公務員、MBA、ベンチャー経営、ジョブレスを通じて芽生えた僕の小さな志
私たちが生きる21世紀は、人類の長い歴史の中で、時代の転換期にあると思っています。
私たちはこれからどう生きるべきなのでしょうか。
タイトルの通り、私はまだ短い人生ですが、色んなキャリアを歩んできました。
このブログでは、私がこれまでの経験から何を感じ、私たちはこれから何を目指していくのか、そのために私は何をするのか、それを綴りました。
まだまだわかっていないことも多い私ですが、今の時代を生きる私たちがどう生きるべきなのか、何か少しでも気づきになれば幸いです。
このブログを読んで少しでも共感をしていただけたら嬉しいです。
新しい時代をつくるために。
キャリアの変遷1 行政で追いかけたもの
最初に、私のキャリアの変遷をお話しさせてください。
私のキャリアは市役所から始まります。
ありがたいことに、新規施策に携わることができ、ダイアログを用いて地域ビジョンを策定など行いました。
当時は、市長を志していて、地方自治体に必要なのは経営だと思い、25歳の時にグロービス経営大学院にて経営学(MBA)を学び始めました。
その後、ビジネスで挑戦したいという気持ちを抑えられなくなり、仲間とともにベンチャーの世界へ没頭します。
安定の公務員から戦場のようなベンチャー経営という、振れ幅があるように思われるのですが、実は目的は同じで、鍛えてきたスキルも同じであると認識しています。
そもそも行政(政治)とビジネス(経済)というのは、ご存知の通り、担う役割が違います。
マーケットがなく市場経済が苦手な部分を政治が担い、政治では難しい領域を市場経済に委ねる形です。
ただ非常に抽象度高く捉えると、どちらも僕たちがよりよい生活を送るためにしている活動と言えます。
そして必要とされる力も、境目は曖昧になっていると捉えることができます。(もちろん具体に落とし込むと、全く違う部分はあります。)
というのも、ちょうど私の世代あたりから、社会起業家、ソーシャルビジネスが注目され始めました。
経営学の中でも、CSRから、マイケル・ポーターがCSVと提唱して、ビジネスの中でも社会性、公共性を帯びるようになってきたからです。
政治、行政では逆に、国や地方自治体をそれぞれ一企業のように捉えて、施策1つにもマーケティングの観点を、公会計も財務諸表よりに見直され、持続可能性を意識した体質が求められています。
ビジネスは社会性や公共性が求められ、行政は経営やビジネスが求められていると捉えることができます。
つまり、私自身のキャリアも、公務員からベンチャーと変わるものの、大目的は社会課題を解決することで同じ。
鍛えてきたスキルも、対話を大事にした対人対応力という点で一貫したつもりです。
その中でもキャリアを変えてきた理由は、自分なりに最適なかたちを求めてきたからでした。
行政は、行政にしかできないことがたくさんあります。
例えば、地方自治体の議会であっても条例を定める立法権があります。
行政にしかない魅力がある一方で、仕組み上、税金で成り立つ点からリソースが限られてしまうこと、自分で意思決定できる役職になるまでに数十年かかることから、我慢できなかったところも正直あります。
自分の成長を考えると、ビジネスの方が環境としては良いと思いキャリアを変えたという部分もあります。
将来、当初の志であった「市長」というポジションにつくとしても、長い人生、もう少し時代の変化を経て、自分自身も経験を積んでから戻ってきた方が面白いかもしれないとも思っていました。
キャリアの変遷2 ビジネスで追いかけたもの
そんな経緯で公務員からビジネスへキャリアが変わりますが、行政に比べて自由度は半端なかったです。笑
リソースは自分たち次第で大きく増やしていけるし、自分で意思決定できます。
ビジネススクールで学んだ経営も、すぐ実践できる環境で、自分自身の成長を実感しながら、会社も順調に大きくなっていきました。
ベンチャーのキャリアで3年が経った頃、今後の自分の人生を考えて、私の実力で恥ずかしながら、エンジェル投資家になろうと思うようになります。
起業家は本当に尊いと思います。
人生をかけてリスクを背負って挑戦している彼らは、社会全体にとっても影響力が大きいと思い、将来的に起業家を支援するために、エンジェル投資家に思いました。
