ!」

僕は心に決めた。バレーボールと医学部合格の両方を絶対頑張り抜いて、担任をギャフンと言わせてやる!

そして、僕はバレーボールでは、インターハイに出場した父には勝てなかったが地区大会に出場し、医学部には現役で合格した。

合格した僕に親父は言った。

「担任の先生もこれでわかったやろ。勉強だけして社会で生き延びれるかい。」

そして、当時バレー部員であった僕を含めた7人全員が現役で合格した。国立大学医学部2人、旧帝国大学2人、公立大学獣医学部1人、有名私立大学2人。

その後、担任はバレーボールの顧問にこう言ったらしい。
「先生のところの今年の部員さんたちを見て、進路指導の考え方が変わりました。ありがとうございます。」

(つづく)


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