純子/nagaraj🪷
ヨギの秘密の話 舞台は完全インドです
インドはケララ州に来たジュンコはアーユルヴェーダのリトリートセンターで今までにない経験をし始めた ヨガは体験によって初めて成立する ヨガ練習生、ヨガに興味がある人、ヨガ哲学に興味のある人、みえない世界に興味がある人へ
死生観について話す事は 難しい事だ 人によっては死を受け入れる事は簡単ではなく 愛する人 大事な人を失う辛さは 人間が体験する辛い出来事、ストレス原因の トップ3 とも言われる 特に配偶者、パートナー 家族との別れが辛い という人は多々いるのではないかと思う 死というのは 置いていかれる方が いなくなる人より辛いのではないかと思う 死後の世界を知らなければ きっと死という永遠の闇と 未知への恐怖 置いていかれる悲しみ この苦しみを味わうものだ ヨギの精神的な違いの中
最近 スレッズ内で ヨギが亡くなった、て話をつぶやく人がちらほらいるらしく、目についた 日本人でヨギが亡くなったくらいで話題に なるなんて、そんな日本人に有名なヨギなんて おったかな。と思って調べてみると あぁ、なるほど アシュタンガのあの人が亡くなったのか 確かにアシュタンガ信者から絶大な人気がある 人なので そりゃ一部の人にとっては衝撃だろう 心不全、ヨギもカルマには勝てない という投稿をみたが ヨギの死因に心不全はよくある 心不全という死因を見て 50歳そこそ
最近は 半分以上仕事に意識がいってて 仕事でやる事が多いから 減らせる意識は減らしている 開発したオイルのクラファンとか この先の商品展開とか 色々行動は先にしておかないといけない事は 多々ある 人によってはヨガに夢中になって それしかできません! みたいな状況なんてなく こうしてバランス良く過ごせるのは 間違いなくグルと過去に頑張った自分のおかげであると自覚している そうでなければこんな練習量で ここまで来れなかっただろう 過去の積み重ねとはまさに こういう事で 過
出張先で調子に乗って食べすぎて お腹パンパンで寝れないので暇つぶしに 食べ過ぎると瞑想も集中できないし 寝つきも悪いので 食べ過ぎは良くないなぁと思います 番外編は短編シリーズ どうしてヨギは生き物を食べないのか 基本的にヨギは ピュアベジ(完全菜食)、もしくは ベジタリアンになる人がほとんど 肉や魚を食べたとしても まぁよっぽど何かしら理由があって もしくは施しもので ちょこっと食べるくらいが多いと思う これにはちゃんとした理由があって 欧米のヴィーガニズム と
最近 インドから帰国してから進めている 化粧品開発の発売に向けての準備に気を取られていて 落ち着くまでシリーズは書けそうにないので 箸休め 今回は真面目でふざけた話 遡ること まだチカちゃんとやり取りをしていた頃の話だ
約1ヶ月のインドの旅で 見出した事は “自我"という存在がいかにちっぽけで どうしようもないものだという事だった 人は自分の意思を使うから苦しむのだ “私"という存在は “私"を振り回し続けた 全てを作り出していたのは “私"だった 日本に帰国して 普通の生活に戻る それと同時に 自分がこれからさらに捨てていくことになるだろう、そう思った 帰宅したら 飼っている猫が2匹 飼い主が帰ってきた事に驚いて 幻でもみるかのようにおそるおそる近づいてきた (友人とご近所さ
Lと過ごした日々は 楽だった それまでの旅は1人で何とかしなきゃ 言葉が通じない あれができない これができない 彼がいれば大体の事は助けてくれた リトリートセンターにいる間とかは ディレクターが助けてくれたり とにかく楽だった その一方 夜はつらく、きびしい日々が続いた 極度の睡眠障害 1時間寝れば起きる 激しい震え 何か強く苦しい感情と向き合わなければ いけなかった シュリナンダンさんのところに戻る事もできたが それは今すべきではないと思った 私は1人でこれを乗
ケララに戻ってきた 4月も終わりなのでケララは真夏でかなり暑い 空港について とりあえず前いたアーユルヴェーダの治療院から 最も近い街のホテルに泊まることにした その時その街はちょうど最も大きい祭りが近づいていて多くの観光客が集まってきていたようだ 街についてから久しぶりの南インド料理を食べる やはり南インド料理は美味しい 米を中心にした 野菜のさっぱりとした味わいが多く 油も重くない 米が主食なのであらゆるパンも米粉だ 辛いながらもさっぱりとしていて 一気に食欲が戻