そのために、自分が上場を経験することや、幅広い経験を積むために、別のベンチャー企業を経営することになります。
しかしスタートアップはそんなに甘くありません。
これは私のこれまでの会社の方針や見解ではなく、あくまで私一個人の言動として受け取って欲しいのですが、経営した4年間、忸怩たる思いがあります。
私は、ビジネスでスケールやインパクトを出すことにあまりにも囚われていたように思います。
上場することも重視し過ぎてしまっていました。
ゆえに、誤った言動、決断が多かったと思います。
会社は、ビジョンを実現するために進み、上場はそのための手段のはずなのに、いつの間に上場を最優先してしまって、大事なことを見落としてしまっていました。
経営者である自分自身の健康面や金銭面や家庭のことをもっと大事にしてよかったし、社員のこと、組織のことも、顧客のことも大事にできていない局面が多々あったと思っています。
人生とは、走ることではなく、踊ること
経営した4年間、私はずっとスケールやインパクトを追いかけてきました。
もっと会社を大きくして、もっと社会にインパクトを、もっと影響力を、と。
でもその先に何があるのか。
自分が本当に望んでいるのは何なのか。
私は、成功と幸福を勘違いしていたようです。
必死で働いて、必死でMBAを学び、起業して成功させてやる、仕事でこそ人は成長するのだと信じてやってきました。
それはそれで否定すべきことではありませんし、その経験があったからこそ今の自分があります。
ただ、成功と幸福を一緒にするのは違うと思うのです。
自分の夢が実現したら、幸せになると勘違いしていました。
叶えても叶えても、次は、次は?って。
いつになったら満たされるのかって思っていたけど、
大事なものは今既にあるんだと、それを感じるかなんだと思い知りました。
「私らしい生き方とは何か?」を探求して来た実存主義の哲学者たちは「あなたが生まれながらにもった生きる意味などない」といいます。
人間は、意味付ける生き物だから、自分で人生にも意味をつけていくしかないし、それは長い人生の中で、意味はそのときどきで変わっていくものだから、今この瞬間に意味付けをし続けるだけなんだと。
だから私は、幸福も、人生の意味も、もう既に十分あるんだと思っています。
その意味で、人生というのはマラソンではなく、ダンスだと思うのです。
ゴールに向かって走る、完走することに達成感は確かにあります。
でも、たとえ完走しなかったとしても、そのプロセスの瞬間瞬間に人生の意味はあるし、幸福もある。
ダンスは、踊っているその瞬間瞬間が楽しいのであって、踊り切らないと楽しめないわけではないのです。
だから人生というのを喩えると、走ることではなく踊ることなんだと思うのです。
私たちは、幸福を追求するだけでは足りない
では、走ることは重要ではないのか。
夢を持つこと、目標に向けて動くことは大事ではないのか。
そういう意味ではありません。
かくいう私も、自分の実現したい未来のために、今も踊りながら走っています。
幸福は感じ方、心の持ちようだ、だから今この瞬間から幸せになれると言われても、現実問題この世の中にはそう思えない現実や局面はたくさんあります。
三浦春馬さんが自殺してしまったことをはじめ、自殺はそのうちの一例でしょう。
少しでも多くの人が幸福に感じられるように、様々な社会課題を解決していくことは大事だと思います。
ここで私が言いたいのは、
その活動は本当に幸福につながるのか、
ということです。
自身の満足感だけを追い求めていないか。
その問いを自分に投げかけて欲しいと思っています。
ここで、もう少し幸福というものの話をさせてください。
日本の哲学者、中島義道先生は、著書「不幸論」の中で、
次のようなことを述べています。
もし、あることが引き起こす現在および未来の波及効果のすべてを知ることができるならば、われわれはけっして幸福ではいられない。そのほとんどを知らないからこそ、われわれは「幸福である」という錯覚に陥ることができるのである。
(中略)
自分の幸福の実現が膨大な数の他人を傷つけながらも、その因果関係の網の目がよく見えないために、われわれはさしあたり幸福感に浸かっていられるのである。それがすっかり見渡すことができたら、この世に幸福はありえないであろう。
