古代の薩摩940年 #46

第二部 弥生時代 張順からの張良への手紙
あっという間に1年が過ぎました。倭という国の現況をお知らせします。私がいるここは倭の最南端薩摩という国です。他にも100近くの国があるようです。漢でいえば、県くらいの広さです。村の数がすこしずつ増え続けて今現在32.人口は4000人弱と言ったところです。ここは桃源郷かもしれません。ただし「花が咲き、鳥がすずやかに歌い、あたり一面良いかおりがただよい、人はなにもせずとも毎日楽しく過ごす。」という、いわゆる桃源郷ではありません。人々は毎日忙しく働いています。でもみな生き生きとしています。農業分野では、水田耕作が進み、鉱山開発や港の整備も着々と整えられてきています。ここでは1年間に1回も争いごとがありません。それぞれの村はそこに最も適したと思える業務を見つけ出し、さらに発展させようとしています。各村の村長は30歳代、副村長は20歳代と定められ、10年たったら、自動的に次の世代へと受け継がれていきます。薩摩には国長はいません。ただ、森田松蔵なる人物を中心に8名の若者が集団指導体制で運営しています。彼ら独自の文字はなく、我々の文字を漢字と名付けてかなりの識字率です。戸籍もしっかりしたものがあり、貨幣が流通しています。

隼軍団なる軍は持っています。正規軍100名、準正規軍80名。ただし戦いを経験したのは我々が志布志湾に上陸したときのみです。この戦いは実に奇妙な物でした。1対1の馬上戦を提案され、なんとなく私は彼らの作戦に引き込まれてしまいました。なかなか決着がつかず、ついに6人目になりました。私はここが勝負の付け時と見定め、最強の張仁を送り出しました。ところが一瞬のうちにあの張仁が地面にたたきつけられていました。我々の負けです。でも彼らはその夜私たちを宴会に招いて話し合いを続け、私たちを村の一員に加えてしまったのです。ちょっと漢では考えられない展開でした。まあ、気持ちの優しい穏やかな民族です。あの無敵の張仁に戦いの顛末(てんまつ)を聞いたところ、相手の林菫なる女傑のあまりの美貌にみとれ、馬を走らせた時の彼女の鋭い眼光に圧倒され、何もできなかったというのです。後日談ですが、何回も彼女に結婚を申し込んではいるのですが、彼女はすべて拒否。その理由がわざと負けたのだろう。それが許せないというのだそうです。実に面白い娘ですよね。張仁の願いを叶えてやりたいので是非駿馬を一頭何とか探してもらえませんか。彼女を口説き落とせるのは馬しかないと言っています。

さてここからは私の達ての(たっての)願いです。是非とも倭に帰化してゆっくり療養し、倭と言う国を見て頂きたいのです。戦国時代に孟子は性善説をとなえましたが、大陸では戦乱に続く戦乱で性悪説が有利でしたね。やはり、法や、軍事力そして教育の必要性が盛んに叫ばれました。ところが、この国に来てみてこれは孟子様もきっとおどろかれるだろうなあという感じです。空気もきれいで食べ物も豊富、人情は厚い、病気を治すには最適だと確信します。そしてここの若者に戦略戦術を教えていただけませんか?今は平和でもこの先いつわが国で戦いに敗れた者どもがおそってくるかもしれません。この国を守ってやりたいのです。この国の立体模型図を1年かけて歩き回って完成しました。この民族は頭もよく、理解が速いです。意欲もあります。実は1代目の責任者は今は引退しているのですが、市松なる人物がおります。この者、若いころに秦の李斯のもとで1年数カ月特訓を受け、李斯が養子に欲しがったほどの人物です。孫子・韓非子も読破しているらしいです。この市松に張良様招聘(しょうへい)を打診したところ、え!あの三傑の張良殿が!とちゃんと秦漢戦争のいきさつも把握していました。(つづく)

彼が言うには私の叔父で塾の先生と言う触れ込みにしてくれないかということでした。大大歓迎とのことで早速(さっそく)いい住まい作りを始めるそうです。一刻も早い到着を心待ちしております。なお、こちらで欲しい物を列挙しておきます。
①体のしっかりした牛10頭。
②水田耕作の専門家5人
③鉱山探索及び採掘技術者10人。
④鉄製の農機具50本。
⑤交易に適した人材5人(こちらの者はこれまでだまされている)
あまりたくさんの人数だと感づかれる心配もあるのでこれくらいのところでよろしくお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?