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わたしと当事者意識と祭典

どうも、わたしです。
日々刻刻としんどくなっていく社会情勢と、その影響をモロに受けてしんどくなっていく体調を抱えて生きています。

HSPとか話題になってるけど、sensitiveをどうとるかによっちゃあ、わたしも【はいせんしてぃぶぱーそん】ですわよ。

と、いうことで、最近連ツイした2つの事柄をこちらに転記します。なぜなら、Twitterは流れて言ってしまってわたしが遡って探すの大変だから!

あと、リンクじゃなくて、コピペなのは、アカウントIDが変わった時の為の保険。(たまにパスワード忘れてアカウント捨てなきゃいけなくなることもあるし…/発達障害あるある?)

①漫画について(2021/07/19)

ルックバック読みました。
精神疾患のある方からめちゃくちゃバッシング受けてますね。わたしは精神疾患と発達障害のコンボで手帳持ちですが、確かに殺人犯が精神疾患である必然性はなかったかもしれないけど、そこだけに焦点を絞って【あれは障害者差別漫画だ!廃絶せよ!】みたいに叫ぶのは→
だいぶ乱暴だと思う。
不条理な死を与えるには、不条理な犯行動機が必要で、その為に精神疾患で幻覚症状があるってのは、普通に納得できるし。
たとえば、この犯人をどの属性(引きこもり、在日外国人の方、薬物乱用者などなど)を与えたところで、その属性を持つ人は沢山いらっしゃるわけで→
あの作品は【精神疾患(引きこもり、在日外国人、薬物乱用者などなど)の人間は人を殺す危険人物だぞ!排除せよ!】という訴えをするために書かれていないことは明白なのに、そこに焦点を当てて嘆くのは自らのコンプレックスを刺激されて辛いだけでしょ?と。
で、それを感想としてつぶやくのは→
表現の自由だから問題ないけど、『あの漫画は障害者蔑視漫画なのに評価されるのはおかしい、取り下げろ』って、それは相手の表現の自由に、反するのでは?わがままに聞こえちゃうのよね。
傷ついたことは事実だと思うし、好きな表現(絵やセリフに関してもね)じゃないってパターンはあると思う。→
でも、だから削除しろとか、評価されるのが気に食わないってのは、差別論者と感情のベクトルが同じだと思う。

少なくとも【わたしは】あの作品で訴えているテーマにモノづくりをする演劇人のはしくれとして、感じるものが多かった。そして、当事者としてモヤついたけど、連ツイ2個目に言及した通り→
理不尽を強調するために精神疾患の幻覚症状者の犯行にしたことに必然性は充分に感じている。

おわり。
これは【わたしの】感想であり【わたしの】表現の自由である。
もちろん異論も沢山あるでしょうが、それは【あなた】の感想であり【あなたの】表現の自由です。喧嘩するようなものじゃないんです。

 これに、リプがついて、別の当事者の方(Aさんとします)が

そうですね。仰ることはわかります。
私は「ルックバック」という作品が表現したかった核心には共感していますしそれを技術的に十二分に表現していると思います。感動もしたんです。不条理を示すために統合失調症にするより、不条理を示すために実社会でも起きている健常者の通り魔にしてほしかった。

 と丁寧な言葉で話しかけてくれました。
 わたしの返事は

それは、障害者側からの健常者差別ではありませんか?
わたしは、通り魔も健常者ではなくグレーゾーンが大半であると思っています。そうなると、根深い社会の闇により心を壊す人の多さこそが糾弾すべき点ではないでしょうか?

 読み返すと、少々感情的ですね…。反省。
 さらに会話が続きます。

おお。
そうですね。逆差別だったかもしれません。グレーゾーンといばそうです。私は話を単純化していたと思います。ただ、たとえば唐突に犯人を出すのではなく、二人の主人公を描くとともに、あの犯人の背景も伏線として描いておくことは、やれば可能だったんではないか?と思ってしまいます。

 わたしと対照的に、めちゃくちゃ紳士的なリプです。
 ただ、わたしは物書きをしたり、舞台を創る視点で次のように返しました。

それは作者にしか分からない事ではありますが、そこを書くのは蛇足だったのではないでしょうか?
あの作品に必要なのは、2人の少女の弄ばれる運命であり、犯人はそのエッセンスに過ぎないんです。

短編を描くなら、なおさら、本筋に必要無いものを可能な限り削ぎ落とすことでテーマ性を高めますし…
表現活動をされている露木さんの言葉ですから、理解できないわけではありません。
ただ、非難・苦情を言っている精神障害の方々への共感の方が大きいです。

 わたしの事も尊重しつつ、丁寧に想いを伝えてくれて、本当に嬉しかったです。

それは、【Aさんの】きもちで、わたしが否定する権利の無いものですから、大切だと思います。

そして、連ツイは【わたしの】きもちで、最後にも書いた通り喧嘩するものではないんです。
どちらも尊重されるべきなんです。その『尊重』は、感想とは相互に不可侵であることだと思います。
喧嘩するモノじゃないというのはよくわかります。
この対話で私自身の思いもはっきりしましたし、露木さんの気持ちもわかりました。
ありがとうございました。

 最後まで丁寧で優しい言葉で会話してくださって、わたしとしては、締めくくりのツイートを下記のようにしました。

同じものを見て、違うことを感じられるのが素敵な事だと思っています。
相容れないものが多ければ多いほど、世界の広さや深さを感じられて幸せになります(もちろんムカついたりもしますが(笑))

当事者同士だって別人格で感じる事も違うので一括りにしがちなのはわたしも自戒します!

