許されざる大失態
ある日、突然私のところにモテ期がやってきました。今から40年前のことです。もちろん当時そんな言葉はまだ存在していませんし、女性にモテる様になったのでもありません。世間様に脚光を浴びてしまったのです。地元の新聞には「今日の顔」らんで写真入りで紹介され、テレビ各局が特集を組んで私と私の塾を紹介してくれました。ラジオの30分番組で大学の著名な先生との対談番組まで企画してくれました。市の教育委員会の週休2日制などに対する意見交換にも出席の要請も受けました。
一体何が起こったかというと、当時学習塾というのは文部省(現在の文科省)からみると「必要悪」とみられていて鬼っ子敵存在でした。それを通産省(今の経済産業省)が国として認可するというのです。それではということで、それまでなかなかまとまりのつかなかった学習塾側も大同団結して
全国学習塾協会なるものが結成されました。鹿児島県の初代の代表に私が選出されたからです。なんと塾には反対だろうと思われていた鹿教組からまで講演を依頼され、塾と生徒たちの実情をお話ししたこともあります。また協会の全国大会も各地で開催され、「塾はどうあるべきか。」などが活発に議論が交わされました。私も自信満々で発言しました。全国をとびまわる忙しさで自分の塾はほかのスタッフに任せっきりにならざるを得ませんでした。一方では小中の塾の先生方からは、塾に通う生徒の電車定期券の交付が大手塾・予備校だけに実施されこちらは門前払いだと訴えられ、何とかしてくれと頼まれました。JRや市の交通局にも掛け合う仕事も増え、新聞には私の名前が毎日のように載っていました。人生で初めて迎えたモテ期でした。
そんな時、事件が起こりました。
ある中学校で中学3年生の番長(?)が中学1年生20人を集めて一人1000円ずつ持ってくるように指示したというのです。
名前もわかっているというのです。なんと私の教え子ではありませんか。このころ私はどんな子でも改心させられるとうぬぼれていました。さっそく本人を呼んで話をしました。しかし本人はかたくなに否認して泣き出してしまいました。さすがに私もおかしいと思ってうわさの出所を調査したところ、同じ苗字ですが別人だとわかりました。大変なことをしてしまったと悔やんでも、もう手遅れです。すぐ母親から猛烈な抗議の電話がきました。意を決して家に謝りにいきました。しかしまったく許してもらえません。あたりまえですよね。完全な濡れ衣で100パーセント冤罪です。2時間くらい正坐をして謝り続けましたが、母親も興奮していて自分のかわいい息子がそんな疑いをかけられたことそもものにも怒っているのです。これまでの私だったら、まず、あいつがそんなことをするはずがないと思ったはずですが、今回はおれの顔に泥を塗るのかという気持ちが先だったように思います。私もこんななさけない自分にほとほとあきれていた時、お父さんが仕事から帰ってきました。「先生今日はなにごとがあった?」というではありませんか。よく見ると私が学生だったころの教え子でした。「え!お前の息子?」です。事情を説明すると「分かった先生にはむかしお世話になったから妻には私が話すから、久しぶりだから、一杯飲んでかえってくれ。」というではありませんか。私は思わず、涙が出そうでした。「今日はとてもそんな心境にはなれんよ。」といって帰してもらいました。
私はすぐ、すべての公務から手を引くことにしました。町の小さな塾の先生にもどろうと決心しました。それからは発達障碍児や不登校児などお父さんおかあさんの相談相手になり、立ち直りの手助けができるようにななりました。。自分の考えを一方的に話し、説得、説教するのではなく相手の話をじっくり聞くという基本姿勢が出来ました。はずかしいけど語らずにはおけないありがたいできごとでした。
これからしばらく、投稿を休んで皆さんの記事を読みます。この2か月は毎日自分の投稿記事を書くのに精いっぱいで皆さんの面白い記事を読む余裕がありませんでした。これから至福の時間を過ごさしてください。