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『”ブルータリスト” 逆さの自由の女神の意味とは?金メッキ時代とアメリカンドリーム(ネタバレあり)』 ジューン・テイカ

先週、先行上映にて鑑賞してきたのですが、これは凄いエネルギーを持った作品!

正直、面食らってしまいました。「万人が感動!」「全米が泣いた!」とかではなく、観る人にかなり委ねられる映画でした。終わり方も含めて。とにかく監督のクセが強すぎる。「そこはそんなに濃く描くのかい!」「そこはあっさりなのかい!」と、終始、監督の手のひらで転がされれます。これは挑戦だ!

ということで、このたび、感想を書くことで、『ブルータリスト』という作品は一体どんな建造物だったのか、自分の中で多少なりともまとめることができたらと思います。



・主人公ラースロー
まず本作の第一印象としては、フェリー二の『8 1/2』がもっと生々しくなった衝撃作、だと感じました。物語は結構シンプルで、一人の芸術家が、あるビッグプロジェクトに取り組み、傷ついてゆく。ということで、本作の主人公ラースロー・トートは当然『8 1/2』のグイドと重なります。苦悩する芸術家。自分の作りたいものに対する情熱。その姿に、観る人は心を揺さぶられるのではないでしょうか。しかし、主人公ラースローは誰もが応援したくなるような、単純な「善人」としては描かれません。アメリカについて早々、妻を裏切り、盗みを働き、職場では怒鳴り散らし、薬物に溺れる。215分もある超大作で、主人公に感情移入させないというのはかなりの挑戦ですが、退屈はしませんでした。第二次世界大戦に翻弄されたひとりの人間を描くという点では、昨年の『オッペンハイマー』と比較してみると興味深いのですが、『オッペンハイマー』ではカメラがギリギリまで主人公に寄り、観客の心を彼に近づけ、その上で考えさせる、というアプローチでしたが、『ブルータリスト』ではその真逆と言っても過言ではありません。カメラも敢えて引く、といった場面が多々あり、表情も見せない場面さえあります。イタリアでの、とある劇的な場面でもカメラは決して寄りません。先ほど単純な「善人」ではないと書きましたが、「人種差別をせず、仲良くなった黒人親子を気にかける」「従兄弟の妻に心が揺れるが、自制する」など、善人であろうとする面もあり、その点では切り捨てられないキャラクターでした。215分のあいだ、自分はこの人物をどう捉えればいいのか。好き嫌いで言うと、個人的には嫌いではありますが(危うく妻を死なせるところだったので!)、目が離せない人物でした。芸術家というのは一筋縄ではいかないものですね。そういえば、アメリカに馴染むために鏡の前で髭を剃りながらマザーグースの「ピーターパイパーの歌」を暗唱する場面が個人的に好きでした。


・エルジェーベト
『8 1/2』のグイドの妻(アヌーク・エーメさんが演じられております)と同じく、ショートカットが特徴的な妻エルジェーベト。なんだかんだで、ラースローを信頼している。彼とは戦友のような関係なのかも。床に引きずられるシーンの演技が素晴らしすぎました。フェリシティ・ジョーンズさん、アカデミー賞とるのではないでしょうか。最後の場面で、「椅子に座ったら?」と何度も言われますが、彼女は「結構」と拒否します。しっかり座る🟰定住する、と考えると、アメリカでは結局、自分たちの居場所を見つけられなかった、という結末を象徴しているのかもしれません。


・ハリソン
ラースローを支援するパトロンのハリソン。やはりサリエリを彷彿とさせます。ここでも『オッペンハイマー』に似た要素の登場です。ロバート・ダウニー・ジュニアさんが演じられた、ストロースですね。ハリソンはワインスタイン事件を連想せずにはいられません。権力を持ち、自分より下の身分の人間を搾取する。イタリアでのシーンはまさに、です。また、はじめてラースローの作品に触れたときにはその価値が理解できず、世間の評価を知って手のひらを返したり、ラースローとの会話を何度も「知的」と評し文化人ぶりたがったりと、浅はかで薄っぺらい人物として描かれますが、これはアメリカンドリームのハリボテの面を象徴していると思われます。


・逆さの自由の女神が意味するもの
そもそも冒頭の場面。ラースローがアメリカに到着した時に船から見た、逆さまの自由の女神から、不穏で、欺瞞に満ち満ちた、“虚像の夢の新天地”を予感させていました。仰々しいまでの勇ましい音楽も、逆に薄っぺらく感じます。エイゼンシュタインではありませんが、映画って組み合わせだなあ、とつくづく思った場面でした。アメリカンドリームの“金メッキ”性。かつてマーク・トウェーンとチャールズ・D・ウォーナーが「ギルディッド・エイジ」と呼んだ金メッキ時代と何ら変わっていない。秀逸なオープニングでした。


・それでも希望はある
クライマックスの、本作のハイライトとも言える、エルジェーベトがハリソン宅に単身乗り込んで行ったシーン。もう何が起こってもおかしくないと思っていたので、正直、徹底的に悲劇で終わるかも、と悲観していました。そうしたら、エルジェーベトに手を差し伸べてくれた人物がいました。ハリソンの娘でした。人間の善性をも剥ぎ取ってしまうアメリカンドリームの渦中でも、心の清らかな人間はいる。結局は、個人の意思のあり方次第なのだと、一筋の希望が示されていたように思えました。


・フェリーニ『8 1/2』『甘い生活』へのオマージュ
先も書いた通り、本作の本筋はフェリーニの『8 1/2』がベースにあるように感じましたが、ラースローが狂気に呑まれ、薬物に溺れ、パーティーで踊り、落ちてゆく様は、フェリーニのもう一本の名作『甘い生活』のオマージュでもあるのかなと思いました。イタリアが舞台になったのも確信犯ではないでしょうか。
『8 1/2』というと、ロケット発射台の、剥き出しの鉄骨が印象的なビジュアルでしたが、『ブルータリスト』でも建設中の建物の鉄骨が登場します。鉄骨は“未完”の象徴なのかもしれません。

・おそろしく生々しい3時間のメロドラマ
以上が感想になります。「重厚な3時間の大河」、というよりは、良い意味で「おそろしく生々しい3時間のメロドラマ」を観た、という印象。叫んで、叫んで、また叫ぶ。3時間、ほぼ3人の登場人物の感情のうねりを描く。とにかく負のエネルギーに満ち溢れています。ストレスフルな登場人物たち。ホロコートによって人生を大きく変えられてしまった悲劇。アメリカンドリームのメッキの下に潜む闇。本当に、物凄い作品でした。アカデミー賞にどれだけ絡んでくるか、今後も期待です!


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