ヒマラヤにいる間 変化は静かに進んでいた ガンゴトリに行くまでの私は ただただ突き進むだけだった 目的もなく 理由もなく ただ前に進んだ 何が待っているかは全く分からず ただ静寂と 心の中のざわめきを感じた リシケシに戻ると決めた時 私は普通の社会に戻る準備ができたと感じていた ケララのリトリートセンターに行って以来 地に足が全くついておらず 現実世界がどこか分からなくなっていた 自らのエゴと 執着 願望 それを無くしたい自分 それを保つ自分 清らかにいたい自分
ガンゴトリへ旅立つ バトワリはリシケシとガンゴトリの距離を 10とすると 8くらいの所にある 宿を出てまたバトワリに戻り リシケシからガンゴトリの1本道に戻る 高度はより高くなっていく 車とはいえ連日の疲れも相まってなのか 高山病気味なのか 道中気分が悪くて寝ていた なのであまり外を見る余裕はなかった ヴァラナシ辺りから 北インド料理の辛さ チャパティなどの粉物の多さ オイルの重さ 色々重なり、肌荒れ、胃腸の不快感 体調は悪化する一方だった 辛いものを食べるとニキビが
ヒマラヤに来たのも初めてだし このような山への旅も初めてだった 日本の富士山の旅とかそんなレベルではない ヒマラヤ山脈にやってきた ここは標高3000メートルあたりかもしれない 子供の時スイマーで一時選手目指してたくらい 泳ぎまくってた時代があるせいか 肺活量は割と出来上がっている方だと思う 高山病とかはなかった Sはヒマラヤの高山病を心配していたが 宿にいる間とくに不調はない ホテルはコテージみたいな感じで 綺麗で思ったより可愛かった シュリナンダンさんは以前こ
リシケシを出発し バスはひたすらヒマラヤの道を登って行く ガードレールもない箇所も多く 落ちればみんな助かる道はない バスが落ちた場合は救出が難しいので そのまま放置な場合もあると聞いた そんなヒマラヤの旅路 地元民たちは慣れたもんで 登る途中色んな街で、村で さまざまな地元民を乗せながらバスは走る 途中ランチ休憩みたいなのを挟むために 小さなショップ前で止まった時 ヒンディも分からず 何時までの休憩か分からなかったのでバス前で ぼんやり待っていると 白い服を着たヨガし
アーサナのクラスを終えて 一旦宿に戻る 私たちはまたお出かけするまでに 一旦休憩をする事に そしてKの希望もあって サーダナの練習をみることになった 当時私が知ってるサーダナの練習は シュリタナンダンさん発祥の swatantra sadhana だけだった これはLが私に初めてプライベートレッスンした時に教えてくれた練習法である この練習法の特徴と特性は理解していた しかしこれを人に教える場合 シュリナンダンさんの許可をもらわなければいけない そもそも私はさほどこ
ヴァラナシを出発する ACの2等車だったが 車両を間違えてしまい ローカル席にしばらく乗っていた が、途中チケットをチェックに来た車掌が 君の席はここではないよ? と言って正しい席へ案内してくれた ローカルは ACがなく 古い感じで 地元民がよく出入りする車両だ 居心地の悪さを受け入れることを良しとする旅では問題はなかった しかしAC車両になると それなりにお金を払わないと乗れない車両なので 安全性が抜群に違った 女性ひとり旅で ローカル席での夜行列車は 不可能では
ヴァラナシの2日目で 大体ヴァラナシで必要な事は終わった 夕方ガンガの辺りに戻って観光客を 上から見渡せる場所で座る 下の方から ボートに乗らないか と客引きに声をかけられるが 観光客ではないからいらない と断る 観光しない、と言うと案外あっさり 引いてくれる 男の子が近づいてきて お土産を買わないか? と聞いてきた 観光してないしお土産なんて欲しくないから いらないよ そう言うと どうしてヴァラナシに来たか どれくらいいるのか 次はどこにいくのか と質問してきた
ヴァラナシの空港に着いた さっそくタクシーを捕まえて 市内に向かう 今回の旅は 流れるように旅をしようと決めた 大学生の初インド以来 たくさん海外に行ったけど 完全に無計画できた旅は初めてだったかもしれない。 バックパッカーもしたけど 大体どのあたりに行こうとかは決めてたし しかし今回は私の意思は反映されない とにかく "心が惹かれる場所に行く事" 執着を無くし 快適さを求めない事 人と馴れ合わない事 この場所が心地よいと思った時点で この人と一緒にいると心地よいと思