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人生の新しい景色

こうも持病ネタが増えると、
プロフィールの説明を書き換えた方がいいのか?と思ったりしつつ、
まだ変えずにいる私です。

この二ヶ月、奇しくも持病について、考える機会が増えました。

持病について書き綴ることは、
自分にとって記録であると同時に、
同じ病気の方やそのご家族、
病をもちながら毎日を暮らしている方との交流など、
何かにすこしでも役立てばという思いもあります。

でも、一番は、書くことで、自分の心が整理されるのもあります。

自宅療養にもなり、
熱や痛みの症状も緩和されてほぼ0になった今、
少し落ち着いたので、書いて整理したいなと。

今日は、ちょっとまとめてみようと思います。

これまでの自分の膠原病の経緯を書くので、
すこし長めになります。興味のある方だけどうぞ。

近況だけ知りたい方は、
「そして今。」からがほぼ近況なので、よかったら、そこからどうぞ。


ちょこっと豆知識ーー膠原病って?

今更ですが、自分にとっては当然でも、
身近に知り合いがいなければ、病気の事なんて、あまりよくわからないってのが、普通かなと。

まず、世の中には難病といわれるものがあるのですが、
膠原病もその一つ。

原因がはっきりせず、治らない、治療法が確立されていない、希少な病といわれている。厚生労働省になんか基準があるらしいんですが(国の特定疾患になる、ならないとかもある)、まあ、それは医療者の方にお任せして。


膠原病は自己免疫性疾患と呼ばれ、種類もたくさんあって、
全身性エリテマトーデス(SLE)、強皮症など、
結構いろんなものがあって、一番有名なのは、関節リウマチでしょうか。

このサイト、簡単でわかりやすかったので、こんな感じで。



ふりかえりーーMCTDとこれまでの私


私は27歳の時、手足のレイノー現象に気づいて、
お医者さんに行ったら、血液検査の数値から膠原病疑いと診断されました。まだ症状は出ないまま、しばらく通院していた記憶があります。

それが、29歳のときに発熱して、本格的に発症。
その時の診断名は、混合性組織結合病(MCTD)というものでした。

MCTDって、複数の膠原病の症状を複数もつ場合、この診断がつく名前のようです。後から知ったけど。

初発の症状は、風邪薬でなおらない発熱、胸痛、背部痛でした。
検査をすると、胸膜炎、心膜炎になって、水が溜まっていました。
ステロイドのパルス(たしか40㎎)をして、入院中に減薬し、1か月半~2か月くらい入院しました。

そこから5年間くらいは再発せずにいたのですが、33歳のときに再発傾向となり、半年くらい1か月に1回高熱を出すというパターンが出てきて、
治療のために入院。これは、1週間~2週間で済んだ記憶です。

ちょうどその1年半前から契約社員で働き始め、
少しずつ社会復帰もしていて、
4月から希望の職場に転職する予定で、内定をもらって、
すごく喜んでいた時期でした。

でも、再発があって、フルタイムで働くのは無理だし、
会社に迷惑をかけてもと思って、
自分から断ったのがとても悲しかったことを覚えています。

しかも驚いたことに、その数か月後に、予定外の妊娠。
ステロイド10㎎飲みながら、妊娠と出産も経験。
その時、国立の総合病院にかかっていたので、
膠原病内科の先生と、産婦人科の先生が連携してくれて、
無事に出産することができました。

妊娠出産で膠原病が悪化する人もおり、最初妊娠が分かった時は、
膠原病内科の先生に、「今回はあきらめろ(つまり堕胎せよ)」と言われました。

が、産婦人科の先生が、膠原病患者さんの妊娠出産の経験もあった人なので、「年齢も30歳超えているし、これがもしかして、人生でもラストチャンスの妊娠・出産になるかもしれないし、気持ちがあるなら、産んでみたらどうですか」と言ってくれたのが、とても大きかった。

おかげさまで、出産後は、
膠原病のほうはほぼ横ばいで、大きな動きはなく、ゆっくりと寛解状態で、何にも影響を受けませんでした。

で、それから、しばらく再発してなかったんです。

「妊娠出産で体質変わる人もいるらしいよ」なんて、知り合いの人の話も聞いたり、
なにより子供を育てるので無我夢中だったから、
バランスとりながら、体メンテして、
家族や周囲にたくさん助けてもらって、なんとかなっていたのかもしれない。

