母は手負いの虎だった5 「現代人は選択肢があるから迷うのか?選べるということ」
「選択肢」について話したいと思います。
わたしが小学校1年生の頃だったか。
夜、寝ている時に「いたっ!」と感じて起きたら。
泥酔した母が泣きながら。
私の手首に、ぐにゃぐにゃと包丁を切りつけていましてね。
私が目を覚ますと、今後は自分の胸をめがけて包丁をゆるっと突き立てました。
ぐでんぐでんなので手に力が入っておらず、いずれも軽傷。
わたしは自分の手首を見て
「自転車でひどく転んだ時の怪我より軽傷だな。」
と思って、ひとまず安心し。
母もデニム生地のダンガリーシャツ着ていたので、数ミリ刃先が入ったくらいで、それを確認して「あ、大丈夫だ」と思ったのを覚えています。
でもね。精神のびっくり怪我が重症。
なんだろね。
うちだけ毎日、ホラーすぎるハロウィン。。
トリックが行き過ぎ。
子どもって、基本、選択肢がないのですよ。
どんなに過酷で命がけな暮らしで「人権なんてどこの話?」って環境でも。
「ここにいるしかない」
のです。
外に飛び出した事も、何度もありました。
なぜか追いかけてくる母の腰には、いくつも鍵のついたキーホルダーが下がっていて。
暗闇の道で後ろから鍵の音がシャンシャンと追いかけてくるのは、なんとも言えないホラー感でしたね。
追いつかれて咄嗟に振り払った時、泥酔している母が路肩に倒れ。
頭がコンクリートにぶつかる鈍い独特な音がして。
「ついに、殺ってしまったか。。。」
と思ったこともありました。
幸いすぐ起き上がってきて。
起き上がるのと、起き上がらないのと、どっちが怖いのか、一瞬、混乱しましたけども!w
逃げても無駄なんですよね、子どもだから。
働けない。保護者が必要。基本親権最優先。
「ここにいるしかない」
唯一、選択肢があるとしたら「死ぬか生きるか」くらいです。(寿命ってものがあるので、それも厳密には選べないですが)
。。。究極すぎる。
わたしも弟も、選択肢がない状況で、必死に虚ろに生きていました。
日本の法律で認められている婚姻年齢が、女性16歳、男性18歳と知り。
それを待ち。
私が16才になった時。
父に(ずっと別居)
「わたしと弟で二人暮らしをさせてくれ!」と頼みに行きました。
あっさりばっさり、意味不明に怒鳴られて取り合ってもらえず。
今度は18才になるのを待ち、再度トライ!
父が運転する車の中で2人で話していて。
父は「おまえら出て行ったら、むつ(母)はどうなるんだ!母親だろう!」と怒鳴り散らして終わりでした。
いやいやいやいやwww
それを言うならお前、私たちの父親だろう。
それ以前に、母はおまえの妻だろう。
もう、限界を超えた孤独感に耐えられない!!
と18年分の悲しみをこめて、初めて父に「助けて」と言ってみましたが。
なんと。。。
「甘ったれるんじゃねぇ!誰だってそうだ!車降りろ!!」
と4車線の道路の真ん中で、車から蹴り降されまして。
あれにはさすがに驚いた!!初めての甘えに対し、想像範囲外すぎる反応!
クラクションの音と、髪が揺れるくらいの距離でわたしを避けた車の風。
走り去る父の車。青い空。白い車線。排気ガスの臭い。
あまり記憶がありません。
「なんなんだ、この人生は。こんな人生なら、いらないなぁ。」と2時間以上歩きながら、ぼんやりしていました。
わたしと弟の周りにいる大人たちは、とことん弱すぎる。
改めて絶望しましたね。
何か取り返しのつかない部分が、私の中で壊滅的に壊れた気がしました。
選択肢があるってね。
それだけでも、自由で素晴らしいこと。
自分には命しかない。
夢を描いたこともない。
逃げる場所もない。
ぐっすり眠れる日がない。
愛してくれる人がいない。
今、わたしは大人になり、あの時は別世界だと感じていた風景がある。
特に、今までに2回。
満身で「生きていてよかった」とふるえる瞬間を味わったことがある。
1度目は、子どもを授かって。産めないと言われていた身体でも産めた時。(ただし、52時間の陣痛でしたが、、)
2度目は、外国に住み、様々な人たちと関わり、異国の大自然風景を見て暮らせた体験。
今はいつも。
ご飯を食べる時。
犬を撫でる時。
志の仕事をする時。
お風呂に入る時。
寝るとき。
全てがありがたく。あの頃のわたしには想像つかなかった時間と選択肢があることに奇跡を感じます。
今これを読んでくださっているあなたはどうでしょう。
どれほどの選択を持っているでしょうか。
行動を選べる。
寝る時間を選べる。
食べるものを選べる。
出かける先を選べる。
着る服を選べる。
お金の使い方を選べる。
一緒にいる人も個人的には選べる。
いくつの選択肢があるだろう。
【この件でのわたしの悟り】
日常が選択の連続であると気がつけると、自分の手の中にあるものが鮮やかに見えはじめる。
選択肢があるってすばらしい。選択肢があることに気がつけるって、ありがたい。
それが仮に。
自分にとっては究極の選択であっても。
選べるだけ、すごいことなんです。
自分の人生を生きているということ。
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