残されたもの
有名人が自死する中、残されたものはどう思うんだろう?
その答えを知っているのは私です。記憶が飛んでしまった中、誰にも助けを求められなかったこと。声に出しても誰にも伝わらない悲しみと絶望。八方塞がりで、言葉が誰にも理解されなかったこと。想像を遥かに超える自責の念、原因となったことに対する怒り。どれも取り戻せないのです。
時間が巻き戻せたら良いのに。もしくは私が死ねば良いのに。そうさせなかったのは、治療を受けている猫3匹と、犬5匹でした。這いずるように生き、暗闇の中に落とされたような感覚。そして、「逝かせる」ことのできない自分と、その先の不安。
偶然生まれた二匹の子犬に主人の名前と私の名前をつけました。
「なんとしても生かさなければ」という言葉に、
活かせる
逝かせる
そう気づいたのです。日本語の意味を。言葉にしても伝わらなかったのは、日本語特有の曖昧なニュアンスでした。慰めてくれるのは海外の方。日本人は、「ご冥福をお祈り致します」という定型文でした。その定型文の心無さに悲しみは深くなったのです。
誰とも関わりたくなくて、四十九日が体感で3日感でした。私は、動物を亡くしたときの悲嘆を研究していましたから、悲嘆についての知識が邪魔をし、心理学用語で片付けられることでさえ拒否したのです。
残されたもの。それは生きるほうが辛い。でも、逝ってしまった人は楽になったのです。だから、私は主人の死を、「楽になったんだ。」と受け入れたのです。愛は消えないですけれど、それは心の中で生き続けるでしょう。
もし、死にたいと思ったら、何でも話せる友達に打ち明けることです。その人がどのように、その先、生きていくのか考えてみてください。地獄は残されたものにあるものです。
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