中島先生は、要するに、幸福感には「無知」と「無視」がつきものであり、幸福は常に「錯覚」だ、と言っているのです。
わかりやすい例えで、牛肉を食べることについて考えてみましょう。
ご存知の方も多いと思いますが、牛肉は生産過程でウシ自身の呼吸や排泄物で温室効果の高いメタンガスを排出して、地球温暖化を促進してしまっています。
無知や無視があるからこそ、私たちは美味しい牛肉を食べて幸せだと思うことができます。本当は、私たちは食生活や今のライフスタイルそのものを見直さないといけないのです。
しかし、この無知や無視もそろそろ通用しなくなってきたなと思っています。
SDGsというわかりやすい目標も出ました。
プラネタリー・バウンダリーといって地球がもたないことももう分かっています。
ITが進んで、地球の裏側のことまで情報を得られる時代になっています。
もちろん、かくいう私も無知や無視していないかと言われればその通りです。偉そうなことを言える身ではありません。
ただ、そろそろこの事実に目を背けてはいけないと思うのです。
私たちにとって大事な、子供達の世代のためにも。
だから私は、自分たちの幸福を追求するだけではダメだと思うのです。
本当に必要なのは、
地球にとって、人類が幸福に値する存在であることを追求することだと思うのです。
現在の社会システムの限界
ここまでの話を経て、何が問題なのか。
私は、牛肉を食べている人、ビジネスでスケールやインパクトだけを追いかけている人をただ否定したいわけではなく、自覚無・自覚問わず、そういう人になりやすい力学が働いている今の社会システムに負の側面を抱えていると思っています。
今の社会システムとは、資本主義であり、グローバル経済であり、合理主義であり、人間至上主義の消費文化などのものです。
ポスト資本主義の話は言われて久しいですが、別にビジネスや資本主義を否定したいわけではありません。
私も資本主義の中で生きるし、これまで培ったビジネススキルはフル活用します。
ただ、その先に進みたいんです。
人類が幸福に値する存在になるために、今の社会システムの負の側面を理解した上で、それも活用しながら弁証法のように次に進みたいのです。
本質は人の内面にある
では、今の社会システムを乗り越えるための本質的な課題は何なのか。
僕は、個人の内面にあると思っています。
無知の知は、自己も同じで、僕たちはもっと自分理解をしていかないといけません。
そのうち、キーになるのは、内面の奥にある「不安」や「恐れ」だと思っています。
不安や恐れというと、メンタルが弱い人が持っているものだとよく思われています。
それは全く違っていて、かつての私がそうだったように、
むしろアグレッシブで自信に満ち溢れた経営者やマネージャーの方がもっと必要だと思っています。
走り続け、とまることをしないビジネスパーソンの多くは、自分の不安や恐れに無自覚なことが多いです。
もっと成果を出したい、もっと自分の存在価値を証明したいという信念の裏には、成果を出せない自分、価値を出せない自分に恐れる気持ちがあります。
経営者たるもの強くて影響力のあるリーダーであるべきだという信念の裏には、弱い自分に、影響力のない自分であることに恐れる気持ちがあります。
もっと身近な例でいうと、
権限移譲したいと言っていても、実際にできない背景には、自分の成長スピードを下がることへの不安などがあります。
自分の意見に固執せず部下の意見を組み入れたいというが、できない背景には、部下に失望されることへの不安などがあることが多かったりします。
やりたくてもできないことの多くは、だいたい自分自身が障害になっているのです。
自分がアクセルを踏みたくても、気づいていないうちに反対の足でブレーキを踏んでいるようなものなのです。
誰しも、自分自身の内面が、自分に限界を作っているんです。
そのことに気づかなければいけない。
その自己認識をした上で、自分の最も大切にしている信念を手放していくことで、自分が本当に望む自己変革を行うことができます。
それが一番の本質的な課題だと思うのです。
だから、私は今、コーチングやカウンセリング、ファシリテーションをして、自己変容の手伝いをしています。
人類がこれから目指す先
さて、自己変革の行きつく先は、何なのでしょうか。
私は、人間の内面の成熟だと思っています。
「幸福は既にあるんだ」という話に最後戻ってくると思っています。