 や、この一言に尽きますね。感想は自由。別に作品は障害者を揶揄したり、貶めたりしていない。明確に『障害者が犯人です』と大きく取り上げていない。でも、それで傷付くひとは沢山いるのも事実。その感想は大切に尊重されなければならない。
でもね、傷付いたという想いを尊重する=作品を抹殺する、ではないと思う。少なくともこの漫画については。


②祭典について(2021/07/22)

彼の作品が好きで、全部みてるけど、全部の作品を愛してるかっていうと、見てきて気分を害すものもある。

テレビドラマや映画も、同じ監督や同じ脚本家だから全部好きかっていうとそんなことはない。
傷つけられたり、二度と見るか!!って思うものもたくさんある。

でも、わたしも声をあげなかった→
ってことは、わたしも、彼が断罪されるとき、同時に断罪されるべき存在なのだ。

わたしは障害者当事者で、LGBTQ当事者で、デブ当事者だ。でも、当事者全員が同じ作品の同じところを不快に思うかっていうと、それもまた違う(先の漫画の話と同じ)

ただ、それを揶揄する笑いを疑問視しない日本社会→
こそが、歪で断罪すべき最たるものかなと。

ってことは、『昔は良かったのにね』とか『この言葉は差別用語だから使えない』とかじゃなくて、根本の意識を日本全体がアップデートするタイミングなんじゃないかな?

この最低になってしまった祭典で、悪しき体質が淘汰していこうよ。
で、わたしはもうこの話をやめるし、祭典よ話題も全ミュートしてるので、よろしくお願いいたします。

わたしも、他人を傷つけたくないし、悪意を持って近づく人からは積極的に逃げます。

わたしによって傷付く人が、わたしの生み出す物によって傷付く人が、限りなく0であるように生きていきたい。

あー、誤字ってますね。
これは賢太郎さんの話です。作曲家のいじめ武勇伝と、ホロコーストを笑いに織りまぜる賢太郎さん、どちらも断罪されるべきなのは確かです。

でもね、ファンだからってわけじゃないけど、賢太郎さんは早い段階で反省して『人を傷付ける笑いは絶対に作らない。未熟だった自分を反省する』旨の発言を何度もしている(各種インタビュー&自著など)
そして、人の外見や属性を揶揄する中身の笑いを一切作らなくなった。さらに、収益を寄付して慈善活動を続け、ある種罪を償い続けている(もちろん現在進行形)

作曲家の方は、自慢げに話した記事に対してその後何かアクションを起こしたんでしょうか?作曲家の方については申し訳ないんですが存じ上げず…。もし、賢太郎さんのように贖罪を、続けているならその方も、断罪されこそすれ、解任は違うのかなと。

わたしは障害当事者で、いじめを受けた過去もあり、そういう方が祭典へ登用されるのが辛い気持ちもあります。
また、ホロコースト同様、原爆を笑いに織り交ぜるような演出家の登用もちょっと…と、思います。

でも、その方々が真摯に反省し、贖罪を続けているなら、更生の場は与えられるべきだし、更生を受容出来ない社会はもう終わるしかないかなと。
もちろん、個人感情は【絶許!ムカつく!】って気持ちがあっていいんです。連ツイ話題①と同じですね。でも、だからって社会からどんどん排除したら、多分『人っ子一人居なくなる』と、思います。だって、贖罪しても許されない世界で清廉潔白な人間なんて産まれたての赤ん坊くらいですから。

賢太郎さんの話に戻るんですが、そもそも、戦争をする以上必ず被害者というか、敗戦国や巻き込まれた一般人はたくさんいる訳で、戦争映画なんかめちゃくちゃヘイトつくと思うんですよね。でも、国際的な映画賞にノミネートされるわけじゃないですか。ヒトラーをテーマにしたもの、世界大戦をテーマにしたものなどなど実際の戦争をテーマにしてますよね。戦争はいけない!って文脈なら許されるなら、賢太郎さんのホロコーストについてのコントでの扱いもあれはいけないこと、という流れでの使用ですので、【映画≒芸術】は良くて【コント≒大衆娯楽】は断罪せよ!はおかしな話ですよね?

と、いうことで、わたしはこれからも障害者の当事者である事実は変わらないし、LGBTQ当事者でもあり続けるし、社会的マイノリティとして生き続ける人生ですが、小林賢太郎作品が好きで、彼の贖罪行為に心をうたれ、この先も応援し続けることに変わりはありません。

もし、作曲家の方の贖罪詳しい方いらしたら、ご一報ください。

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