そして、子供が2歳になって、
週4日でフルタイムの仕事を3年間、
今の週5日のフルタイムの仕事も、ここ4年間働いて、
おお、自分、できてるじゃんと。
これでほぼ寛解をキープできてるじゃんと。
免疫抑制剤に似た新薬も取り入れて、ステロイドを6mgまで減らすこともできていたし。
おお、人生このまま、行けるのでは?と。

自分なりに気を付けて、養生して、とやってきました。


そして今。

8年間寛解をキープできたのって、ある意味、すごかったのかも。

まあ、再発しちゃったのも、仕方ないって、今は思います。

だって、それだけ仕事が忙しかったし、
なにより久しぶりの重度のストレスだった。

毎度思うけど、
私の場合、体力的な忙しさだけではなく、
たぶん人間関係の精神的ストレスが本当ダメで、
受け付けられないんだろなあ。

しかし、今回、それだけじゃない、
大きな学びと気づき、ターニングポイントが、私に訪れました。

今回の発熱や背部痛、原因を探っていったら、MCTDだけじゃなかったんです。


新しい仲間の登場ーー高安動脈炎

お医者さんにも驚かれたけど、

今回の発熱と背部痛の一番の原因は、
じつは高安動脈炎というまた別の病気だった。

実は、MCTDの心膜炎はそれほどひどくなくて、
これくらいの心膜炎では、そこまでならないと。

私が全く知らなかった病気が、ふいっと、私の体にまた登場した。

精密検査をいろいろしました。
三種類のCTを経験(単純CT,造影剤CT,PETCT)。

疑いから確定となり、今回の症状は、高安動脈炎が原因だと断定された。

私の心臓の大動脈のところが、内側が腫れて炎症していて、
それで高熱や背部痛になっていたらしいです。

高安動脈炎も基本はステロイドで治療するので、偶然にも、MCTDの対処と同じだったため、それ以上の悪化を防げていたのもあるのかも。


しかし、本人はMCTDだと思っていたから、
高安動脈炎って言われて、
かなり驚いたし、えーーーって感じだった。

でも、お医者さんに告げられても、あまりの展開に、
最初は「とにかく落ち着けーー」って自分で思ってて、
なるべく感情的にならないようにしていました。

でも、治療が進んで落ち着いてくると、
やっぱりちょっと動揺はするというか。
自然な心の流れとして、やっぱり驚くし、なんだろうなあって思う。

医者さんが言うには、
MCTDと高安動脈炎って、合併するのがとても珍しいそうな。

あまりない例って話で。

「ってことは、膠原病というマニアックな病の中のレアキャラ???」
とか、よくわらない事を思った。

正直な話、MCTDの人口のほうが多分多くて、
うまく病気と付き合いながら、寛解状態で暮らせる場合も多いのではと、
思っていた。

このまま、うまく病気と付き合いながら、
だましだまし、ダラダラとでも生きていけると。

それに比べて、高安動脈炎は心臓だから、
心臓きちまったら、終わっちまうよ、と。

あらためて自覚したら、なんかまったく別次元だった。

目から鱗がはがれて、人生の景色が変わった。


もう一人、いるよーーMCTDの従妹?間質性肺炎


おまけに、精密検査をたっぷりやったおかげで、
これまで聞いたことない状況も、また伝えられた。

それが、私の肺に、間質性肺炎の影もあるとか、なんとか。

間質性肺炎には、種類が二つくらいあるらしい。

私の場合、膠原病もちがなるタイプの間質性肺炎らしく、
まあ、そちらでしょう、と。

全然自覚症状なかったから、驚いたよね。
これも、「ええっ?!」て、なった。
「これ以上、なんですか?!」って言いたくなったよね。

マスクのせいで、大きな声でずっと話すと、息苦しいと思っていたけど、
もしかして間質性肺炎気味だったからかな?
と、あらためて思った。

まあ、でも緊急性を要するほどではないみたいなので、
こちらは経過観察かな。

だんだん、感覚がおかしくなって、ちょっと変な私でした。


おわりに


病気のおかげで、
本当、今はいろんなことを考えなおしたり、思い返したりしている。

人生の半ばで、本当に大きなターニングポイントになったなあと。

生き方、暮らし方、働き方。

時間の使い方。

本当に、自分は、なにがしたいのか。

なにを一番大切にしたいのか。

今、あらためて、考えている。

こうなってみて、
自分の身体のこともとても愛しいし、
ありがたいなって感じるようになった。

ずっと自分のことが嫌いだったけど、
自分の身体ともやっと和解できたというか、
統合できたというか。


いろいろ思うことがあるのですが、
うまくまとめられないので、
今日はここらへんで。















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