古代の薩摩940年 #64
第三部 薩摩と邪馬台国の攻防 市来村で須恵器を
高貴:「私はいつもは畿内の陶邑(すえむら)で工房を開いております。
東漢高貴(やまとのあやこうき)と申します。この度天皇より『薩摩
に行き、須恵器(すえき)や登り窯(のぼりがま)の作り方を伝えよ。
1年は帰ってはならぬ。』という命を受けてまいりました。
これが須恵器でございます。」
五郎:「拝見いたします。青灰色できれいですねえ。初めて見ました。
見事なものです。私は土田五郎と申します。私どもはこの市来村で
代々弥生土器を作ってまいりました。窯は持っておりますが、登り窯
とはどのようなものでしょうか?」
高貴:「普通の窯と違って、小高い山の斜面を使って筒状に長く炉を作りま
す。ですから、いっぺんに多くの土器が高温で焼けます。こちらでも
木炭を燃やしてかなりの高温で焼いておられるようにお見受けしまし
た。しかしそれよりはるかに.高温になりますし、固いため水漏れはま
ったくおきません。ここはいい粘土がありますから、きっとすばらし
い土器が作れると思います。」
五郎:「それではよろしくお願いします。」