生きている限り、不安や恐怖はあります。
自分に欠陥はあるし、完璧になることなんてありません。
それでも、あるがままを受け入れ、満たされていることを感じる。
日本ではスピリチュアルなことが少し敬遠されがちなので、あまり言いたくないのですが、仏教でいう「悟り」みたいなものがやっぱり自己変革の行きつく先だと思っています。
資本主義の中では、どうしても違う力学に引っ張られてしまう。
生存をかけた競争が始まってしまいます。
でも、認識を変えて、今既に満足すると心の底から思えたなら、きっと何かに執着することなく、既に自分に持っているものを惜しみなく分け与えることができる社会になると思います。
そう心底思える人が、世界の10%でもいるようになれば、徐々に時代は変わっていくのだと思います。
鏡に映る自分
でも、この心底というところがポイントです。
これほど「言うは易く行うは難し」はない。
幸福論で有名な哲学者アランは「幸福には情念に対する意思が必要であり、努力と行動がいる」と言っていますが、やはりこれを本当の意味で実感するには、それなりのトレーニングがいるんだと思います。
内面の変容、成熟に向けては、いろんなアプローチがあります。
グーグルが導入していることから見直されたマインドフルネスを始め、古代叡智や最先端の科学からも既に解明されてきたこともかなり多いです。
私自身も、自己変容に向けて、色んなことへ積極的に取り組んでいます。
どのアプローチでもいいと思います。
意識研究のアインシュタインと呼ばれるケン・ウィルバーは、これまでの理論や思想を包括していますが、それを見て改めて思うのは、どのアプローチでもいわゆる”悟り”の境地に、善い人間、善いリーダーになっていけるのだと思います。
しかし実践して、その成熟への道は本当に難しいものです。
私自身も、コーチとして人のあり方が問われる仕事ということもあり、自身の成熟に向けて動いていますが、大事にしたいことは2つあります。
1つは、「焦らず、じっくり、今を味わうこと」。
急がば回れとはよく言ったもので、そもそも成熟には時間を要するものです。
大切なことはファストではなくスローの中にあるのだと思っています。
そしてもう1つは、実践を共にしあう仲間やコミュニティです。
もちろん自分の実践を通じてしか体得できないものです。
それでも継続するために、実践を共にする仲間の存在が欠かせないと思っています。
だから、私はそういう仲間やコミュニティを増やして生きたいし、その関係性を作るためにも、場づくりやファシリテーションをしたり、カウンセリングやコーチングという“対話”をこれからも大事にしていきたいと思っています。
そんな想いで、創業した社名は、
Man in the Mirrorという名前にしました。
学生時代の頃からずっと好きだったマイケルジャクソンの曲から拝借しました。
この曲の歌詞を自分の想いと重ねて。
I'm starting with the man in the mirror
I'm asking him to change his ways
And no message could have been any clearer
If you want to make the world a better place
Take a look at yourself, and then make a change
鏡に映るそいつから始めていくんだ
歩み方を変えろと訴えるんだ
これ以上はっきりしたメッセージはない
もし君が世界をもっといいものにしたいんだったら
自分自身を見つめなおして、
そして変えていくんだ
以上です。
こんな重たくて長いブログ、果たして誰が読むんだって感じですが、
それでも読んでくれた方がいれば嬉しいです。
もし何か少しでも共感するところがあれば、是非気軽に連絡ください。
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僕自身、まだまだわかってないことも多いし、大した力もなく、ちっぽけな存在だけど、それでも前向きに、焦らずじっくり、一歩ずつ、次の時代をつくっていきたいと思います。
今後ともよろしくお願い致します。
I'm starting with the man in the mirror.
2020年10月1日 阿世賀淳