【エッセイ】カーディガンを着た僕とセーターを着た君。きっといつか出会えるといいな。
2021/2/25
僕はカーディガンが好きだ。柔らかな温もりに包まれる感じがとても好きだ。少し長めの袖を指の先まで伸ばして手を隠す温かさが好きだ。そういうカーディガンにまつわる何もかもがたまらなく好きなんだ。
ライナスの毛布的に、春、秋、冬の間は僕はカーディガンを手放すことができない。春と秋には薄手のニットで編まれたカーディガンを、冬にはモコモコとした厚みのあるカーディガンを手放せない。もちろん今もカーディガンを着ている。
夏以外は毎日カーディガンを着る。それは僕が持っている数少ないテーゼの一つである。
それならセーターでもいいじゃないか、と思われてしまうかもしれない。でも、セーターじゃダメなんだ。カーディガンじゃないといけない。カーディガン的アイデンティティを持ったカーディガンじゃないと僕の心を満足に温めることはできない。
ちなみにこれだけは言っておきたいんだけれど、女の子について言えばカーディガンを着ている子よりもセーターを着ている子の方に魅力を感じる。そういう意味においては、むしろ僕はセーターフェチと言ってもいいかもしれない。それくらいセーターを着ている女の子が好きだ。
何故、僕がそこまでカーディガンを追い求めているのかは僕にもわからない。もしかしたら前世、カーディガンを買ってもらえなくて凍死してしまった可哀想な子供だったのかもしれない。だからこれほどまでにカーディガンを追い求めているのかもしれない。
真面目に考えてみると、僕はもともと自己肯定感があまり高くない。それに寂しがり屋で泣き虫でもある。
もしかしたら、そんな自分を守るためにカーディガンを必要としているのかもしれない。自信がなくてあまり自分の姿を人に見せたくない、誰かに抱きしめられていたい。そんな深層心理が僕にカーディガンを着せ続けているような気がしている。
誰にどれだけ赤ちゃんみたいだと笑われようと僕はカーディガンを手放さない。このタフな世界を生き抜いていくための鎧みたいなものだから。
だから皆さんもこれだけは手放せないというものがあると思うんですけど、誰に何を言われようと大切に守り抜いて言ってほしいと思う。
僕たちは誰もがスヌーピーに出てくるライナスで、誰もが自分だけの毛布を必要としているのだから。
さて、これからセーターを着続けている女の子を探そうとしよう。
それではみなさん、良い一日を。
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